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2009年01月19日 | もやもや日記


昨日、日が暮れた後、こころもち暗い気持ちで(私はわけもなく時々こうなる)ひとり家路を辿っていたら、すぐ前をゆっくりとした足取りで歩いていたおじいさんの鼻歌が聴こえてきた。

私は気持ちがふさいでいた上に、抱えていた荷物が重かったので急いで帰ろうと、早足で歩いていたのだけれど、速度を緩めて、しばらくおじいさんのすぐあとをついていった。何の歌をうたっているのかは分からなかったけれど、なんだかほっとした。

ご機嫌な人の声は、人を落ち着かせるらしい。
私には何も急ぐ理由がない。のんきに鼻歌でもうたいながら寄り道しまくったとしても、たぶん全然困らないんだよなあ。ということに気が付いたのは、今日になってからなんですけど。

鼻歌をうたうような癖をつければ、私もいつもご機嫌でいられるだろうか。ああ、それはなんだか幸せそうだな。


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同人誌『ツルバミ』はこんな感じ(後編)

2009年01月18日 | 同人誌をつくろう!



「同人誌『ツルバミ』はこんな感じ」(後編)でございます。未読の方への宣伝になると良いのですが。



『山田ゆたか、OL、24歳、カレシなし。』(ねこきむちさん)

ねこきむちの良いところは、まず勢いが凄いところです。筆の速い方で、いつも大量に投稿してくださいます。ありがとうございます(^^)
そのなかから今回はこの『山田ゆたか…』を選ばせていただきました。理由は、私がこれがすごく好きだから!(スミマセン、そんな理由で;) わりとハードな作品が多いねこきむちさんですが、この作品は一転してものすごくほのぼの。
具体的にどこが好きかというと、この「何も起こらなさ」が絶妙なのです。私はこういう事件とか場面の急展開とかがないのも好きです。それでいて、ちゃんと不思議なことがじわじわ起きていて(山田ゆたかのもとへ、個性的な女の子が次々と居候としてやってくるあたり)、爽やかな結末にはほのぼのしてしまいます。

『コーヒーにハチミツを入れてくれ』 はおまけ漫画です。山田ゆたかと愉快な仲間たちのその後が垣間見られて楽しいです。バッハのコーヒーカンタータというのが元になっているそうです。コーヒーが大好きな女の子のお話♪ 


*『木いちごの虫』(百代紅葉さん/切り絵:夏鳥さん)

北欧を舞台にした人形劇のシナリオです。
紅葉さんは前回も『つるにょうぼう』のシナリオで参加して下さいましたが、いずれもシンプルで分かりやすく仕上げてあります。実際に人形が動かせそうです。観客を意識して、メリハリのある構成になっているところがさすがです。
木いちごについていた小さな虫を助けてやった姉妹のお話。パンケーキとジャムがあまりにおいしそうなので、おなかが空いてしまいます。

そして、扉ページには、美麗な切り絵を配置してありますが、これは「ミモザ」の夏鳥さんによるもの。なんて器用なんだろう! 私は初めて生で本格的な切り絵を見たのですが、あまりの繊細さに悶絶しました!


*『コロッケ哀史』『冷蔵庫』(梶谷友美さん)

「コロッケ哀史」は、コミカルなリズムで貫かれていながら、内容は意外とダークだったり。そのあたりのギャップが面白いです。デパ地下のような、明るいような暗いようなところを舞台にしているところがさすが。

「冷蔵庫」は、じんわりくる短篇。私としては、今度の自分のマンガの内容に繋がるものを感じて、勝手に親近感をもっています。夢から覚めてしまうときのあの感じがすごく出ていて、胸が痛みます。


*『夢のなかで』(ノトマユミ)

………。私の描いたマンガです。マンガなのですぐに読めます。……えーと、とにかくマンガですね。制作時間だけはかかってます!
前回の『サンショウウオ』の、いちおう続きになっています。夢ネタです。私が実際に見て死ぬほどドキドキした夢を元に描きました。ああ、もう一度あの続きが見たい! という想いが若干込められています。
すぐに読めてしまうので、出来れば3、4回繰り返して読むことをおすすめします。画像を保存なさっても良いですね。慣れれば微妙に面白くなってくるかもしれません。もし、ほんとに面白くなってきた場合には、どうかお知らせ下さい!(目下実験段階)



というわけで、今回の同人誌『ツルバミ』はこんな感じです。
興味がわいたという方、今すぐこちらからどうぞ!

