大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

巨大企業モンサントの世界戦略(後編) 遺伝子組換 バイオテクノロジー

2011-10-24 18:00:00 | 学習
ベトナム戦争で枯れ葉剤を大量に供給したモンサントが世界中を支配しようと悪の限りをつくしている内容のビデオです。倫理の一かけらもない企業です。

巨大企業モンサントの世界戦略(後編) 遺伝子組換 バイオテクノロジー








放射能汚染水、「しっかり飲水させていただく」と園田康博政務官

2011-10-24 17:00:00 | 学習
放射能汚染水、「しっかり飲水させていただく」と園田康博政務官より転載
2011年10月14日12時30分


 10月7日、東京電力は福島第1原子力発電所5、6号機にたまっていた「低濃度」とされる放射能汚染水を発電所内の山林へ散水しはじめ、発表した。

 これに関連し、10日、東京電力の単独の記者会見で、ジャーナリストの田中昭さんが「我々、報道機関は福島第1原発の現地取材を拒否されている。本当に『低濃度』か確かめようがない」と追及。東京電力側が「(放射能汚染水は)口に入れても大丈夫」と答弁したことを捉えて、田中さんは「それならば、実際にコップに入れて飲んでもらいたい」と迫った。しかし、東京電力側は「飲料水ではないので……」と渋った。

 田中さんは政府と東京電力の共同記者会見から「実績がない」という理由で排除されている。そこで、この問題を筆者が引き継ぎ、13日の共同記者会見で質問した。

 「O157の感染源とされたかいわれ大根を菅直人厚生大臣(当時・のちの総理大臣)が食べたり、福島第1原発事故後も、枝野幸男官房長官(同・現経済産業大臣)が(福島県)いわき市産のイチゴやトマトを食べたりして安全性をアピールした。園田康博(内閣府大臣)政務官(写真)は『低濃度』とされる放射能汚染水をコップに入れて飲むつもりはあるか」

 園田政務官は、一瞬、困惑の表情を見せたが、開き直ったような口調で、「パフォーマンスということではなく、しっかり飲水させていただく」と答えた。

 予想外の答弁に筆者は驚いた。記者会見場から「えっ!?」という声も漏れた。

 今後、実際に園田政務官が放射能汚染水を飲むかどうかはわからない。しかし、そのぐらいの行動に出ない限り、政府の言うことが信用されなくなっている。

不明の夫、待ちたいから 原発30キロ圏内に残る、福島・南相馬の女性

2011-10-24 16:00:00 | 学習
<東日本大震災>不明の夫、待ちたいから 原発30キロ圏内に残る、福島・南相馬の女性より転載
毎日新聞 10月17日(月)7時57分配信

 ◇原発30キロ圏内の実家に残る、福島・南相馬32歳女性

 東日本大震災で行方不明になった人の身元確認件数が大幅に減る中、東京電力福島第1原発から30キロ圏内に残り、夫の帰りを待ちわびる人がいる。福島県南相馬市の門馬麻野(もんままや)さん(32)。幼い娘3人への放射線の影響を案じつつ、「夫が真っ先に連絡が取れる場所に居てあげたい」との思いが交錯する。【安高晋】

【写真特集】3.11東日本大震災を多数の写真で振り返る

 ◇娘3人の放射線影響で葛藤も

 夫に救われた命。今でも門馬さんはそう感じている。

 あの日。仕事が休みで同市鹿島区の自宅にいた夫の孝文さん(35)は、揺れが収まると消防団の法被をつかんで家を飛び出した。「ラジオをつけてろ」が最後の言葉だった。

 夫を見送った門馬さんは次女の佑(ゆう)ちゃん(6)を車に乗せ、長女の泉月(みづき)ちゃん(9)を小学校で、三女の咲和(さわ)ちゃん(3)を保育園で引き取った。赤信号で停車した交差点で、進路に迷う。海辺の自宅に寄るか、高台に直接向かうか。ふいに夫の言葉を思い出し、つけたラジオは大津波の襲来を告げていた。高台へ上り、難を逃れた。

