チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の比較に関してより転載
様々な場面でチェルノブイリとの比較が取り上げられていて、色々誤解もあるので、一応調べた限りでまとめてみる。
1・チェルノブイリの汚染区域に関する誤解について。
よく「55万ベクレル以上で、これはチェルノブイリの強制移住区域以上の汚染地域」という表現を目にするが、これに関しては色々と誤解がある。この出所は恐らく京大の今中准教授の研究であろうが、誰がこれを曲解して「強制避難」と言い出したのかは良くわからない。ちなみに今中氏のチェルノブイリ研究についてはネットでも見ることができる。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Mtk95-J.html
この資料を読む限り、まず第一に解ることとして、55万ベクレル以上で強制移住区域という言葉はどこにも書いていない。二次移住区域とは書いてあるが、強制の文字はない。そしてもう一点。実際にこの区分による政策が始まったのは「ベラルーシ最高議会の採決」が1991年末ということだから、事故約5年後ということらしい。この点は非常に勘違いされていると思う。良く「チェルノブイリでは事故すぐに避難させたのに、日本は」という論を見掛けるが、事故後避難対象になったのはあくまでもチェルノブイリから半径30km圏内の住民だけであって(それも避難が完了したのは事故後2週間近く掛かった場所もある)、その外側の高濃度汚染地域、所謂ホットスポットに住む人は約5年間放置されたことになる。その後当該地域においては子供の甲状腺障害の増加が顕著になり、折からの民主化と、ソ連中央政府への反発から共和国政府側がこのような政策を、ある種当てつけがましく打ち出したとも言えるのである。
では実際、移住政策は進んだのかという点だが。次の資料を見て欲しい。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Gnsk12.html
これも今中准教授の資料だが、ここには移住政策が始まる前、事故後4年が経過した1990年のそれぞれの汚染区分における人口が書かれている。55万ベクレル以上というのは「表2 汚染地域の住民数」に対応するが、ベクレルではなくキュリーという単位で書かれている、この場合は1キュリーは37Gベクレルであり、1Ci/km2=37kBq/m2という事になるから。15~40キュリーの地域が55万~148万ベクレル平米の地域に対応する。そこには23万人の住民がいると書かれてある。次に
IAEAのチェルノブイリ20周年の調査報告書の25ページを見て欲しい。
http://www-pub.iaea.org/mtcd/publications/pdf/pub1239_web.pdf
ここには1995年の同地域での人口動態が乗っている。この555~1480kBq/m2の地域に住む人口は19万3千人である。二次移住地域と指定されたにも関わらずたった4万人しか減っていない。それでは現在はこれらの地域は移住政策が進み人の避難が完了したのかといえば、そうでもない。
この55万ベクレル平米以上区分に入っている都市をwikipediaで検索すればすぐに出てくるが例えば
ロシアのノボズイブコフという都市は現在(2010年)でも4万人の住民が住んでいる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Novozybkov
ベラルーシの町でもNarovlyaは(2005年)で8千人の住民が住んでいる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Narovlya
「55万ベクレル=強制移住地域」と盛んに喧伝されNHKでさえも番組中にそのような表現をしていたと記憶するが、この点誤解が非常に広がったように感じる。視聴者側の印象として「旧ソ連のチェルノブイリよりも酷い汚染で、しかも避難できていない」という印象を与えた点で色々と誤解を生んだのではないか。
また、事故後5年経過しての政策という認識の部分がごっそり抜け落ちていた事で様々な誤解を増大させた。
それは一つには。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Mtk95-J.html
この最初の資料の区分分けで、
「移住(第2次移住)ゾーン:セシウム137,ストロンチウム90,プルトニウムによる土壌汚染密度が,それぞれ555~1480,74~111,1.85~3.7kBq/m2(15~40,2~3,0.05~0.1Ci/km2)の地域.年間の被曝量は0.5レム(5ミリシーベルト)を越える可能性がある」