  →→ 『ツルバミ』web版




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同人誌『ツルバミ』はこんな感じ(前編)

2009年01月17日 | 同人誌をつくろう!

公開中の『ツルバミ』ですが、せっかくいただいた作品を公開しっ放しというのもなんですので、見どころや私の感想などを簡単に書かせていただこうと思います。これから御覧になる方への宣伝になると良いのですが(^^)



*『深山幻想』(梶谷友美さん/絵:小笠原夕希子さん)

美しいイメージカットが添えられた短篇小説。まず絵と文章の組み合わせが、コマのない漫画のようで面白い作品です。その後に本編が続きます。
梶谷さんの文章はいつも、どこからが本当でどこからが創作なのか分からなくなるほどリアルです。目に見える言葉を使う人っているんですね。「全部嘘だから」と言われても「全部ほんとだよ」と言われても、その都度真に受ける自信が、私にはある。
そんな感じです。ああスミマセン、訳が分からない説明で。なんとなく分かって下さい。


*『秘密』(沢さくらさん)

今回が初投稿の沢さくらさんの作品。
記憶をテーマにした感慨深い短篇。短いながらも考えさせられる作品でした。共有された記憶の行方、そもそも記憶とはどういうものなのかについて、私はしみじみと考えてしまいました。あと、作品のテーマには添わないかもしれませんが、「過去って、なんで痛くなるんだろ……」とも激しく考えてしまいました。
という感じで、色々なことを考えたり、思い出させられたりする作品です。


*『ヱビスビールのほほゑみ』(烏合さん)

短歌を二十三首。
私は大昔に短歌を専門にしていたような記憶がおぼろげにありますが、前世の記憶なみに曖昧なので、すべて印象で語ることをまずお赦し下さい;
不思議なんですが、短歌というものは、ごく短い言葉の連なりでありながら、言葉の選び方や配列、リズムのなかには如実にその人のひととなりが表れてくるようです。
ここにあげられた歌にも、まさに烏合さんという人が表れています。どこまでも静かに、柔らかくありながらしかし切りつけるような鋭さを感じます。私が「切られた」ように感じた(とくに眼球を)のは、次の一首。

  冬空へ紐帯として凧を放つ少年の額(ぬか)をよぎる鳥かげ

なんか痛かった。鮮明すぎて。でも、全体的にほのかなあたたかさがあるんですよね。そこが烏合さんらしいところなのです。で、色が綺麗なんだ。こういう人は、写真を撮るのがうまいのじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう。


*『白さと無数の円および楕円』(入江ほとりさん)

実は、前号の『YUKIDOKE』のために、私は最初、短い寓話のようなものを書こうと思っていました。小説風に。しかし私に物語を書く技量などあるはずもなく、しみじみしつつもあっさりと諦めました。
すると、次の『ツルバミ』のために、入江さんから詩が届きました。私は驚きました。というのも、そこには私が書きたいと思いながら書けなかったことが素晴らしい美しさで書かれてあったからです。小躍りしました。入江さん、ありがとうございました♪

 思いきりトロンボーンを吹け

ここが一番好きです。実に美しい詩です。


*『ミモザ』(夏鳥さん)

『YUKIDOKE』に寄せられた「アジュライト」の続編です。
まさかの続編に、私はたいそう興奮させられました。ああ、今度はあの人が主人公なのね! わ~っ!
前作「アジュライト」は夏鳥さんらしく、美的で優雅な世界でしたが、続きが読めるとは!
柔らかな毛皮、色鮮やかなカクテル、ピアノの響き、美しい登場人物たち、はあぁ~~、描写がいちいち美しくてうっとりです。さらに続きが読みたくなることうけあいですね♪ 私はシリーズものって大好きなんですよね。



