監督:アンドリュー・ニコル
製作:ダニー・デヴィート/マイケル・シャンバーグ/ステイシー・シェール
脚本:アンドリュー・ニコル
出演者:イーサン・ホーク/ユマ・サーマン/ジュード・ロウ
音楽:マイケル・ナイマン
1997年/101分/アメリカ
《あらすじ》
そう遠くない未来。遺伝子操作により生み出される優れた知能と体力を持った適正者とそうではない不適正者とが存在する差別的な社会が出来上がっていた。
遺伝子操作を受けずに生まれ、心臓に欠陥を持ち、不適正者として生きざるを得ないヴィンセントが、適正者のみに許された宇宙飛行士になることを夢見て、遺伝子の申し子と呼ばれるほどの適正者 ジェローム・モローという男になりすまし、宇宙を目指す。
《この一言》
“あの時と同じだ
戻ることを考えずに
全力で泳いだ ”
観るのは一体何度目か。記事を書くのは2度目です。前の記事を読み返していないので、ひょっとしたら全く同じことを書いているかもしれません。
さて、私はどちらかと言うと涙もろい質ですから、見え見えの演出なんかにもコロっと泣かされたりもするわけです。しかし、この映画は本物ですよ。ここにあるメッセージの純度はあまりにも高いのです。あまりに美しいので、作られたものだということを忘れる。ただの物語だということは忘れてしまう。いや、ただの物語なんてどこにもないのだけれど。無数の物語のなかでも、これはとびきり素敵だ。
もうこれまでに何度見直したか覚えていません。ですが、最初に観た時のことはまだ覚えています。10年ほど前でした。恵比寿の劇場だったのではなかったでしょうか。隣にはK氏が居ました。限りなく美しい2時間足らずの時間を過ごした後、私はあの時もやはり大量の涙と鼻水を垂らしていましたが、隣のK氏は顔を上げることも出来ぬほどに号泣していたのを覚えています。二人とも大泣きして、上映終了後もしばらく劇場を出ることが出来ませんでした。しかしあの時、あまりのことに震えて、席を立つことが出来なかったのは、我々だけではありますまい。そして、今日観ても、やはりそれは同じことです。
とにかく、どこをとっても完璧に美しい。映像も、人物も、物語も、音楽も。私などは、始まって最初にテーマ曲が流れるだけで既に泣きそうです。海で兄弟が競争する場面が何度かあるのですが、そこもかなりやばいです。何回観てもダメです。そしてあの結末。分かっていても、いまだに嗚咽してしまう。た、たすけて……!
私たちを震わせる、この映画に込められたメッセージとは何か。それは、
自分の可能性を 他人に決めさせるな
ということでしょう。ヴィンセントは、全ての人が彼に対して「不可能だ」と宣告し続けたにもかかわらず、夢を諦めません。映画の冒頭では殺人なんかも起こるのですが、サスペンスであるというよりは、かなりはっきりと根性ものなんですね、これは。あまりにもストレートな根性物語。でも暑苦しくはない。
「お前には不可能だ」「不可能だ」「不可能だ」。
押し潰されていても、空の彼方へ向かうロケットを見上げるヴィンセント。彼にはハンデがありましたが、心は決して折れません。ヴィンセントに肉体と名前を提供したジェロームとの対比が印象的です。
ジェロームは遺伝的には完璧な肉体と知能を持ち、水泳界のスーパースターでしたが、事故で足を不自由にします。望めば何にでもなることができるジェロームですが、あることがきっかけで、心に大きな空洞を作ってしまったようです。それを、ヴィンセントが埋めることになります。しかし結末は悲しすぎる。分かるような気もするけど、分かりたくない。
うーむ。内容をちょっと書いたくらいでは、この映画の魅力はきっと伝わらないですね。静かな美しい映像や音楽まで伝えることは、私の文章では出来ないし。でも、いつかはこの映画の素晴らしさを伝えられるものが書きたいものです。それまでは、何度だって観なくては。そもそも私はまだ観足りてないような気がするし、言い足りない。
遺伝的要素によってその人の人生のすべてを決定することは出来ない。
肉体の不足を補ってあまりある精神の前に、人は可能性を広げられるはずだ。
実際ある程度この通りの物語だとも思うのですが、なにかまだあるような気がする。私を打ちのめす、これほどまでに私を打ちのめすためには、まだ何かあるはずだと思います。でも、それが何なのかまだ分かりません。
というわけで、続きはまた今度観た時に、もっとうまく書けるといいなあ。
