移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
2018年2月のハワイはやや涼しく
街歩きにはもってこい
(↑暑いの苦手な人
)
日本語も書いてあるココは
ムームーの専門店
「ムームー」って日本以外の国で
聞いたことがないな~と思ったら
NZではパシフィックアイランダー
が大勢いるせいか、ムームーって
言うんですよね。ハワイ語に
限らず、太平洋言語なのかな
戦後1950~60年代に建てられた
アパートではないかと
建て方がシンガポールの同年代の
建物にそっくりで懐かしい(笑)
今は取り壊して超高層ビルに
なっているのでしょうが、
シンガポールで結婚した後、
1年ほど借りていたのは
こんなアパートでした。
今や30年近く前の話(笑)
これはハワイならでは
庶民的なエリアですが
ここにも高層化が迫っています。
えぇぇぇえ
ホノルルにお城
和洋折衷ながら
立派な天守閣
十字架
教会でした
マキキ聖城キリスト教会
1904年に奥村多喜衛牧師が創立し、
1932年に高知城を模した
アメリカで唯一のお城の
教会堂が完成したそうです。
その大きさには圧倒されます。
キャッスルチャーチという
ニックネームもむべなるかな。
信者が寄贈した門
その後の真珠湾攻撃、太平洋戦争
を生き残こってこられてよかった。
当時の排日感情の高まりを思えば
この姿が今に伝わるのは
本当に素晴らしいこと
いつでも、どこでも、誰にでも
平和な世の中でありますように
2018年2~3月の3回目のハワイ
投資したホテルの1室
「ハワイの子」に
初チェックイン
その後ホッとするやら
疲れているやらで
爆睡した私たち(笑)
さすがに夜は起き出して
初めてのベトナム料理店へ
ベトナムに行ったことは
ないけれど、中華圏暮らし
20年の私にはなんとも寛ぐ
アットホームな雰囲気
海外のベトナム料理店の
多くが中華系ベトナム人に
よって経営されており、
ベトナム語だけでなく
中国語が飛び交っている
こともよくあり、私には
馴染みやすいのですわ。
つられて笑っちゃい
そうな布袋様(笑)
初めての店なので基本のキ
(※何回来ても一緒かな?)
生春巻き
チリソースはやっぱり
シラチャ―
自宅でも愛用中
しかし、このボトルは大きい。
消費量を物語っているのか?
夫のビーフフォー
水没してますが私の
チキンフォー
太目のモヤシが好み
(※NZは細目が多いんです)
ピークが過ぎるとザワザワ
していた店内が落ち着き、
女将さんともまったり話し
料理も雰囲気も気に入って
再訪アリ決定
ワイキキのメインストリート
カラカウア・アベニューの
かーなーり西の外れにある
フォービストロ2
2017年4月の
人生初ハワイ
2017年7月の
不動産購入契約
に続き1年で3回目のハワイへ。
今回は2018年2~3月にかけて
投資したホテルの年次総会へ。
各部屋のオーナーを株主とする
いわば株主総会のようなもの。
2月の仕事
をやっつけ
出発当日に荷造りをして空港へ。
夜便なのでこういうことが可能
NZ航空のコルラウンジで
アップルビーファームの
アイスのプロモ中でした。
この手の話は乗っとく方(笑)
さっぱりと上質で美味しい
ラウンジでしっかり食べて
機中ではひたすら寝るだけ
現地時間の午前中に着くので
荷物をホテルに預けて
そのまま徒歩で会計事務所へ。
途中のマンション
窓掃除の人たちを発見
NZで高層建築と無縁の生活を
していると、こんな姿にギョっ
移住前の香港時代は30数階の
オフィスでも窓の外の彼らと
目が合ったものですが
ジェットラグで朦朧としたまま
説明を聞き書類にサインして
ブラブラ歩いて来たのは、
アラモアナセンターのラナイ
新しいフードコート
前回来たときはまだ工事中で
できたばかりでした。
趣向を凝らしていますが
やっぱりフードコートは
落ち着かなくて見学のみ。
その後は時間を見計らい
とうとう「ハワイの子」に
(※投資物件のニックネーム)
初チェックイン
これから何年も何回も
1年に1回はこんな光景を
見に来れるのかな
まずはがんばって
ローンを返さなきゃ
(※って、ソコ?)
