goo

麻婆豆腐をつくってみた

2007年02月08日 | 手作り日記
赤い海では何が釣れるの、ピングー



***************

――私、実は中華が得意なんです(きっぱり)。酢豚が得意なので、ここ数年間は執拗に酢豚をつくりつづけていましたが(中華が得意というわりに、レパートリーは酢豚1品のみ。すがすがしい青春)、最近はいよいよ麻婆豆腐にも手を出してみました。

これまでの私がなにか食べるもの(とくに和風な感じのもの)をつくると、家族からは決まって「味がしない」「…味が薄くない?」「味をつけてないでしょ?」という1通りの評価しか受けられなかったものです。だがしかし、今やようやく悟りました。私には和食は向いてないということが! あの微妙な味付けのさじ加減が、私にはどうにも分かりません(さじを使わない「目分量調理法(オリジナル)」のせいかもしれない)。

そんな私には、中華です! 救世主! 今までのところ、味が薄かったことは一度もありません! おお! すばらしい。目分量でもおいしく出来る!

ちなみに、「酢豚のもと」とか「麻婆豆腐のもと」などは一切使っておりませんことよ。ちゃんと酢とか醤油とか豆板醤で味をつけておりますですよ。ふははは。


でも、今日はぼんやりしていたら豆腐がくずれてしまって、やや失敗。しかも、こんな器に盛ってしまったので、あまりおいしそうにも見えませんけれども、しかし、おいしいかったですよ。満足です。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

私の女王さま

2007年02月06日 | もやもや日記
愚痴はどんなものだろうとも見苦しいので、昨日の記事は期間限定ということで。あー、我ながら鬱陶しかった。


というわけで心機一転、昨日と同じ画像を使った2コマ物語をどうぞ。
主役は我が家のアイドルのかえる。
見よ、このカリスマ。
この圧倒的な魅力のまえには、もはやひれ伏すしかありません。


**************




う~、う~む、けろけろ。
はっ。





なんだかとっても嫌な夢にうなされていたような気がするわさ。
昼ご飯がどうとか、こうとか。
意味は全然分からなかったんだけどさ。
寝苦しかったー。


え?
冬眠じゃなくってよ。
この暖かい日和に、のんびり寝てなど居られないわさ。
あっちにもこっちにも行きたいんだわさ。
ほんとは年末ジャンボに当選して、今頃は豪華なリゾートだったハズなのに。
アタシにくじを買わせてくれてさえいればねえ…次回はやるわさ。

ま、アタシはこの魅力のおかげで、たいていのところは顔パスだから、
リゾートくらい行こうと思えばいつでも行けるけどさ。
アハハハ。

***************




あー、かえるはいい性格してます。落ち込むのもばからしくなるほどの、この魅力。カリスマ!
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

太巻きの日

2007年02月03日 | もやもや日記
どうも最近は、薄暗い記事が続きましたので(いつものことですが)、ここらで明るい話題をひとつ――。


**********************


さて、今日は、節分。太巻きの日です。

最近では全国的にもよく知られているように(多分)、関西では節分の日に縁起の良い方角(今回は「北北西」らしい。太巻き売り場では、必ずいつも親切に教えてくれている)を向いて太巻きを食べるんだそうです。私もこれで3度目の《恵方巻き》でございます(しかし2度目だった去年は経済状況の悪化から、太巻きが買えず。細々としたカッパ巻きに寂しくかじりつきました。ああ)。

というわけで、「太巻き2本セット」を買ってきました。今日は、スーパーはもちろんのこと、コンビニでも太巻きが盛大に売られております。まるでクリスマス・ケーキを売るかのような賑わいなのであります。
来年は自分で巻いてみるのも楽しいかも。割となんでもすぐに自分でやってみたくなる私が、巻き寿司を作るということに今まで思い至らなかったのは不覚です。