製作:ダニー・デヴィート/マイケル・シャンバーグ/ステイシー・シェール
脚本:アンドリュー・ニコル
出演者:イーサン・ホーク/ユマ・サーマン/ジュード・ロウ
音楽:マイケル・ナイマン
1997年/101分/アメリカ
《あらすじ》
そう遠くない未来。遺伝子操作により生み出される優れた知能と体力を持った適正者とそうではない不適正者とが存在する差別的な社会が出来上がっていた。
遺伝子操作を受けずに生まれ、心臓に欠陥を持ち、不適正者として生きざるを得ないヴィンセントが、適正者のみに許された宇宙飛行士になることを夢見て、遺伝子の申し子と呼ばれるほどの適正者 ジェローム・モローという男になりすまし、宇宙を目指す。
《この一言》
“あの時と同じだ
戻ることを考えずに
全力で泳いだ ”
観るのは一体何度目か。記事を書くのは2度目です。前の記事を読み返していないので、ひょっとしたら全く同じことを書いているかもしれません。
さて、私はどちらかと言うと涙もろい質ですから、見え見えの演出なんかにもコロっと泣かされたりもするわけです。しかし、この映画は本物ですよ。ここにあるメッセージの純度はあまりにも高いのです。あまりに美しいので、作られたものだということを忘れる。ただの物語だということは忘れてしまう。いや、ただの物語なんてどこにもないのだけれど。無数の物語のなかでも、これはとびきり素敵だ。
もうこれまでに何度見直したか覚えていません。ですが、最初に観た時のことはまだ覚えています。10年ほど前でした。恵比寿の劇場だったのではなかったでしょうか。隣にはK氏が居ました。限りなく美しい2時間足らずの時間を過ごした後、私はあの時もやはり大量の涙と鼻水を垂らしていましたが、隣のK氏は顔を上げることも出来ぬほどに号泣していたのを覚えています。二人とも大泣きして、上映終了後もしばらく劇場を出ることが出来ませんでした。しかしあの時、あまりのことに震えて、席を立つことが出来なかったのは、我々だけではありますまい。そして、今日観ても、やはりそれは同じことです。
とにかく、どこをとっても完璧に美しい。映像も、人物も、物語も、音楽も。私などは、始まって最初にテーマ曲が流れるだけで既に泣きそうです。海で兄弟が競争する場面が何度かあるのですが、そこもかなりやばいです。何回観てもダメです。そしてあの結末。分かっていても、いまだに嗚咽してしまう。た、たすけて……!
私たちを震わせる、この映画に込められたメッセージとは何か。それは、
自分の可能性を 他人に決めさせるな
ということでしょう。ヴィンセントは、全ての人が彼に対して「不可能だ」と宣告し続けたにもかかわらず、夢を諦めません。映画の冒頭では殺人なんかも起こるのですが、サスペンスであるというよりは、かなりはっきりと根性ものなんですね、これは。あまりにもストレートな根性物語。でも暑苦しくはない。
「お前には不可能だ」「不可能だ」「不可能だ」。
押し潰されていても、空の彼方へ向かうロケットを見上げるヴィンセント。彼にはハンデがありましたが、心は決して折れません。ヴィンセントに肉体と名前を提供したジェロームとの対比が印象的です。
ジェロームは遺伝的には完璧な肉体と知能を持ち、水泳界のスーパースターでしたが、事故で足を不自由にします。望めば何にでもなることができるジェロームですが、あることがきっかけで、心に大きな空洞を作ってしまったようです。それを、ヴィンセントが埋めることになります。しかし結末は悲しすぎる。分かるような気もするけど、分かりたくない。
うーむ。内容をちょっと書いたくらいでは、この映画の魅力はきっと伝わらないですね。静かな美しい映像や音楽まで伝えることは、私の文章では出来ないし。でも、いつかはこの映画の素晴らしさを伝えられるものが書きたいものです。それまでは、何度だって観なくては。そもそも私はまだ観足りてないような気がするし、言い足りない。
遺伝的要素によってその人の人生のすべてを決定することは出来ない。
肉体の不足を補ってあまりある精神の前に、人は可能性を広げられるはずだ。
実際ある程度この通りの物語だとも思うのですが、なにかまだあるような気がする。私を打ちのめす、これほどまでに私を打ちのめすためには、まだ何かあるはずだと思います。でも、それが何なのかまだ分かりません。
というわけで、続きはまた今度観た時に、もっとうまく書けるといいなあ。