あまりの感動と疲労で
そのまま爆睡
7年連続で初詣代わりに
出かけていたトンガリロ
マオリの聖山を歩いて
健康で大過ない1年を
祈願するという企画。
2018年も無事終了
8回目の旅行は直行直帰
の
2泊3日で、旅行記は7本に
2回目でも8回目の理由
それはブログの大人の事情
たまには迷子もいいもんだ
おかげでこんな光景
世界遺産内の定宿
まさに「ただいま」のホテル
好天を祈る
きっと明日も晴れる
と信じて。
トイレがいっぱい
1年の間にトイレが何ヵ所も
増えていました
(※これが今回の感動ポイント
)
天候にも恵まれて
絶好のクロッシング日和
レジェンドを生んだテクイティ
帰りに立ち寄ったテクイティ
たまらなくブルーなカフェ
ブルーベリー畑の中のカフェ
登山後は「また来年」と
必ず思う
ものですが、
2019年は息子が旅行中で
猫の面倒が見られず、
クロッシングを休みました。
2020年はぜひ戻りたいです
(※息子は渡英したので
猫はお隣さんに託します)
これまでは
クロッシングの後、
南はウェリントンやワンガヌイ
東はギズボーンやホークスベイ
西はニュープリマスや
ラグラン
と北島のあらゆる所を隅々まで
回ってきましたが、とうとう
7回目にして直行直帰を決行
(※トンガリロ旅行は8回目)
NZの1月は第2週いっぱいまで
クリスマスからの年末年始休暇で
なんとな~くの~んびり
特に地方の店や飲食店は長く
休むところが多く、行きたかった
レストランやカフェが休業中
ということが何度もありました。
思いつくところはほぼ回ったし
真っすぐ帰るのもまたよし
と思い2泊3日にしました。
とはいえ、どこかでランチを
とやってきたのが、
カフェ・イレジスティブル―
irresistible(たまらない)
blue(ブルー)
を掛け合わせた店名
オーガニックブルーベリー園
モナベールブルーベリーズに
併設されたカフェです。
入口からその辺にワサワサ
生えているブルーベリー。
摘まんで食べられます(笑)
前に
ブルーベリー狩りに
来たことがありました。
ブルベリーのリアルフルーツ
アイスもありました。
こういう観光地のカフェは
この時期から営業中なので
助かります
見渡す限りのブルーベリー畑
開放感のあるテラス席
風が通って最高の気持ちよさ
ブドウ棚が日陰を作ってくれ
1日中いたくなるような場所。
ブドウにスズメ
ブドウの木に巣を掛けていました。
下はカフェで食住一体
人がいて天敵の動物が来ない
最高のロケーション
サクッと立ち寄るにはいい場所で、
メニューも充実
トンガリロクロッシングの後
またいつか寄りそうです。
青と緑の景色を目に焼き付けて
日常に戻りましょう。
2018年のスタートです
(※リアルでは2019年が
暮れそうなんですが
)
トンガリロ8回目旅行記
これにて終了
2018年1月の7回目の
トンガリロクロッシングから
無事生還(笑)
ホテルのスパとシャワーで
すっきりした後は
雲が晴れたルアぺフと
カンカン帽を被った
ナウルホエを見ながら
祝杯
イカ男の夫はカラマリ
私はシーフードチャウダー
2日目のクロッシング後は
なぜかいつもメインがピザ
天気にも恵まれ
体調も万全で
いい7回目となりました。
翌朝はゆっくり起きて
クロッシングの人が出払った
ガラ~ンとしたレストランで
のんびり朝食
天気も良く、この日も絶好の
登山日和だったことでしょう。
「また来年」
