反原発学者を監視より転載
「悪いけどアメリカに3年くらい留学してくれないか。費用は全部持つ」。東京電力の社員が安斎育郎=立命館大名誉教授=に切り出した。1970年代半ば、学会の帰りに社員に突然誘われ、東京の下町にある老舗の馬肉料理屋で桜鍋をつついていた。留学を断った安斎は「監視するよりも、留学してもらった方が安上がりということだったんでしょう」と振り返って笑った。
「安斎番」
安斎は東大工学部原子力工学科の1期生。当時は医学部で放射線防護学を研究する助手だった。原子力に関わる研究者でありながら、原発反対を主張していた。
72年、日本学術会議のシンポでの安斎の基調演説。「日本の原発開発は安全性確保の面で極めて多くの問題を抱える。明確に反対の立場に立たざるを得ない」
安斎によれば、東電には「安斎番」と呼ばれる社員がおり、講演会に来ては内容を録音して社に報告。研究室の隣席に東電出身の研究者が座り、「ぼくの役割は安斎さんが何をやるか情報収集すること」と明かした。
原発の危険性を訴えた研究者を排除しようとする一方、東電は寄付などの形で大学に資金を投じる。国の原子力政策に潜在的な反発が強い被爆地も含まれていた。
独立性
2002年7月、長崎大大学院医歯薬学総合研究科の教授会は、東電の寄付講座開設を大多数の賛成で了承した。講座名は「国際放射線生命科学」。3年間で9千万円の提供を受け、低線量放射線の人体影響を研究するはずだったが、直後の8月に原発トラブル隠しが発覚、結局は開設を断念した。
開設予定を知った被爆者団体は抗議し、学内で「市民感情にそぐわない」との声もあった。しかし、科長だった谷山紘太郎は「研究内容を練り上げ、最終的には『大学の独立性は担保できた』と多くの教授が判断した」。2年後に法人化を控え「寄付講座を引っ張りたかった」(関係者)との背景もあった。
長崎の反核運動の先頭に立つ元学長の土山秀夫は今、「もし開設されていれば、原発事故後にいくら正論を吐いても東電の弁護になってしまった」と語る。だが、抗議に加わった被爆者は「断念はトラブル隠しがあったからにすぎない」と今も納得していない。
東電は他社との共同も含め、公開資料に最も早く登場する90年以降、東大に10億円を投入した。東工大は91年以降で推計5億円、京大も05年から約1億4千万円。研究分野は原子力に限らず環境などにも及ぶ。
教育現場に
電力会社は教科書作成の現場にも働き掛けていた。教科書会社の関係者によると、浜岡や柏崎刈羽の原発見学ツアーに編集者らを招いたことも。交通費などは電力側が負担。関係者は「接待と言われても仕方がない」と漏らした。
国策をめぐる教科書の記述については、教科書検定で厳格にチェック。05年4月に公表した中学公民の検定内容では「原子力について問題を強調しすぎだ」と修正を求める意見が付き、教科書会社は次々と記述を変更した。「原子力発電には、いったん事故を起こすと広い範囲にわたって深刻な被害をもたらす危険がある」との文章からは"事故"の言葉が消えた。
電力会社や原子力関連メーカー社員も会員の「日本原子力学会」は09年、小中学校教科書の原発関連の表現を調べ上げた。安全面で「不安」や「疑問」の言葉を使う教科書に「『課題が残っている』との表現が適切」と細かく注文を付ける報告書をまとめた。
副読本でも事情は変わらない。経済産業省資源エネルギー庁と文部科学省がまとめた中学校向けの「チャレンジ!原子力ワールド」は「原発は大きな地震や津波に耐えられるよう設計されている」と記述。事故が示した現実との隔たりに、文科省は11年4月、見直しを始めた。(西村誠、大森圭一郎)(敬称略)