というわけで、この「『ツルバミ』はこんな感じ」は全2回。
なんか、全然紹介になってないような気もしますが(スミマセン;)、本日は、前編です。残りの作品をご紹介する後編は明日の予定。
興味を持たれた方は是非『ツルバミ』ウェブ版のほうへお立ち寄りください♪

  こちらからどうぞ★ →→ 『ツルバミ』web版



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2009年01月15日 | 手作り日記


オイルサーディン缶をみつめるペンギンの図。
産地へのこだわり。



ペンギンを正面から描くのは難しいのですが(私には)、こういうポーズなら描けるのではないかと思い試してみました。まじまじと缶詰をみつめている感じが少しは表せたかなと満足しています。それにしてもデカイ画像でスミマセン。

オイルサーディン丼が食べたくて仕方のない今日この頃。
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『恋文日和』

2009年01月14日 | 読書日記ー漫画


ジョージ朝倉(講談社)



《あらすじ》
図書館の本に隠された手紙、風で学校の屋上まで飛ばされてきた手紙、FAX、携帯メール、ビデオレター、交換日記。さまざまなやり方で交わされる、さまざまの恋文を描く短篇集。


《この一文》
“ 君は雪だ
 僕を白く冷たく凍てつかす雪だ。
   ――「図書室のラブレター」(第1巻)より ”


つい魔が差して、3巻まとめて買ってしまった。
いや、好きなんです。私は前からこの短篇集が好きで、そもそもジョージ朝倉さんが好きなんです。『少年少女ロマンス』とかは買って持っていますが、とんでもなく弾けていてすごく好き。でも、この『恋文日和』は、好きだけど買えなかった。なぜって………。

ジョージ朝倉という人の魅力がどこにあるかというと、それはたぶんハチャメチャで強引な展開と、それを支える思い込みの激しすぎる登場人物、にもかかわらず読者の心を掴んで放さない力強く美しいモノローグではないかと。荒っぽい画風(初期では特に。最近はかなり上手くなってしまって逆に寂しい気もする)と、過剰にロマンチックな設定のミスマッチがたまらない。個人的には、この人は長編よりも、中編あるいは短編でより活きる人なのではないかと思いますが、いかがでしょう。

で、『恋文日和』であります。
私にはいくつかお気に入りの話があり、第1巻の最初「図書室のラブレター」などは、かなりキました。これはくるでしょう。
図書委員のリリコはある日、返却された本の間(その本は彼女がついこの間読んだばかりの本)に自分宛の手紙がはさまれているのを見つける。差出人が分からないまま、お互いに好きな本を教えあって、手紙のやりとりを続けるのだが――というお話。ぐはっ。
「僕は」なんていう手紙を貰ったら、きっと素敵でしょう。私もそんな手紙が欲しい。そんな恥ずかしいことは出来ないなんて言わないで、私のために書いてほしい。そして私が読んだあとに君も読んだその本の間にはさんでおいてください。そうしたら私は君のことをもっと深く知ることができるのではないかな。

そう言えば、私が好きだからという理由で、シュトルムの『みずうみ』や三島由紀夫の『憂国』を読んだ人のことを思い出した。私のことが知りたくて、私の好きな本を読んでみる。そのことに私はどんなに打たれたか分からない。そんな人ははじめてだった。すぐに好きになってしまった。今でも好きだ。K氏のことだ。
あとになると、そうやって私に近付いてくれる人はたくさん現れた。そのたびに私は心を動かされたものです。男女を問わず、そんなふうに私を分かろうとしてくれる人にたいしては、ちょっと気恥ずかしいような、胸がいっぱいになるような、感謝が湧いて出ます。すぐ好きになって、やっぱり今でも好きです。あなたのことです。