 だが、孝文さんは戻らなかった。「波にのまれた」という消防団の同僚の証言を人づてに聞く。同居していた義理の両親も、祖母を高台に送って自宅に戻り行方不明になった。

 明るく親分肌だった孝文さん。福島第2原発の構内で自動販売機に清涼飲料水を補充するのが仕事だった。「いくつもの門をくぐり、そのたびにチェックを受ける」。夫の話から「原発は安全管理に厳重」と信じてきた。

 そんな原発が爆発した。家族の行方は分からず、自宅は津波に流された。いったん福島市の避難所に逃げ込むが、娘たちが余震の恐怖と慣れない環境に体調を崩す。3月下旬、自宅から5キロ内陸にあり、津波被害を受けなかった原町区の実家に戻った。以来、半年余を過ごしてきた。

 実家は原発から約28キロ。放射線の影響が気になる。8月の検査で佑ちゃんに内部被ばくがあったという結果が告げられる。10月の再検査で「今後50年間のうちに1ミリシーベルトは超えない」と言われたが、ショックだった。

 実家周辺には、子や孫を県外避難させた人が多くいる。門馬さんも、咲和ちゃんが庭の花を摘もうとするのをあわてて止める生活が何年も続くのかと思うと「転居が子供の将来のためでは」と悩んだ。

 それでも「家族が戻るまで地元を離れたくない」という気持ちを捨てきれなかった。震災から7カ月が過ぎ、身元が判明しにくくなっている現状は理解している。県内の行方不明者は238人(14日現在)に上るが、9月には4人、今月は1人しか見つかっていない。でも、ここにいれば警察から確認を求められた時、すぐに駆け付けられる。万が一、生きていれば訪ねて来るのもここ。周辺の放射線量は健康に影響ないとされる数値まで下がった。夫をもう少しだけ待ちたいと思う。

 毎月11日には娘や義理の祖母と自宅跡を訪れる。死を認めたくなくて、これまでは花を手向ける娘たちを離れて見守ってきた。それでも今月11日には手を合わせる娘の真後ろに初めて並んだ。「泣いてるだけじゃ解決しない」が夫の口癖だった。これまで言えずにきた「お母さんと頑張っていこう」という言葉。震災1年を迎えるまでに、娘たちに伝えられればと思っている。

self23 「赤色反応」

2011-10-24 15:00:00 | 美術
 10月4日に興味深い演劇を観に行ってきました。予想通り変人というか、天才が舞台にたって叫び狂っていました。正直『会場に来て良かった』と思います。次回は10年か20年後に舞台があるかも…
会場は満員でしたが赤字だったんじゃないかな。世の中お金だけじゃないよね。両手でお金を抱えることが出来ないくらいお金を持っていて、お金に執着する人は信用できません。self23の主催者は多分貧民かもしれませんが、舞台の内容はナイスでした。


self23 会場非公開公演 2012


Was Van Gogh shot dead by a teenager in an accident?

2011-10-24 14:00:00 | 学習
Was Van Gogh shot dead by a teenager in an accident? Artist's suicide 'a myth', says art historians
New book by prize-winning authors insists tormented painter's death was not suicide
より転載

By DANIEL BATES
Last updated at 9:27 AM on 17th October 2011


Troubled: Painter Vincent van Gogh, who died at 37

The Vincent van Gogh story is that the poverty-stricken and unappreciated artist took his own life with a shot to the chest.
But, more than a century on, two American writers have cast doubt on his suicide and instead claim he was shot dead by a teenager.
Steven Naifeh and Gregory White Smith claim that Van Gogh was fatally wounded by a friend’s teenage brother who enjoyed teasing and provoking the mentally ill artist.
During a confrontation in the French town of Auvers-sur-Oise in 1890, the boy somehow opened fire with a gun.
They also outline another theory, that Van Gogh was shot by two local boys who were playing with a malfunctioning pistol.
Naifeh and Smith, who won a Pulitzer Prize for their biography of U.S. artist Jackson Pollock, spent ten years researching their book, which will be released in Britain tomorrow.
In Van Gogh: The Life, they claim that the Dutch impressionist ‘knew nothing about guns’ and that ‘no gun was ever found’ at the scene or anywhere else.

They conclude that Van Gogh had a ‘history of violent outbursts’ and suggest a disagreement of some kind may have been his undoing.


