私はこれまでの人生で、具体的な未来とか、将来の像を考えたことはあまりありませんでした。SF小説や映画を観たり読んだりするのはもちろん好きだし楽しいのですが、とくに自分自身の将来や未来について思ったことはほとんどありません。
唯一先のことを具体的に考えたのは、高校受験の頃。どうしても入りたい高校があったので、そのときばかりは「その高校に通う自分の姿」というのを強くイメージしたものです。そして合格し、実際にその通りになった。その後は常に行き当たりばったりで、先のことを考えて行動することはほとんどありません。今まだ生きていて、明日は何がどうなるかどうするかも分からないまま、それで行ける所まで行ければいいやと思っています。大きなことを成し遂げることは到底出来ない性格ですね・・・
そんな風に、先々のことを考える習慣のない私ですが、いつまでもそんな風でもいられないだろうなあという予感はあります。昨日K氏とSkypeでチャット(ビデオ通話の調子が悪いので、いつも文字で通信)していたら、マヤの予言が外れたなぁでも2015年の計算間違いだったらしいぜ今度はしかもエジプトの予言だかとも重なるらしいぜ等というオカルティックな会話の流れで、子供が生まれたらその人はもしかしたら頑張れば22世紀まで到達できるかもしれないんだという話になりました。子供が生まれてくるというのは、そういう意味なんだな。未来を生きる人たちがやってくるんだ(そう言えば『星の時計のLiddell』にもそんなことが書かれてあったような)。と同時に、私もまた誰かの未来を生きているわけだ。いままさに。どこまで行けるだろう。行けるところまでは行かなければ。ただ行くだけでも、ただ見るだけでも。世の中には納得のいかないことや腹の立つことなど、絶望だってするけれど、それでもたしかにこの世界は美しい。この美しさがどれほどのものなのか、どこまで続いているのか、それを見るだけでも見に行かなければ。
結局のところ私はいまだに具体的な出産やら育児について考えられてはいないのではありますが、でも、その人が未来を歩いていけるように、我々の到達しえないところまで辿り着けるように、そのためのものを少しでも提供できるように、それまでを一緒に過ごさせてもらおう。それを軸にしようと思います。こういうことは以前からどんな子供たちに対しても思っていたことですが、今はより身近な問題となりました。しかしどこまでも曖昧な考えですね、具体的なことも考えておかなきゃな。でも、ああ、お産が不安だ! 今度子供を持つ友人と会うので、とりあえず経験者に聞くところから始めようかね!