というわけで、このお話は素敵ですよ。謎の差出人はSF好きというところがツボ。『スラン』は私も読んでみたいのでした。

第2話「あたしをしらないキミへ」(第1巻)、第6話「真夜中のFAXレター」(第2巻)もなかなか。少女漫画らしい爽やかさで良い感じです。

映画化もされたこの『恋文日和』という連作短篇集は、間違いなくジョージ朝倉氏の出世作と言えるでしょうが、その地位を確実にしたのは次のこの作品でしょう。

第8話「イカルスの恋人たち」(第2巻)。
私は最初にこの話を読んだ時、涙が止まらなくて、哀しくて美しい物語に驚きました。あんまり泣けてくるので、その当時はコミックスを買って所有するのは断念しました。しかし先日ふとまたこのコミックスが目にとまり、私は懐かしく思うと同時に、そもそも私は何にでもすぐに泣いてしまう質ですから、「前のはちょっと気のせいだったかも」と考えて買ってみることにし、さっそく読み返してみましたが、やはり涙が止まりませんでした。確認のためにもう一度読み返しましたが、結果は同じでした。
やたらと涙が溢れ出てきて困ります。

「イカルスの恋人たち」の完成度は異常です。どこからこんな物語が浮かんできたのでしょうか。咄嗟にこの物語の面白さを理解することは出来ません。ただ、何か押し流されるように、圧倒されるだけです。どうしようもなく哀しい物語ですが、そのためにかえって美しいという。落ち着いて考えれば、わりと単純なありがちな設定かもしれませんが、しかしここにはただならぬものが確かにあります。

両親の愛を一身に受けた出来のいい兄が病気で死に、形見分けとしてデジカムを貰おうとケースを開けた健二は、そこに兄からの手紙を見つける。そこには1本のビデオレターが同封されていて、それを恋人に渡してほしいと書かれていた――というお話。

終わったところから始まっているのが、この作品を得難いものにしているようです。兄の康一は死んでしまっていて、すべてはもう遅いようにも思えるのですけれど、それでも、それでも……何だろう。私はそれが何なのかよく分からないんだけども、あ、だめだ、涙が考えることを妨害しやがる。

『イカルスの星』という越路吹雪の歌が作中で歌われています。こちらもむやみに美しいイメージの歌。その歌詞が効果的に使われているので、いよいよ涙が。

私は泣きますが、でも、この涙はなんというか、登場人物に感情移入してとかいうよりも、そもそも私から出てくるというよりも、私を通り過ぎる何か美しいものを、私自身では受け止めきれなくて、余ったものとして、溢れるものとして静かにこぼれ落ちていきます。
漫画を読んでいるとときどきそんなことがあるので、私はどうしても読むのをやめたくないのでした。

結局は、買って良かった。


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『夜鳥』

2009年01月12日 | 読書日記ーフランス
モーリス・ルヴェル 田中早苗訳(創元推理文庫)


《内容》
仏蘭西のポオと呼ばれ、ヴィリエ・ド・リラダン、モーパッサンの系譜に連なる作風で仏英の読書人を魅了した、短篇の名手モーリス・ルヴェル。恐怖と残酷、謎や意外性に満ち、ペーソスと人情味を湛えるルヴェルの作品は、日本においても〈新青年〉という表舞台を得て時の探偵文壇を熱狂させ、揺籃期にあった国内の創作活動に多大な影響を与えたといわれる。

《収録作品》
或る精神異常者/麻酔剤/幻想/犬舎/孤独/誰?/
闇と寂寞/生さぬ児/碧眼/麦畑/乞食/青蠅/
フェリシテ/ふみたば/暗中の接吻/ペルゴレーズ街の殺人事件/
老嬢と猫/小さきもの/情状酌量/集金掛/父/
十時五十分の急行/ピストルの蠱惑/二人の母親/
蕩児ミロン/自責/誤診/見開いた眼/無駄骨/
空家/ラ・ベル・フィユ号の奇妙な航海/

《この一文》
“彼は今、或る妙な思いに浸っているのだ。その妙な思いというのはこうだ――おれがあんなに度々あんなに熱心に憬れた夢が、今実現された。おれはついに申し分のない幸福な心持を味わったのだ。不断狂人になるほど希っていたように、実際の金持になったり、美味いものをたらふく食ったり、美人から恋(おも)われたりするよりも、今のこの歓びの方がどんなに尊いか知れない。
   ――「幻想」より          ”