と思いながら下山しました。
帰り道で展示物を見つけて
クルマを降りてみると、
キングカントリーが生んだ
NZ最高のラグビーレジェンド
Sir コリン・ミーズ
(1936-2017)
の追悼展示会でした。
亡くなって半年も経って
いない時期でした。
ミーズは歴史上最高の
ラグビー選手として内外に
その名を知られています。
「20世紀最高のラグビー選手」
にも選ばれました
今では珍しくないですが、
192cm、102㎏の立派な体躯で
ついたあだ名がパインツリー
まっすぐな松のような長身を
生かしてロックとして活躍し
1957~71年まで国代表である
オールブラックとして55キャップ。
試合数が今よりはるかに少ない
時代にあっては驚異的な数
14年間の代表期間も超人的。
弟のスタンレーもオールブラック。
このおばあちゃまはスタンレーの
ファンだったのか、彼を激写(笑)
ここはテクイティという場所
かつては羊毛や材木で栄え、
整備された鉄道に
過去の繁栄が偲ばれます。
繁栄より前の19世紀後半、
植民地化によって政府軍に
肥沃なワイカト平野を追われ
領土を失ったマオリ王たちは
この山間部へ逃げ込みました。
その史実はキングカントリー
という地名に残されました。
今は駅舎がカフェになり、
地元の人が寛いでいました。
2012年に家族4人で始めた
トンガリロクロッシング
2018年1月は夫と2人で7回目
全長19.4キロ
がんばって歩きましょう
トイレが増えていてビックリ
橋まで掛かってる(笑)
雲の中に入ってきました。
気温も低く歩きやすい
暑い方が疲れます。
またトイレがある
これは助かる~
周囲とマッチするストーン柄
この辺りは岩だらけの上、
雲に入るとよく見えず
みんな黙々と登ります。
大きな岩の辺りが一番の難所
風雨が強くて岩陰に避難
天候も風向きもころころ変わります。
到着したのはレッドクレーター
地球の内臓が剥き出しになった
ような、なんとも言えない色。
ここまで来ればコースの頂上は
目と鼻の先。
トンガリロ山頂ではありませんが
最高地点なので自撮りラッシュ(笑)
いいね
そして後は一気に下り
足場はサラサラで砂滑り状態
コツがつかめればあっという間で
ぼんやり見えてきたのは
エメラルド湖
万歳する人の気持ちがわかる
これが見えるとみんな
湖にまっしぐら
色のない山中の奇跡のような色
何度見ても神秘的です。
ホテルが用意してくれた
お弁当を食べつつ一休み
再び出発
後半は下り中心ですが、
距離は長いのです。
レッドクレーターの見納め
ナウルホエは雲の中でした
ここは絶景ポイントで
三脚を立ててしっかり
撮っている人が多い場所。
到着したのはブルー湖
引き込まれるような蒼
ここにもトイレが
外国人観光客が増えて
インフラ整備が急ピッチ
トイレはヘリで輸送しており
いつか「空飛ぶトイレ」が
みられるかも
ここまで来ればただ下るだけ。
ダラダラダラダラの下り坂
山小屋テテタヒハット
タウポ湖も目の前に。
どこで時間
をくったのか
バスの迎えが早かったのか
かなり時間いっぱいになり
ここからは写真も撮らずに
ひたすら降りて行きました。
バスの中ではもちろん爆睡
7回目も無事終了
好天に恵まれました
定宿ザ・パークに戻って
スパイラルバーで1杯
食事は隣接するレストランで
圧倒される良質の木の天井
なんとなく毎回初日はパスタで
夫は旅先ではMUSTのバーガー
(※家でビーフ
が出ないから?)
