G・ガルシア=マルケス 木村榮一訳(新潮社)
《あらすじ》
これまでの幾年月を表向きは平凡な独り者で通してきたその男、実は往年夜の巷の猛者として鳴らしたもう一つの顔を持っていた。かくて昔なじみの娼家の女主人が取り持った14歳の少女との成り行きは……。
悲しくも心温まる波乱の恋の物語。2004年発表。
《この一文》
“私は、事物には本来あるべき位置が決まっており、個々の問題には処理すべきときがあり、ひとつひとつの単語にはそれがぴったりはまる文体があると思い込んでいたが、そうした妄想が、明晰な頭脳のもたらす褒賞などではなく、逆に自分の支離滅裂な性質を覆い隠すために考えだされたまやかしの体系であることに気がついた。 ”
だいぶ前に買ったまま、なんだか読めそうな気がしなくて放置してあったのですが、昨日ようやく目が合いました。すると読めた。驚くほどのスピードで読めてしまいました。なんてこった。本の見かけほどに長くもなければ、恐れていたほどに詰まらなくもなく、むしろ走り出したくなるような高揚感があるではないですか。
『わが悲しき娼婦たちの思い出』という題ですが、あまり悲しくありませんでした。それどころかとても明るい老人讃歌。老いてますます元気。数え切れないほどの女たちと交わってきた元新聞記者の90歳の老人が、自分のそばで裸でただ眠っているだけの14歳の少女への初恋に熱狂し、今も新聞の日曜版に出しているコラムの中で燃えるようなラブレターを書き募り、誤解にもとづく嫉妬から部屋の装飾品をぶんなげてめちゃくちゃにしちゃったりするという愉快な物語でした。けれども、たしかに老人と少女との愛は情熱的かつどこか神秘的で美しかったのですが、老人が過去に捨て置いてきたさまざまな女たちとの思い出はなるほど少し悲しいものばかり。そういうタイトル通りのところから始まって、意外に明るく終わるお話でした。
この小説は、こういう一文で始まります。
満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、
自分の誕生祝いにしようと考えた。
そして老人はその通り、狂ったようにうら若い処女を愛することになります。物語の冒頭には他にも予言めいた言葉が書き連ねられていますが、最後まで読むとその通りになるところが面白いですね。眠っている少女の手相を書き写して占師に見てもらうとか、乙女座の人間はどうだとか、そういう呪術めいたことが人物の言動の中にさりげなく紛れ込んでいるところがやはり魅力的でした。
実は最初はこれまでに読んだガルシア=マルケスの作品とは違った雰囲気を感じたような気がしたのですが、ハッピーエンドの予感が珍しかったのでしょうか、いずれにせよ変わらず面白かった。文字から目が離れませんでした。飛ぶように、猛スピードで文字が飛び込んできました。楽しかった。
結局のところ、老人は少女に対してこれといった行為に及ばず、眠る姿をひたすら眺め、汗を拭いてやり、体中に接吻するくらいです。起きている時の少女がどういう人物なのかを知らず、声を聞いたこともなけば(老人が空想の中に作り上げた少女は話すけれども)、本名も知りません。娼家の女主人の口から断片的に伝えられる情報があるだけです。けれども、老人と少女の間には確かに燃えるような愛情が通い合っているらしいという不思議。不思議なお話です。初めての恋に燃えて、いつ死んでもおかしくないと自分では思っていた老人が、全然死にそうにもなくなっていく過程が愉快です。自転車にだって乗ってしまいます。やる気がみなぎっている様子には、読んでいるこちらも元気がでるようですね。
しかし、そのような明るく愉快な老人の恋の向こう側に、これまで通ってきた無数の女たちの思い出が浮かんでは消えて行きます。そこには悲しみがある。たとえば、老人の家の家事をしに若い頃からずっとやってきていたダミアーナには、老人は肉体的な欲望を感じて関係を持ったものの恋愛は生まれず、「二十二年間あなたを思って泣いた」という老いたダミアーナをよそに、老人は別のところで「セックスというのは、愛が不足しているときに慰めになるだけのことだよ。」なんて言ったりもしています。なんて残酷なんだ。
想っても、相手からも想われなければ悲しいものとなってしまう愛もまた描かれていました。
悲しい思い出を越えてのハッピーエンド。この明るい終わり方が私はとても気に入りました。また、全体的に主人公がとぼけた感じに描かれているのが良かったですね。他にも老人が何人か登場しますが、誰も老いているからといって惨めに描かれ過ぎない。それがいいです。
面白かったです。いくつになっても初めて知ることがあるらしい。そいつは素晴らしいぜ!
『歳をとるという事』について書かれたと言う意味でこれと「コレラの時代の愛」はセットだと思います。ぜひ続けてお読みになることをお勧めします。
あと元ネタの川端康成「眠れる美女」もぜひ。
やっと読みました(/o\;)
『コレラの時代の愛』は、実はまだ買ってもいないんですよね。これはずっと翻訳を待っていてようやく出た本だというのに、私ときたら……。
川端康成のほうはなんか暗そうですが、いずれ読んでみたいと思います!