図書館でふと目に付いたので、借りてみました。すると最初の「或る精神異常者」をつい最近読んだばかりであったということに気が付きました。あっ、あの人だったのか。これは河出の『フランス怪談集』に収録されていました。意外な、恐ろしい結末の短篇です。

ごく短い物語はどれも非常に面白いのですが、よくもまあこんなにも残酷で救いのない、気の滅入るようなものばかり書けるなと感心します。滅入ってくるので私はいったん読むのをやめてしまったら、ここへ戻ってくるためには結構なエネルギーを費やさねばなるまいという予感がしたので、どうにか一息に読んでしまいました。少々やりきれない気持ちになりました。

ただ、残酷で悲哀に満ちた物語ばかりではあるものの、そこには何かすっきりとした、鮮やかな、手際の良さというべきものが感じられるのもたしかです。どんでん返しが多いのですが、いずれもとてもスマートに、効率的に、たとえオチが透けて見える展開であったとしても、結末は胸に刺さるような強い印象を残します。そのあたりが凄かった。面白い。

特に印象的だったのは、「幻想」という作品。ある冬の寒い日に、ひとりの乞食が「たった一時間でいいから、金持ちになりてえなア」などと考えていると、犬を連れた盲人の乞食に出くわす。最初の乞食は、盲人の乞食が可哀相になり、目の見えない彼に対して「親切な金持ち」のふりをするのだが――というお話。
泣きそうになりました。最初の乞食は、なけなしの所持金で盲人の乞食にごちそうしてやるのですが、そのことで負けず劣らず貧しい自分の境遇を忘れてしまうほどに無上の幸福を感じるのです。このあたりが実に感動的。
しかし、この物語の凄いのは、ここで終わらないこと。悲しい結末が待っています。絶句しました。何とも言えない気分です。だが、凄い切れ味だ。これがこの人のうまいところらしいです。

もうひとつは、「ふみたば」。これはなかなか洒落た短篇でした。登場する男女がともに、すごく意地が悪い。その意地の悪さ加減が洒落ています。なんとなくフランスらしくて良いです。それほど残酷でない(ような気がする)ところが、私を少し落ち着かせました。ニヤリとするような感じ。

ほかにも、さまざまな道楽に飽きた男が熱心に自転車曲芸の見せ物に通うようになった理由とは――、ずっと可愛がってきた息子が実は自分の子じゃないのではと疑うに至った男のとった行動とは――、斬首刑になった恋人の墓に供える花を買うために女が身を売った相手の男の正体は――、話題の殺人事件で犯人の残した特徴的な手形を警察の嘱託医である私が列車で乗り合わせたほかの乗客に見せると――。ああ、次はどんな不幸な結末になるのやら、とハラハラします。

振り返ってみると、どの作品もやはりとても魅力的です。スピード感、迫力があります。残酷のなかにも、ある種の美しさを、暗い歓びのようなものを描き出しています。一気に読んでしまうよりも、ひとつずつ、じっくりと読むのが良かったような気がしてきました。そして妙な話ですが、読み返しているときのほうが最初に読んだときよりも面白い。
……なんでだろ。借りて読めば十分と思っていましたが、やはり自分でも持っていたほうが良いようにも思えてきました。


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晴れてます

2009年01月11日 | もやもや日記


今日も大阪は寒いですが、晴れています。
しかし、雲はやや多めなので時々薄暗くなったりもします。それでも雪国の冬に比べたら、快適なんていうものではありません。空気が妙に静かです。静かさで言えば、郷里のほうでも吹雪でない雪の日はとても静かには違いないのですけれど。あちらの冬は滅多に晴れないんですよね。


年が明けてから、私はわりと精力的に読書できるようになりました。どういうわけか、昨年は思うように物事に集中することができなくて、読書以外のこともずいぶんとおろそかになってしまいました。反省。気持ちをいれかえて、山のように積んである諸々の小説を少しずつ読んでいこうと思います。