Naifeh and Smith, who won a Pulitzer Prize for their biography of U.S. artist Jackson Pollock, have now written a book on Van Gogh

According to the official version of his death, Van Gogh was only 37 when he went into a field in Auvers-sur-Oise on the evening of July 27, 1890, and shot himself in the chest with a revolver.
But in their account, Naifeh and Smith claim that there is strong evidence against this, as Van Gogh left no suicide note and the bullet which killed him entered his body ‘from an unusual, oblique angle – not straight on as one would expect in a suicide’.
After the shooting he was able to walk back to the village, where he was attended by two physicians, neither of whom possessed the ability to perform surgery to remove the bullet.
The following day infection began to set in and he died that evening, 29 hours after he shot himself. His brother Theo, who had rushed to be at his side, claimed his brother's last words were: 'The sadness will last forever.'
The writers, who were granted access to thousands of family letters and had the co-operation of the Van Gogh museum in Amsterdam, have concluded that a row with a neighbour’s son was the real reason why he was shot, and that as he welcomed his own death he saw no reason to blame anybody else.
Van Gogh also only offered ‘hesitant, half-hearted, and oddly hedged’ confessions of his suicide attempt, which they do not find convincing.


Van Gogh painted many scenes in and around the village of Auvers-sur-Oise, including this one just weeks before his death in 1890

Although Van Gogh’s paintings are now among the world’s most expensive works of art, exchanging hands for close to

米 移設先埋め立て申請要請へ

2011-10-24 13:00:00 | 学習
米 移設先埋め立て申請要請へより転載
10月15日 19時9分 NHKニュース

沖縄のアメリカ軍普天間基地の名護市への移設について、アメリカ政府は日本政府に対して、遅くとも来年6月までに移設先となる沿岸部の埋め立て許可を仲井真知事に申請するよう、近く求める方針であることが明らかになりました。
普天間基地の名護市辺野古への移設が地元沖縄の反対で暗礁に乗り上げているなか、先月の日米首脳会談でオバマ大統領は、来年6月を期限に「具体的な進展」を見せることを求めましたが、どのような動きを「進展」と位置づけているのか明らかになっていませんでした。これについて、アメリカ政府の複数の当局者は、NHKに対し、「具体的な進展とは、日本政府が沖縄県の仲井真知事に移設先沿岸部の埋め立て許可を申請することである」としたうえで、今月下旬に日本を訪れるパネッタ国防長官が、一川防衛大臣との会談の中で、これを求める方針であることを明らかにしました。埋め立て工事を行うためには仲井真知事の許可が必要で、パネッタ長官は「より望ましいのは、来年6月までに知事から埋め立ての了承も得ることだ」という考えも伝えるということです。普天間基地の移設では、併せて駐留する海兵隊の一部がグアムに移転する計画ですが、移設計画が遅れていることから、アメリカの議会では、海兵隊のグアム移転に関する2012年度の予算が凍結される可能性が高まっています。今回パネッタ長官が踏み込んだ要求をする背景には、6月までに議会の納得いく進展がなければグアムの基地整備も行き詰まり、中国が存在感を増す東アジアにおけるアメリカの軍事戦略にも大きな影響が出ることへの強い懸念があるとみられます。沖縄県名護市の稲嶺進市長は、NHKの取材に対して、「そもそもアメリカが要求できる立場にあるとは思わないが、今の沖縄は辺野古への移設を受け入れられる状況になく、アメリカ政府の焦りの表れではないか。知事が埋め立てを許可するとは思えないし、今そのような要求をすれば、沖縄県民のすべてを反対の立場に回すことになる」と述べました。齋藤官房副長官は、NHKの取材に対し、「正確な情報を見極めたい。日本政府の姿勢は、先に野田総理大臣がオバマ大統領との首脳会談で伝えたことに尽きるし、地元沖縄との協議も真摯(しんし)に続けていきたい」と述べました。

「格納容器は壊れないしプルトニウムは飲んでも大丈夫」

2011-10-24 12:30:00 | 学習
 言論の自由は日本では保障されていますが大橋弘忠という元東電社員で『東京大学教授』が「格納容器は壊れないしプルトニウムは飲んでも大丈夫」と発言していた証拠をご覧ください。東大もたかが知れてますね。こんなレベルの教授に学問を教わっている生徒もお気の毒です。

