ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

クイーンズタウン2回目行:最後はグレノーキー

2024年12月22日 | 南島:クイーンズタウン

2023年4月クイーンズタウン4日目


朝からワカティプ湖畔を北上
してグレノーキーへ。これも
2年前の復習で当たりのはず



途中見晴台が何カ所かあり、



「クイーンズタウンってワカ
ティプでもってるようなもの
だよね」と話しつつ、ここに
湖がなかったら観光地になっ
ていただろうか?そもそも人
が定住できただろうかと思う

1870年代にワカティプ金鉱が
枯渇して、それまでだったか


対岸に前々日のウォルターピ
ーク
の全体が見えます。足を
船に頼っていた頃なら、苦も
ない距離だったのでしょう。

自動車の普及で取り残され、
それが史跡保存に一役買うと
いう歴史の皮肉の実例かと。


グレノーキー到着。まずは
レーディングポスト
という
回も来たカフェ
でブランチ



素朴なトースティーにホっ



隣は同じオーナーが経営する
グレノーキーレイクハウス🏡

素敵だけど1泊$500とかで見
るだけです。しかも2泊から
ではなかったか?10万円也


ワカティプ湖対岸のキンロッ
クワイルドネスリトリート

同じオーナーの経営だそう。

(※1868年創業。写真は前回)


クイーンズタウンがワカティ
プでもっているならば、グレ
ノーキーはこの赤い小屋でも
っているとも言えるのでは



1860年に蒸気船が運び込む
食料や資材の倉庫として建て
られ村のアイコンに。洪水で
流された後1999年に再建。

(※1999年の洪水被害)


これなくして村は語れない



小屋から延びる桟橋はかつて
交通の要所として賑わった所



1912‐1962年に航行していた
最後の蒸気船アーンスロー号

(※1950年代のアーンスロー号)


1962年にクイーンズタウンか
らの道路が開通し、蒸気船は
栄光の歴史に幕を閉じます。

来し方を知れば、今でも観光
船として現役なことが嬉しい


3人で周囲のラグーンを歩き
に歩き、話しに話しながら、



今後の計画を語り合いました。



最後の夜はイタリア料理ベラ
・クチナ
。大いに食べて飲ん
でさらに話に花が咲きます。



長男がいるとボードも盛大
シャクテリーもたっぷり満載

2人ではとてもできない注文


3人で競って好物を頼んで、
あっという間にこのとおり

夫はマルゲリータが譲れず


長男はボード、ブロッコリー
スープ、ニョッキも譲れず



私はサラダと芽キャベツも

長男も渋々芽キャベツを食べ
ていましたが味覚も大人に


ティラミス



パンナコッタ



マキアートまでいき最後の夜




長男の11年ぶり里帰り旅行は
まずまず成功だったよう。本
人がNZを見直すきっかけにな
ってくれれば親は本望です。


クイーンズタウン親子旅行記
これにて終了です


コメント
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