2023年11月のオーストラリ
ア、2回目のパース旅行4日目
オーガスタまで来たら誰もが
行くであろう、遠目にも高い

白亜の灯台
川の河口の白浜とは打って変
わりゴツゴツの岩場となり、

南極からの暴風雨に耐えられ
る灌木のみで覆われたブッシ
ュは、南オーストラリア州カ
ンガルー島を彷彿とさせます

沖合に色が違う、海の中の池
のような場所が。リーフかな

ニューカレドニアやハワイで
見るようなエメラルドグリー
ンながら、ここのは寒そう。
「キャプテン・マシュー・フ
リンダースが1801年12月6日
にルーウィン岬を観測し、オ
ーストラリア沿海の地図製作
を開始」とある小さな石の碑

アデレードのフリンダース像

(1774~1814年。享年40歳)
イギリス海軍に属した類まれ
な航海士、測量士。オースト
ラリアを初めて1周し大陸で
あることを突き止め、オース
トラリアという名称を強く推
奨。植民地化の先駆者の1人
ルーウィン岬 (Cape Leeuwin)
といういかにも英語ではない
名称はオランダ語。1622年に
オランダ船籍ルーウィン号(雌
ライオンの意)がこの地に到達
しかし、航海記録が消失して
しまったため詳細が知られな
いまま、その後2世紀近くに
渡りオランダ船やフランス船
が通過するばかりだったそう
1791年にはフランスの探検家
アントワーヌ・ブルーニ・ダ
ントルカストーが、ここを島
と認識し記録していました。
オランダに遅れること180年
目にして到達したフリンダー
スは、ここが岬であることを
確認し、ルーウィン岬と命名
オーストラリア大陸最南西端
であることが確定しました。
あえて17世紀の他国籍船の名
を冠したのは、命がけの探検
家同志のリスペクトなのか。
先住民には非業なまでに容赦
なかったのとは対照的です。
フリンダース自身はオーガス
タのフリンダース湾に上陸。
よくぞここが他国の植民地に
ならなかったものだと思う。

19世紀にはNZもフランス領
化が試みられたことがあり、
「フランス領になっていたら
私たち今頃『ボンジュール』
って挨拶してたのかもよ~」
と冗談半分でキウイ(=NZ人)
たちと話すこともあります。
どの国のどの船が到達したか
で領土の分捕り合戦が繰り広
げられた帝国主義時代。タイ
ミングが異なれば今の世界地
図は塗り替えられていたかも

ということで今回は灯台まで
到達できず次回に譲ります。