それと、くだらないマンガも描きたい。
『ツルバミ』用に描いた作品は、あれでも私としては力作なのですが、正直言ってまだ描くのが早すぎたと思います。もっとうまく描けるようになってからやるべきでした。まあ、やるだけはやったという達成感はありますけれど……。
次のは、いつものようにもっとくだらないもの。描いても描かなくてもいいようなマンガを描きたいです。私にはやはりそういうのが合っているようですし、その方が人にも喜んでもらえる気がする。今回の「夢のなかで」は、私は私自身のために描いたのですが、そのために一層独り善がりに完結してしまったと反省しています。また、物語に明確な筋道や意味を持たせるとか、そこにメッセージを込めるとか、そういうのは私には随分と苦しく難しいことらしいと分かりました。やはりどこまでも曖昧なのがやりやすい。のびのびと描くことができなければ、物語はおのずと勢いを失っていくようです。これが分かったのは、しかし大きな収穫です。次に活かします。

実際にやってみて、何か得るものがあったというのは清々しいですね。色々と悩んだり反省したりしてみても、今日の空のように、私はどこか晴れ晴れとした気持ちがしているのでした。


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『ツルバミ』製本について

2009年01月10日 | 同人誌をつくろう!

同人のみなさん、こんにちは!


さて、ウェブ版がどうにか公開に至りましたので、次は冊子の製本作業に入りたいと思います。
今回も私が製本させていただこうかと思いますが、「やっぱりちゃんとした本を作りたい」等々、ご意見がございましたら遠慮なくどうぞ☆

それで、とりあえず私の意見を述べさせていただくと、今回は上製本(ハードカバー)ではなく、並製本(ソフトカバー)にしようかと思うのですが、いかがでしょう? そのかわりに、おもに表紙とイラスト部分の紙質を向上させようかなと考え中です。
また、製作期間については、「2月末日までには発送完了」を目指しています♪

製本に関して、みなさまからもご意見・ご希望・アドバイスをいただけるとありがたいです。
掲示板の方でもよろしいので、どうぞよろしくお願いします!


あ、それと、そのうちにみなさまにアンケートメールをお送りしますので、そちらもお願いします! お送りする際には改めてここでお知らせしますので、もうしばらくお待ち下さいませ♪
よろしくお願いします~!



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『絶対子工場』

2009年01月08日 | 読書日記ー東欧

カレル・チャペック 金森誠也訳(木魂社)



《あらすじ》
「MEAG企業」社長G・H・ボンディ氏は1943年の元日に、新聞を読んでいたところ、ある発明広告に気が付いた。そして広告を出したのが、かつての学友マレク技師であると知り、さっそく会いに行くことに。マレク技師による恐るべき発明品【炭素原子炉】は〈絶対子〉と呼ばれる霊子をまき散らし、世界を混乱の大渦へと巻き込んでゆくことになる。


《この一文》
“「人は誰しも、人類に対しては限りない好意を寄せています。しかし、個々の人間に対しては、けっしてそんなことにはなりません。わたしは個々の人間を殺すでしょうが、人類を解放しようと努めるでしょう。だが、それは正しくないのです。神父さま。人間が人間を信じようとしないかぎり、世界は邪悪のまま留まることでしょう。  ”




ずいぶん前に一度読んだことがあったので、大筋は分かっているつもりでしたが、読み返してみて私はほとんど理解していなかったことと、読み終えた今も依然としてあまり理解できていないということが分かりました。それでも、たしかにこの物語は面白いと言えます。もし私がもっと努力をするならば、この物語は一層その面白さを増して私の前に現れることでしょう。

マレク技師による世紀の発明品【炭素原子炉】は、物質を「完全に」燃焼することによって無限ともいえるエネルギーを引き出すことを可能にします。しかし、その際「絶対子」と呼ばれる不思議な霊子が発生し、それを浴びた人々は突如として神の啓示を受けたがごとく熱狂し、しまいには奇跡を行う者まで現れます。このあまりに巨大な威力に怯えたマレク技師は、自らの力では【炭素原子炉】を保持することができず、旧友の資本家ボンディ氏に売り渡すことにします。ボンディ氏は精力的に【炭素原子炉】を生産し、世界中に売却するのですが、炉が設置された各地できわめて奇妙なことが起こり始め………という物語です。
結局、暴走する【炭素原子炉】に合わせるように、人々は信仰に、社会活動に、その他あらゆることに熱狂し、しかもそれぞれの熱狂が互いにぶつかり合い、未曾有の大戦争へと発展してしまいます。

