前の記事で疲れのあまりろくでもない愚痴を書いたら、色々な人を心配させてしまいました。すみません、私は大丈夫です。
子供が毎日激しく泣き喚くくらいたいしたことありません。子供が泣くくらいでいちいち死にたくなっていたら世の中渡っていけません。甘えです、甘え。ご心配をおかけして、どうもすみませんでした!
そもそも泣きたいのは、というか、泣いているのはむしろあっちですし、私がブログを更新したりそこで愚痴をたれたりする余裕がある一方で、息子はといえば言いたいことも伝わらず日々鬱々とただ母とふたりきりで(またこいつだけかよ、何遍同じこと言わせんだよ、とか思いながら)過ごさなくてはならないのです。そのストレスやいかに。可哀想なのは息子の方。不満や不安を表現したり発散したりする方法をまだ知らないのです。
キレやすいのは困りものですが、息子には良いところももちろんあります。下から見ると福山雅治に似てるんですよ。大福に福山を印刷した感じと言えば分かってもらえるでしょうか? K氏からは「誰にも言わないほうがいいよ…」と止められていますが、いや、でもそっくり(幻覚)。
あとは、彼は意外と賢くて私たちの話すことをかなり理解している様子もうかがえます。アザラシのお風呂場おもちゃの柔らかい人形を洗面所の引き出しにしまってあるのですが、息子はそこを引き出してアザラシを取り出し、私が「アザラシちゃんをおうちに帰してあげてね☆」と言うと、こちらを見上げながら再び引き出しを開けてアザラシを元のところへ戻すのでした。別の日に2度同じことを繰り返したので偶然ではないようです。私の言うことがちゃんと分かっているのです。
相手の言うことは分かるのに、自分の言いたいことがちっとも伝わらなければ、それは腹も立つというものですよね。そこまで私たちの発言を理解していながら何故か叱られている時ばかりは全く聞いてない振りをするのかは分かりませんけれど…誰に似たのか性格が悪いのはたしからしい…orz
だいたい私は息子が倒れた時に、「これからは息子のことを大事にする」と誓ったのです。それに、息子を授かった時にも私は、「今後数年間はまったく自分のことができなくてもかまわない」という覚悟をしたのではなかったか。疲れたとか辛いとか、甘えだ、甘え。いい年して泣く子ごときに凹まされるなんて、恥じ入るばかりです。
大事にするといっても過度に甘やかすつもりはありませんが、お互いに落ち着いて話し合いができるようになるまで、私も息子とともに我慢する力を養っていきたいと思います。私は急がなくても放っときゃいずれ死んでしまいます。生きているうちに一度くらいは必死になってみなくては。今、もしかしたらもう少し人間力を向上させられるかもしれないチャンスを与えられているというのに、疲れている場合ではありません。
私は君の早い成長スピードにきっとついていけていないんだ。振り落とされないように、全力で走れ!!