「プルトニウムは飲んでも大丈夫」原子力村の東大教授へより転載
(週刊現代 2011年6月11日号 5月30日発売)

小出裕章氏のコメント(転載)

「毒物というのは体への取り込み方でその毒性は変わります。プルトニウムの場合、水として口から飲むより、空気中に微粒子として飛ぶプルトニウムを鼻から吸い込むほうが怖い。ほんの少量でも吸い込むと肺がんで死んでしまうリスクが高まるからです。ですから、確かに吸い込むより飲むほうが危険度は低い。
とはいえ、水としてプルトニウムを飲んだとしても、被曝するのは事実。被曝というものに、安全なものはありません。したがって『プルトニウムは怖くない』という彼の発言は、明らかに間違いです」

大橋弘忠氏の見解

週刊現代編集部は、大橋氏に対し、「プルトニウムを飲め」と言われたら飲むことができるのか、また今でも「原発は安全」と言い切れるのか、直接取材を試みたということですが、大学に話すなと言われている、授業が始まるから等の理由で応じなかったそうです。

ただし今回の事故についてはメールでの返答があったということです。概要は以下の通りです。

・今回の事故の原因は津波だけであり、地震動はほとんど関係しない。10mを大きく超える津波は専門家も予想しなかった。津波が電源系をほとんど全滅させることや、海水冷却系の機器を流出させることも想定されていなかった。

・事故については東電はよく対応してきた。後は大きな放射能放出はないと思う。

・まじめに技術的な解説をする人を御用学者のように決めつける風潮があるのは残念。冷静な議論や判断、それに資する報道を期待する。



「格納容器は壊れないしプルトニウムは飲んでも大丈夫」


首都圏3000万人避難も想定…元内閣官房参与

2011-10-24 12:00:00 | 学習
首都圏3000万人避難も想定…元内閣官房参与より転載

 菅政権で内閣官房参与を務めた田坂広志多摩大教授は14日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、政府が東京電力福島第一原子力発電所事故発生直後、首都圏の住民3000万人が避難する事態を想定していたことを明らかにした。


 田坂氏によると、参与に就任した3月末時点で、複数の研究機関が首都圏の住民3000万人の避難が必要な事態が起こりうるとの試算を政府に提出していたという。ただ、同氏は「あくまで最悪の事態が連鎖した時にどこまで最悪の事態があり得たかということだ。明日にもそれが起こりそうだったということではない」とも強調した。

(2011年10月14日19時30分 読売新聞)

「従来の考え方はリセットを」 地震学会が反省のシンポ

2011-10-24 11:00:00 | 学習
「従来の考え方はリセットを」 地震学会が反省のシンポより転載

 日本地震学会は、東日本大震災の想定や被害軽減への貢献が不十分だったという反省から、研究者と社会のかかわりかたを考える特別シンポジウムを15日、静岡市で開いた。参加者は、研究や予測の問題を率直に語り、討論した。

 地震の予知・予測研究に長年批判を続けてきた東京大のロバート・ゲラー教授が特別講演で「現在の地震学の考え方である、大きな地震は周期的に繰り返し、発生前に前兆現象があるという前提は成り立たない」と批判。「従来の地震発生の考え方はリセットするべきだ」と呼びかけた。

 「結果的に、私自身は間違っていた」。東北大の松沢暢教授は自身の発表でこう述べた。宮城県沖ではマグニチュード(M)7級の地震が数十年おきに繰り返すと予測され、防災対策が進んできたが、発生した地震はM9だった。シンポジウムでは、なぜM9が想定できなかったのか、地震学の常識がじゃまをしたことなどを分析した。これまでの考え方を見直し、今後は、今回よりさらに大きいM10の巨大地震の可能性も検討する必要があるとした。

asahi.com2011年10月15日11時24分

大阪・上町断層帯、屈曲部で横ずれ型地震集中発生 大規模地震の引き金になる恐れ

2011-10-24 10:00:00 | 学習
大阪・上町断層帯、屈曲部で横ずれ型地震集中発生 大規模地震の引き金になる恐れより転載
産経新聞 10月14日(金)1時25分配信