チャペックの他の作品『R・U・R(ロボット)』や『山椒魚戦争』でも見られましたが、ここでも人類の世界はいったん破壊し尽くされます。ただ、この人の作品の良いところはたぶん、最後には平穏と希望が用意されているところでしょうか。絶望と破滅の行き着く先に、ささやかな、しかし確固たる希望を打ち立てようとする態度に、私は涙がこぼれるのをとめられません。

情けないのは今に始まったことではありませんが、正直に告白すると私は、チャペックという人が、いったいどういう世の中を理想としていたのかをこれまで理解することができませんでした。今でもはっきりと分かったとは言えませんが、少なくとも彼は、それがどういう思想であれ、自分の意志を押し通そうとするあまり、他者の意見をその存在ごと押しつぶすようなものには強く反対していたのであろうことは読み取れました。
互いの違いを認めず、理解しようともせず、自らの考えをただ一つの正義と信じることの危険は、チャペックのみならず多くの人が語ってくれてはいますが、実際にそのようにならないことの難しさは、我が身を省みれば容易に知ることができます。私自身も、くだらないこととは思いつつ、しばしば「カレーを混ぜて食べるか、あるいは混ぜないで食べるか」といった論争に熱くなることがあります。実にくだらないことではありますが、こういうことは他のことでもよく見受けられるでしょう。自分と違う考えをする誰かを軽蔑せずにはいられない。私たちは、ほんのささいな違いでさえも心の底からは容認することができない。そのために規模の大小にかかわらず、無限にひたすらに争い続けるのです。どうしたら、この不幸な、悲劇的な輪っかの外へ出ることができるのでしょうか。

おそらく、熱狂の中にあっても冷静に、相手の熱狂する対象の奥にも同じように存在する何か価値あるものを、罵りあうことなく、少しずつ理解しながら見つけていくことが、いま考えられるひとつのたしかな道筋なのかもしれません。しかし、どうやってその道に入ったらよいのか、どういう心理が人類をそこへ向かわせるのかが分からない。そんなことは、どうやったら可能なのだろう。

以下は、かつて浚渫船の上で神の啓示を受けたグゼンダ氏の言葉。

“『誰しもおのれの素晴らしい神を信じているが、他の人もまた
  何か善きものを信じているとは到底思えないのだ。人間はまず
  人間を信じなくてはならない。それさえ出来れば、他のことは
  万事うまくゆく』”


神のように強力な力を制御するには、人間はまだ弱すぎるのではないか。まずはできるところから、巨大な力に呑込まれて全てを滅ぼしてしまう前に、たしかなものを、この目に見え、自分の手で実際に扱えるものによって生を存続させていくべきではないだろうか。人類の発展や進歩といったものを、その本当の意味と行き先を、もしかしたら改めて真剣に考えてみるべきではないのだろうか。
と、1922年に発表された本書は、今日に至ってもなお読者をあれこれと深く考えさせる実に興味深い一冊でありました。いったい何をどうしたらよいのかがまったく分からない私ではありますが、いつかこれをもっと深く理解し、ここに何か手がかりを見つけることができたらいいと願うばかりです。



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『モーパン嬢』

2009年01月07日 | 読書日記ーフランス

テオフィル・ゴーチエ作 井村実名子訳(岩波文庫)


《あらすじ》
画家であり詩人である青年ダルベールを虜にした騎士テオドールの正体は? ぼくは男に恋してしまった! 驚愕するダルベール。だが彼の愛人(ロゼット)もまた騎士テオドールの虜となり………。精妙巧緻にからみあう熱烈な二重の愛の物語は、破格の小説技法と華麗な描写で世間の意表をついた。〈序文〉は若きゴーチエがロマン派の宿敵に投じた芸術至上主義宣言として名高い。


《この一文》
“美は人の獲得しえない唯一のもの、最初から美を持たない者は永遠に到達できないものだ。美とは、種を蒔かずとも育つ花、はかなく壊れやすい花、純然たる天の恵みに他ならない。”