もちろんサラダもたっぷり
夏の日は長く8時半でもこの明るさ
食後のコーヒーは外席で。
正面は夕陽を浴びるナウルホエ
雲が切れて来たルアぺフ
目の前がこんな光景なのも
ここに泊る大きな魅力。
部屋にあった冠雪の写真
冬山も美しいでしょうね。
来ることはないですが(笑)
見る見る日が傾いてきて
ルアぺフもこんな色
雪がオレンジに染まって
一刻だけ見られる美しさ。
雲にも夕焼けが反射して
幻想的です。
翌日の好天を祈るばかり
夜は早めに休みましょう。
宿泊している人のかなりが
クロッシング目当てなので
みんな思うことは一緒かな
ハミルトンを出た後、
思いがけず迷子になって
遠回りしてやってきたのは
世界遺産内の定宿
ザ・パーク
宿泊は毎回ここです。
登山口に最寄りなので
当日の朝が楽という理由も
チェックイン後はすぐに
定点観測と呼んでいる散歩へ
まずは国立公園駅へ。
旅客は1日1本しかないので
列車到着時以外は静かなもの。
駅長室があっても
この時間は無人です
駅に併設されたレストラン
毎回写真に撮るだけで
「いつか」と言いつつ
来たことがありません(笑)
人もいないしクルマも
通らない裏通り。
観光客以外の住人は500人。
ばらばらに住んでいるので
本当に静かなものです。
ウェザーボードの外壁といい
色といい手造りの個性的な家。
クロ
の
そっくりニャンに遭遇
もじもじクンなところまで
そっくり
散歩が終わったらホテルに戻って
バー&レストランの
スパイラルへ。
店名の由来となった
スパイラルについては
コチラで
ではでは、2018年1月の
トンガリロクロッシングに出発
オークランドからトンガリロまでは
いろいろな行き方がありますが
ここ数年はハミルトン経由で。
ハミルトンですからねぇ。
いきなりこうなるとか(笑)
節水のために
ビールを飲もう
ハミルトン経由は最短な上に、
ハミルトンの神カフェと崇める
スコッツ・エピキュリアン目当て。
前回とまったく同じ展開
また絵が変わってる
画廊のような店内。
看板料理アグリオ・オリオを
食べに来ているようなもの。
コーヒーも
スイーツも完璧です
夫
普段は食べない私まで
ここでは調子に乗ります
どうせ翌日20kmの山歩きだし
お孫さんの作品かな
ここはすべてが好きな空間。
ハミルトンの最大の楽しみ
といっても過言ではないです。
その後は一路南下してトンガリロへ
というはずが、
ナゼか西のティラウ到着
ティラウ名物のトタンアート
何度見てもよくできている
でも、コレを見に来た訳ではなく、
単なる迷子
トンガリロなんて十数回は行って
いるのに、どうしてだろう(笑)
迷子のおかげで久々に
ファカマル水力発電所
建物と比べてもわかるパイプの太さ
圧倒的な水量です
NZって水力、地熱、風力と
総力戦で本気の本気を出せば
エネルギーが自給できます。
豊かな水資源
湖面に緑が映って美しい
トンガリロ水系からの雪解け水
それがタウポ湖に集まって
NZ最長の425kmのワイカト川となり
最後はワイカト港に注ぎます。
ファカマルはその途中にいくつか
ある水力発電所のひとつ。
後ろはワイカト川
結果オーライのまま
たまには迷子もいいもんだ
どんなに美しくても
ここでは泳げない
いよいよトンガリロ国立公園へ
三峰の雄姿が見えてきました。
最高峰のルアぺフ
明日も好天でありますように
とうとうこのブログも
2018年を迎えました
明けましておめでとう
ございます
2018年1月に行った
毎年恒例になっている
トンガリロクロッシングの
旅行記に入ります
トンガリロクロッシングとは
通称で正式名称はトンガリロ・
アルパイン・クロッシングで、
あえてアルパイン(高山)と称し
準備不足や軽装での登山による
遭難防止を目指しています。
寒くない天気のいい夏場なら
長いハイキングのようですが、
山の天気は変わりやすく
積雪のある時期は非常に
危険な場所
となります。
コースは標高1,000mの地点から
レッドクレーターと呼ばれる
標高1,900mを通過し、反対側の
