松本大洋 (小学館)
《あらすじ》
地球の7割が砂漠となってしまった時代。世界の平和を守る組織――虹組のメンバーである No.5 がひとりの女を連れて逃走した。残された8人のメンバーは、ふたりを追う。
《この一文》
”こんにちは、
こんにちは、
聞こえますか? ”
ものすごく長くて、とても美しい詩を、絵付きで読んだような気になります。胸が痛んで、今はまだ落ち着いて物語を思い出すことができません。ただ、ひたすらに感動的であったということは、はっきりと言えます。悲しくて仕方がないけれど、最後には必ず希望が示されるので、私はこの人が好きです。
『ピンポン』『鉄コン筋クリート』に続き、『ナンバーファイブ吾』を読んでみました。どうやら、この3作品をこの順番で読んだのはよかったらしいと思います。これまでの2作品に共通していたテーマが、『ナンバーファイブ吾』ではさらに深く掘り下げられていました。
「すべてはひとつのものである」というようなことを、松本大洋のこれまでの作品を読んで感じてきたのですが、今回の『ナンバーファイブ吾』ではさらに「そのうえでどうあるべきか」というところにまで問題が進んでいるように感じます。どうして、このようなテーマを、このように表現することができるのでしょう。そして、どうしてこんなにも感激させられるのでしょうか。分かりません。とにかく半端ではありません。
主人公に与えられた名は No.吾(5)。虹組と呼ばれる組織の9人のうちのひとりです。No.吾(5)は仲間であった者たちから追われます。ちなみに他の8人は、No.王(1)、No仁(2)、No.惨(3)、No.死(4)、No.岩(6)、No.亡(7)、No.蜂(8)、No.苦(9)。相変らず名付けが上手です。No.吾(5)は、そのひとりひとりと戦うことになります。
物語については、これ以上どのように述べたらよいのやら、今のところさっぱり見当もつきません。とりあえず、以下に読んでみて思い付いたことを走り書きにしてみます。
* 目も開けられぬほどに強い光は、目を開けていても何も見えぬほどの暗闇と同じことである。
* 混じり気のない両極端なもの2つのいずれか一方を選ばなくてはならないということはない。同時にそのどちらでもあるということ(あるいは、どちらでもないということ)も可能ではないか。
* 食べ続ける女マトリョーシカを通って、死は生となる。
* そのマトリョーシカが選んだのは、No.王(1)でも元No.仁(2)でもpapaでもなく、No.吾(5)である。受け継がれるものは何か。
* 光はひとたび放たれたならば、どこかへ届くまでいつまでもずっと飛び続ける。
No.王(1)という人物は、平和で美しい世界というものをあまりに純粋に望むが故に、異なる意見や思想が存在する余地を与えません。彼の悲しいのは、それに尽きます。全ての人間が彼と同じ思想を持ったならば、いや、全く同じ思想を持たない限りは到底実現不可能な世界を望むのです。悲しい。悲しい。けれど、私はなんだか No.王(1)の気持ちが分かるのです。彼の望みは、その望み方があまりに純粋であるためにほとんど狂気とも言えるものですが、内容はとてもささやかで美しいものです。そのことを思うと、私は涙が止まりませんでした。悲しい。悲しいです。
ほんとうはもっと書きたいことがあるのですが、思い出し泣きをする上にうまくまとまらないので、また今度にします。刺激が強過ぎて、振り返ることはどうにも恐ろしいのだけれども、私はこのシリーズをちゃんと買って手もとに置いておこうと思います。もし読み返すことができたら、そのときにはもうちょっと書けるかもしれません。
引用したのは、最後のほうの一文です。
私は心から願います。
この人の語りかける言葉が、遠い星から何百年も昔に放たれた光が今我々の目にうつるように、ここからずっと遠い先にいる誰かにも届くことを。そう願わずにいられないほど、この人の言葉や世界は、あまりに美しいのです。
《あらすじ》