あー、それにしても、なんだか理由とか由来とかはよくわからないけれど、こういうイベントは妙に楽しい。


ちなみに、太巻きを食べるときは無言で食べると良いんだそうです。しかも、あのでかい太巻きを切らずにもぐもぐと食べるのが良いんだそうです。………。うむ、無闇に神秘的でよろしい。
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

高き力

2007年02月03日 | もやもや日記
すっかり忘れてしまったと思っていても、無意識のうちに確かな繋がりを築かれているということもあるようです。


以下、私がすっかり忘れてしまったと思っていた、ある詩。


”あなたのなかで私は生きる、あなたが側にいなくとも。
 自分だけでは死んでいる、現にここに在りながら。
 どれほど遠く離れていようと、あなたはいつも側に在り、
 どれほどこの身が近かろうと、それだけでは私は不在。
  私が自分のなかよりもはるかにあなたのなかで生きるゆえ 
 自然が侮辱を受けたと感じるとしても、
 平然と働き、私のこの罰当たりの肉体に
 魂を注ぎ込んでくれる高き力が、
 自分だけでは本質を欠いたままである魂と見てとって、
 あなたのなかで拡充してくれる、これが最大限可能な大きさと。

   モーリス・セーヴ「デリー 144番」(『フランス名詩選』岩波文庫)より”


そうだった。
いや、そういう意味だったんだ。やっと分かった。
2年程前、これを読んで「いいなあ」と思ったことは、しかしすぐに忘れてしまったけれども、私は底のところではきっと忘れてはいなかったのだ。今日また偶然にこの一節と再会してみると、どうしてあの時の私がこれを気に入ったのかが、とても良く分かる。
あの頃の私は既に「私のこの罰当たりの肉体に 魂を注ぎ込んでくれる高き力」を意識しはじめていたに違いない。



こんな感じで、なんだか妙に感激しました。
私は実は運命とか巡り合わせとかいうものを切実に信じています。その時、それと出会うということは偶然ではありません。その時には何気なく通り過ぎたとしても、後になってみると必ず、出会わなければならなかった理由が、そうしなければならなかった理由が分かるのです。

私の行く道には、こういうスイッチが至る所に隠されているので、それを見つける楽しみが夢のように広がっています。
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

びかびかする

2007年02月01日 | もやもや日記
 昼休み。借りてきた「ちくま日本文学全集 島尾敏雄」を何気なく読んでみた。別の本でこの人の「摩天楼」という作品を初めて読んだ時から、なにか妙に気にかかる。何が気にかかっているのかと思ったら、それは多分、この人の文章が気にかかるようだ。とても読みやすい美しい文章。そして、美しい言葉からなる恐ろしく孤独な物語。どうしてこんなに孤独なのか。いや、どうして孤独なのかは少しは分かる気がする。分からないのは、どうしてこんなに美しいのかということかもしれない。

 「島の果て」というほんの短い作品を、休み時間のあいだに読むことができた。何もかもがあまりに悲しくて美しいので、泣いてしまいそうになるというよりも、むしろ感情がゆき過ぎて金縛りにあったようだった。まだ午後から仕事が残っているのに困ったな。


 仕事帰りに、予約しておいた本を取りに図書館へ行った。少しずつ日が長くなってきてはいるが、建物の外に出るともう暗かった。既に借りている一冊の延長を申請し、新しい本も借りてきた。

 図書館を出たところの階段を上がると、小さな丘のような形をしている公園の最上部へと出られる。昼間ならばベンチで休んでいる人がちらほらいるが、もう夜なので、誰もいなかった。

 木々の間を抜ける小道を下ろうとすると、ビルの向こう、東の空45度ほどの位置に、まだ少し黄色い月がびかびか光っているのが見えた。

 こんな日に、こんな時間に月を見たりしてはいけなかったかもしれない。と思ったが、もう遅い。ひとりで、誰と分ち合うこともなく月を見上げていたら、ものすごい絶頂感がやってきた。真っ白だったあの時と、燃えるようだったあの時に続き、この月の色もきっと忘れられない月の色になる。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
   次ページ »