“わたしの求める第一義は、肉体の美しさではなく、魂の美しさ、すなわち愛でした。でもわたしの感じる愛は、人間の能力を超えるものらしい。――それでもわたしはわたしの愛で愛するでしょう。それは要求するよりも惜しみなく与える愛です。
 なんとすばらしい狂気! なんという崇高な蕩尽!  ”



久しぶりに髪が逆立ちました。以前からゴーチエは面白いなあ、素敵だなあとは思ってきたのですが、この『モーパン嬢』は想像を絶する美しさと激しさに溢れていました。私はようやく、ゴーチエが求めていたものが何であったかを少しばかり理解することができたと感じます。そして、私自身かねてから憧れ続けてきた「美」に、ゴーチエはいよいよ豊かな色と形、質感を与えてくれたようにも思えます。体中の血が中心に集まって、わなわなと震えてしまいました。
もちろん、同じくゴーチエによる『死霊の恋』のクラリモンドもまた私の女神であることは依然として変わらないのですが、この『モーパン嬢』は物語としての完成度、分量、豪華さ、人物の魅力の強さから言っても、私をさらに打ちのめすに十分なものでした。読んで良かった。生きているうちに読むことが出来てほんとうに良かった!!


物語の主な登場人物は三人の若者。
一人目は画家で詩人のダルベール、何よりも形の美しさを重視し、たとえどんな美女であろうともそのわずかな欠点が気にかかり、結局は心から愛することができないことを嘆きながらも、まだ見ぬ完璧な恋人の登場を夢見ている。
二人目は、そんなダルベールの愛人ロゼット、誰もがうらやむような愛らしい美女、裕福で心優しく、素晴らしい知性を備えた彼女は、不幸なダルベールを慈しむものの実は彼を愛しておらず、心は別の人へ向かっている。
三人目は若き騎士テオドール、完全無欠の美貌を持ち、誰よりも優雅で勇敢、腕っぷしも強い彼は、しかし捉えどころのない謎に包まれている。

これから読もうという方もおいででしょうから、ここであまり物語の内容について語るのはやめておきます。私にはやたらめったら面白かったことだけは確かです。ゴーチエはほんと天才だと思う。
一言、つまりどういう物語であるかを簡単に申しませば、美と愛と真実が暗闇の中で互いに求めあい、激突するという壮絶な、目も眩むような、魂が肉体ごと弾け飛ぶような、苦悩と苦痛と官能と歓喜の、永遠に続く一瞬の物語でありました。
ただ、ただ、美しい!
ただ、ただ、情熱的!

美が、愛が、真実が、かりに一瞬でもこの場で交わったなら、それは空高く舞い上がることのできる力強い翼となり、その先のすべての悲しみと不足をその羽ばたきによってなぎ払うことでしょう。
ほんの一瞬でもいい。ひとたび起こってしまえば、それは永遠に等しいのです。


何もかも、全てを丸くおさめたゴーチエの天才に驚愕しました。誰も何も失わずに、何もかも全てを手に入れる結末が存在し得るとは、あと少しで読み終えてしまうことに怯え、それまでに果たして決着がつくのだろうかと不安だった私には、到底想像も出来ませんでした。
素晴らしい結末!
ああ、世界よ、こんなふうに美しく颯爽と駆け抜けてゆけ! もし信じがたい幸運に恵まれて、その美しい姿を私の前に現すことがあったなら、私は決して忘れないだろう。いや、それはたちまち私の魂に刻まれて、忘れないどころか私はすっかり別人になってしまうに違いない。ありそうもないことだが、まったくないとも言い切れないところが、この世の素晴らしさだ。しかも、そのひとつのパターンがここに示されている。もう支離滅裂で、自分でも何を書いているのかさっぱり分からないが、私は幸福だ。まるで我がことのように、ここでそれを体験することができたから。なんと素晴らしい世界だろう!

あなたの見せてくれた美のお礼に、私はせめてこの熱狂を差し出したい。と鼻息も荒く私は思うのでした。はあ、美しい。


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