地球の7割が砂漠となってしまった時代。世界の平和を守る組織――虹組のメンバーである No.5 がひとりの女を連れて逃走した。残された8人のメンバーは、ふたりを追う。
《この一文》
”こんにちは、
こんにちは、
聞こえますか? ”
ものすごく長くて、とても美しい詩を、絵付きで読んだような気になります。胸が痛んで、今はまだ落ち着いて物語を思い出すことができません。ただ、ひたすらに感動的であったということは、はっきりと言えます。悲しくて仕方がないけれど、最後には必ず希望が示されるので、私はこの人が好きです。
『ピンポン』『鉄コン筋クリート』に続き、『ナンバーファイブ吾』を読んでみました。どうやら、この3作品をこの順番で読んだのはよかったらしいと思います。これまでの2作品に共通していたテーマが、『ナンバーファイブ吾』ではさらに深く掘り下げられていました。
「すべてはひとつのものである」というようなことを、松本大洋のこれまでの作品を読んで感じてきたのですが、今回の『ナンバーファイブ吾』ではさらに「そのうえでどうあるべきか」というところにまで問題が進んでいるように感じます。どうして、このようなテーマを、このように表現することができるのでしょう。そして、どうしてこんなにも感激させられるのでしょうか。分かりません。とにかく半端ではありません。
主人公に与えられた名は No.吾(5)。虹組と呼ばれる組織の9人のうちのひとりです。No.吾(5)は仲間であった者たちから追われます。ちなみに他の8人は、No.王(1)、No仁(2)、No.惨(3)、No.死(4)、No.岩(6)、No.亡(7)、No.蜂(8)、No.苦(9)。相変らず名付けが上手です。No.吾(5)は、そのひとりひとりと戦うことになります。
物語については、これ以上どのように述べたらよいのやら、今のところさっぱり見当もつきません。とりあえず、以下に読んでみて思い付いたことを走り書きにしてみます。
* 目も開けられぬほどに強い光は、目を開けていても何も見えぬほどの暗闇と同じことである。
* 混じり気のない両極端なもの2つのいずれか一方を選ばなくてはならないということはない。同時にそのどちらでもあるということ(あるいは、どちらでもないということ)も可能ではないか。
* 食べ続ける女マトリョーシカを通って、死は生となる。
* そのマトリョーシカが選んだのは、No.王(1)でも元No.仁(2)でもpapaでもなく、No.吾(5)である。受け継がれるものは何か。
* 光はひとたび放たれたならば、どこかへ届くまでいつまでもずっと飛び続ける。
No.王(1)という人物は、平和で美しい世界というものをあまりに純粋に望むが故に、異なる意見や思想が存在する余地を与えません。彼の悲しいのは、それに尽きます。全ての人間が彼と同じ思想を持ったならば、いや、全く同じ思想を持たない限りは到底実現不可能な世界を望むのです。悲しい。悲しい。けれど、私はなんだか No.王(1)の気持ちが分かるのです。彼の望みは、その望み方があまりに純粋であるためにほとんど狂気とも言えるものですが、内容はとてもささやかで美しいものです。そのことを思うと、私は涙が止まりませんでした。悲しい。悲しいです。
ほんとうはもっと書きたいことがあるのですが、思い出し泣きをする上にうまくまとまらないので、また今度にします。刺激が強過ぎて、振り返ることはどうにも恐ろしいのだけれども、私はこのシリーズをちゃんと買って手もとに置いておこうと思います。もし読み返すことができたら、そのときにはもうちょっと書けるかもしれません。
引用したのは、最後のほうの一文です。
私は心から願います。
この人の語りかける言葉が、遠い星から何百年も昔に放たれた光が今我々の目にうつるように、ここからずっと遠い先にいる誰かにも届くことを。そう願わずにいられないほど、この人の言葉や世界は、あまりに美しいのです。
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