 大阪府を縦断する「上町断層帯」の一部で、断層が平行にずれる「横ずれ断層」型の微小地震が集中的に発生していることが、産業技術総合研究所の研究チームの調査で分かった。静岡市内で開催中(12~15日)の日本地震学会で明らかにした。横ずれ断層型の微小地震の頻発は、大規模地震の引き金になる可能性が指摘されており、研究チームは「周辺に比べて特異な現象で、上町断層帯の活動メカニズムの解明につなげたい」としている。

 調査したのは、産総研の地震発生機構研究チームで、平成14年6月~今年1月の約9年間に、産総研などが観測した上町断層帯付近で起きた地震のデータを収集し分析。その結果、この間に、深さ20キロより浅い震源で起きたマグニチュード(M)1以上の地震が計256カ所で確認された。

 このうち233カ所を地震のタイプで分類したところ、大半は斜めの断層で乗り上げている側が上方にせり上がる「逆断層」型だったが、弓形になっている上町断層帯が最も屈曲している地域(弓形の頂点付近)では、横ずれ断層型が数十回集中して発生していることが判明した。

 上町断層帯は、大阪府豊中市から大阪市を経て、岸和田市内までの約42キロにわたって弓形に連なる活断層。国内の活断層の中でも地震発生確率が高い方に属しており、阪神大震災を上回るM7・5程度の直下型地震を引き起こすと推測されている。府内の住宅密集地を走っているため、巨大地震発生の際の被害が甚大となることは避け難い。

 研究チームの今西和俊主任研究員は「上町断層帯で大規模地震が起きれば甚大な被害が予想される。それだけに、断層の動きの特徴を把握し、大地震発生につながる兆候かどうか調べていきたい」と話している。

 【逆断層】 断層とは、地下の地層か岩板が力を加えられたことによって割れ、割れた面に沿ってずれ動いた状態を意味するが、断層面が斜めの場合、乗り上げている側がせり上がった場合を逆断層、ずり落ちた場合を正断層と呼ぶ。「逆断層」型の地震は、岩板が水平方向に圧縮される場合に起きやすい。

 【横ずれ断層】 断層面が水平方向にずれた断層。阪神大震災やマグニチュード(M)7・8とされる1906年のサンフランシスコ地震は「横ずれ断層」型の地震に分類されており、専門家からは横ずれ断層型の微小地震の頻発が大規模地震の引き金になる可能性が指摘されている。

年1ミリシーベルト超す汚染、8都県で国土の3%

2011-10-24 09:00:00 | 学習
年1ミリシーベルト超す汚染、8都県で国土の3%より転載


 東京電力福島第一原発の事故で放出された放射性物質による被曝(ひばく)線量が年1ミリシーベルト以上の地域は、8都県で約1万3千平方キロ(日本の面積の約3%)に及ぶことが朝日新聞社の集計で分かった。環境省は10日に国の責任による除染地域を年1ミリシーベルト以上とする基本方針案を決めた。同省は当初、年5ミリシーベルト以上を基準とし、範囲を福島県内約1800平方キロとしてきたが、7倍に膨らむ計算だ。

 航空機による文部科学省の放射線量の測定結果を基に、環境省が事故による追加の被曝量が年1~5ミリ(毎時0.19~0.95マイクロシーベルト)の地域の分布図を作製。福島県は8月28日、他の地域は9月18日現在の線量別の面積を朝日新聞社で計算した。

 その結果、福島県は5ミリ以上の約1800平方キロに加え、1~5ミリの地域が約6200平方キロ。同県の面積(1万3782平方キロ)の6割にあたる約8千平方キロが除染の対象となる。

 残る7都県に5ミリ以上の地域はなかったが、1~5ミリは群馬県で約2100平方キロ、栃木で約1700平方キロ、宮城、茨城が各約440平方キロ、千葉が180平方キロと続き、東京と埼玉は20平方キロ前後だった。山形と神奈川は1ミリ以上の地域は分布図になかった。


asahi.com2011年10月11日15時0分