という部分を抜き出して、最後の年間被曝量から計算することで、これまた大きな勘違いが生まれてしまった点がある。要するに当初日本が採用していた土壌汚染濃度は、土壌1kg当たりという計測方式であり、これがチェルノブイリのkBq/m2どう相関するのか判断できなかった。故にこの資料の年間被曝量から逆算する人が現れた。年間5ミリシーベルトの場所は55万ベクレル以上ということになってしまったのである。要するに空間線量0.57μSv/hの場所は単純に×24、×365すれば5mSvなので55万ベクレル以上の濃度なんだという単純計算である。
これは二つの間違いを犯している。一つは現在の福島原発の事故においては空間線量の代表核種はセシウム134と137であるが、チェルノブイリ事故5年後の当地での代表核種はセシウム137に限られている点。セシウム134は半減期が2年であるから、5年の歳月で5分の1にまで減少しているし、また次の2年で更に半分減る訳で、代表核種としては事故5年後のチェルノブイリでは重要視されていない点が無視されている。
以下IAEAの資料99ページに、土壌1m2に付き、放射性物質の核種がどれほどあれば、その場所の空間線量がどのくらいになるのかという換算式がある。
http://www-pub.iaea.org/mtcd/publications/pdf/te_1162_prn.pdf
ここからmSv/h / kBq/m2の係数を使うと、セシウム134はkBq/m2に0.0054を、セシウム137は0.0021を掛けるとその場所のμSv/hが出る仕組みになっている。仮に555kBq/m2のセシウム137を計算すると1.1655μSv/hという数字が導き出される。これを単純計算すると年間10mSvになってしまう。何故チェルノブイリの区分では、これで5mSvということにしたのかと言えば、それは住居による放射線の遮蔽係数等を考慮に入れたからであろう。0.57μSv/hで年間5mSvという主張をする人はこの遮蔽係数という考え方も全く無視している。これが第二点の錯誤である。
実際上記の資料には旧ソ連が出した緊急措置としての被曝限度が書かれている。「事故の1年目10レム,1987年5レム,1988年3レム,1989年3レム,1990年0.5レム:うち外部被曝と内部被曝が50%ずつ」1レムは1レントゲン(10mSv)であるから、1年目は100mSv、2年目は50mSv、3~4年目は30mSv、そして5年目に5mSvということで、事故発生年に5mSvという訳ではない。「ソ連は5mSvを避難基準にしたのに、福島は20mSvなんてソ連よりも非人道的」という意見はこの点で否定される(もちろん20mSvの実際の危険性は問わないし、あくまでもチェルノブイリと比較して非人道的な措置か否かの問題として)。それと、そもそもソ連の5年目に年間5mSvという被曝限度が達成できたか否かは上記の状況を見れば非常に否定的である。
では福島原発事故ではどのような計算をするべきであろうか。現在各地で計測される空間線量で支配的なのはセシウム134の方である。今回の事故ではセシウム137と134はほぼ同じ量放出されたと考えられており、事故後3ヶ月でセシウム134の方が約1割ほど減っている事を考慮しても、それでも137の二倍以上の線量をはじき出す。
では年間5mSvだと騒がれている0.57μSv/hの場所におけるセシウム134と137のBq/m2を計算するならば、セシウム137が80kBq/m2 セシウム134が75kBq/m2くらいの場所で丁度0.57μSv/hという空間線量になる。ただこれは自然放射線を含んでいない(実際0.05μSv/hくらいは宇宙線などの放射線になる)ので実際はもっと低い値になるだろう。そうするとセシウム137で55万ベクレル平米(555kBq/m2)とはおよそ7倍も差がある訳で、余りにも過剰な評価ということになってしまうのである。
では555kBq/m2の地域というものをどう判断するかであるが、正確にチェルノブイリと比較するならば、文科省と米国DOEの航空モニタリング調査を見る事が最もチェルノブイリとの正確な比較ができる。チェルノブイリの地図も航空モニタリングによる空間線量からの逆算によって作られたものであろうから、互いの比較に最も適している。以下のCs134.137合計の文科省マップを使うと大まかにチェルノブイリとの比較ができる。Cs134と137は7月末時点でお互いの比率が9:10くらいであろうから、この地図上で3000kBq/m2-の赤の地域を1480kBq/m2の地域に当てはめ、1000KBq/m2-と書いてある黄色い部分を555kBq/m2と解釈、更に300kBq/m2-の水色の地域を少々保守的であるが185kBq/m2と解釈、さらに60kBq/m2-の地域を37kBq/m2と解釈すれば、ほぼチェルノブイリの汚染区分と比較できる地図ができる。