標高600m地点まで歩き通す、
距離にして20km、時間にして
6~8時間というものです。
面白いのは名称とは裏腹に
トンガリロ山の登頂は含みません。
(※2017年のサイドトリップで
初登頂しました)
トンガリロは国立公園であり
世界遺産でもある一帯の山域の
名称で、周囲の三峰の中では
一番なだらかで低い山です。
三峰は右から雲に包まれた
標高2,797mのルアぺフ、
中央の富士山の頭のような
標高2,291mのナウルホエ
左の標高1,978mのトンガリロ
しかしマオリはトンガリロを
一番神聖視しているそうです。
トンガリロクロッシングの話は
このブログでは2回目ですが、
2012年から毎年行っており、
2018年は7回目の挑戦でした
(※トンガリロ旅行は8回目)
一度整理しておきたかったので
ここで7回の記録を一挙羅列
家族4人で思い出作りに行った初の
2012年前編
2012年後編
夫婦2人だけになった2回目の
2013年
3回目はなんと3本
2014年上り編
2014年下り編
そしてメルマガまで
Vol.0654
~トンガリロ・クロッシング~
4回目の
2015年上り編
2015年下り編
5回目の
2016年
この年もメルマガも。
Vol.0720
~5回目のトンガリロ・クロッシング~
6回目の
2017年
7回目の
2018年
ぬぁんと今年は次男(22歳)が夏に
ヨーロッパ旅行へ行き
の世話があるので
断念しました
しかし、次男は6月にイギリスへ
引っ越してしまい、不在の時は
お隣さんに
の面倒を
見てもらっているので、
来年は8回目かな
と前振りが長くなりましたが、
7回目クロッシング始めます
久々の夢日記です。
移住前に香港で投資銀行に
勤めていた時のリアルな
同僚が登場しました
彼はフレディーといい、
色白のぽっちゃり系。
優秀でメガネをかけ、
ユーモアのセンスが
あって面倒見がよく、
金儲けと食べること
が大好きな典型的な
香港人でした。
私たちは何年もの間、
ディーリングルームで
隣同士の席でした。
私は東南アジア株、
彼は日本株に詳しく、
2人で香港株を中心に
毎日アジア株を
取引きしていました。
刻々と変わる株価の画面を
見つめながら、お互いを
見ることなく話し続けた
時間がどれだけあったか
親も含めた家族、趣味、
週末にどこで何をし、
昨夜何を食べたかまで
お互いなんでも知って
いました。
「夫とよりフレディーと
話してる方が長いわ。」
と言うと、
「ボクも嫁さんとより、
みことと話してる。」
と、大笑いしたことも。
そんなフレディーとの
夢での再会の場はまったく
ありえない場所でした。
そこは広い集会場の
ような場所で、部屋の
真ん中が一段高くなって
その周りは通路のように
部屋を1周していました。
一段高いひな壇の上には
布団が敷き詰めてあり、
見ようによっては
駐車場にも見えます。
銀行マンたちが臨時に
寝起きする場所でした。
「翌朝の出張が早いので」
「徹夜明けで仮眠したい」
と、いろいろな理由で、
みんな自分の布団に
スーツのまま潜り込み、
起き出して海外出張に
行ったりしていました。
設定は荒唐無稽でも、
90年代の活気がそのまま
蘇るような場所でした。
「私」も出張で翌朝早く
どこかに飛ぶ予定でした。
しかし、「私」には
布団がありませんでした。
それを知ったフレディーが
自分の布団をシェアすると
申し出てくれました。
彼の布団はひな壇の下の
通路のような場所に
敷いてありました。
そこはあまりここに来ない
人のための場所らしく、
路駐のように通路の片側に
布団がずらっと並んでいます。
「私」が来た時には、すでに
フレディーは壁側で背中を向け
小さくなって寝ていました。
布団の半分が「私」のために
開けてあり、「私」は通路側
の隙間に滑り込みました。
お互い夜中に何度か寝返りを
打つのですが、フレディーは
まったく「私」をかすること
なく、その場で器用にクルリと
180度回転し眠り続けています。
「BBQのソーセージみたいだな」
と思うと可笑しくなりましたが、
「私」もソーセージ寝返りを
習得し、フレディーを邪魔せず
布団の半分でクルリクルリと
上手に回ることができました。
翌日からの仕事を前に
「私」は眠りながらも
前向きな高揚感に
満ちていました。
=============
現実の香港はデモが長引き
想像もつかない状況に
なってしまいましたが、
フレディー一家が無事に
元気でありますよう
2017年の旅行記終了は
個人的にむちゃくちゃ
達成感があるので、
もう1本あげときます
今後の人生で2017年以上に
旅行することはありません。
そう言い切れるほど、
無謀な日程でした(笑)
しげしげ数えてみたら、
海外旅行9回
国内旅行6回
(※宿泊したもののみで
日帰り旅行は含みません)
国内6回の内3回は空路で
空港往復が年12回
まるで出張族(笑)
ここまで立て込んだのは、
12年に1回のラグビーの祭典
ライオンズ戦があった上、
ロトルア
ハミルトン
オークランド
ウェリントン
思いがけずハワイとヌーサで
不動産を購入することになり
その手続きでの再訪が決まり、
ハワイ
ヌーサ
オーストラリア投資の前に
見ておこうと思っていた
シドニー
メルボルン
とすでに決めていた旅行の
合間を縫うようにあちこち
行っていたためでした。
この間、仕事もしてました
2017年最初の旅行だった1月の
トンガリロ・ラグラン旅行記は
旅行から7ヵ月後に終了しましたが、
最後の11月の
4回目のヌーサは
旅行から丸2年後に終了
1年分書くのに中断を含めて
2年5ヵ月かかりました
この調子でほぼほぼ毎日
更新していけたとしたら
2020年5月頃に2018年終了
来年の今頃は1年遅れの
旅行記になっているかも
(↑それでも十分遅い)
過去最短となった4泊5日で計5本
1日1本という旅行記終了
物件の件で駆けずり回り、
ごくわずかの写真と記憶が
残っているばかりでした。
これにて盛りだくさんだった
2017年の旅行がすべて終了
いつもの自分用備忘録です。
まずはIKEA
ずい分お世話になりました。
記録も記憶もない旅
ここはどこだったのか?
3日で3話
過去最速の旅行記に
最後の最後まで
祝杯を挙げながらも
業務連絡
また来年
4泊5日フル稼働で
また来年
早々に2018年に入りますね。
IKEAのカタログにもあるように
キッチンの引き出しには
食材だのカトラリーだの
動いても割れず、壊れず
日々頻繁に使うものを
入れるものだと思いますが、
NZやオーストラリアでは
かなりの確率で食器が
入っています
なんでぇ~
(※以前泊った貸別荘にて)
そして造り付けの棚には
シリアル、パスタ、缶詰
といった保存食品を
入れています
自宅では引き出しには食品
造り付けの棚に食器ですが、
郷に入れば郷に従え
宿泊客がほぼオージーと
キウイで占められるので
これまでどおりにしました。
まず滑り止めシートを敷き
ホテル共通の白い食器と
自分で用意した絵皿。
鍋類
ザル・ボール類
以前からあったものの
再利用と新調したもの。
カトラリー、ナイフ、トレーは
取り換えが効くようIKEAで購入。
ロングセラー商品は助かります。
分類して整理しました。
以前は引き出しの中に直置きで
同じものがいくつもあったり、
かなりご家庭風味(笑)でした
自宅なら使う人の勝手が良ければ
それでいいのでしょうが。
(※自宅)
プラスチックのまな板と鍋ぶた立ても
IKEAで。
グラス類はホテル共通のもので統一
まだまだ課題はありますが
思っていたことができて、
それまでのテレビ台は
とりあえずこうなりました。
しっかり見納めて
「また来年」
最後の最後まで不用品を寄付し
帰路へ
ブリスベンへの高速で
ゴルフバッグとカート持参の
クルマを見つけて大笑い
遊んでます感満載な
オージーライフ
自宅用にも買ってきたこれは
非常に重宝しています
ヌーサ4回目旅行記これにて完了
2017年の旅が全部終了しました。
次回からは2018年に
入りま~す