【安全への問い掛け10】県、国に"一筆"求める 「燃料運び出し 約束を」より転載
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/5b/bd4efa84d44bda933dd4dd0f254ec7eb.png)
東電の菊池理事に共用プールの事前了解通知書を手渡す松井県原子力安全対策課長(右)=平成5年4月
「国から一筆をもらうんだ」。平成5年初め、県原子力安全対策課長の松井勇(71)は上司から重大な指示を受けた。
東京電力福島第一原発で、発電を終えた使用済み燃料の保管問題が前年から懸案になっていた。
各号機の原子炉建屋には燃料を入れる貯蔵プールが設置されている。しかし、プールがいずれ満杯になれば、使用済み燃料は行き場を失う。これを原発から運び出し、再処理する事業が軌道に乗るまでの間、まとめて保管する場所が必要とされた。
東電は福島第一原発の既設のプールが満杯になることに備え、敷地内に各号機から出る使用済み燃料を一括して保管する共用プールの設置計画を打ち出した。
国は新しいプールの設置認可の権限を持つ。認可に当たっては、県と立地町、東電の三者が結んでいる安全確保協定に基づき、県と立地町が事前に了解することが必要だった。県は事前了解の前提として、原発から使用済み燃料を速やかに持ち出すことを求めた。「発電所は廃棄物の最終処分場ではない」との理由だった。
松井が命じられた一筆は「使用済み燃料を原発から順次、再処理工場に運び出すことを国に約束させる」ための証文だった。
■暫定措置
松井は東京水産大(現東京海洋大)を卒業後、県水産試験場で県職員としての仕事を始めた。昭和47年、新設の環境保全課に異動した。その後、同課原子力対策係長、地域振興課長補佐などを務めた。
平成4年4月、原子力安全対策課長に就いた。福島第二原発3号機の再循環ポンプ損傷事故の発生から3年後だった。就任早々、待っていたのは共用プール問題だった。
資源エネルギー庁は、青森県六ケ所村に建設中の再処理工場だけでは将来、国内で発生する使用済み燃料を処理仕切れないと、見込んでいた。昭和62年に、まとめられた国の原子力長期計画(長計)には「第二再処理工場を2010年ごろに運転開始する」と明記された。長計は原子力政策の指針だ。
同庁の担当者は「一時的に発電所に使用済み燃料を貯蔵する必要があるが、第二再処理工場が稼働すれば、保管量は減っていく」と松井ら県の担当者に繰り返し説明した。同庁と東電は「共用プールは暫定措置」と強調した。
「共用プールがなければ、福島第一原発は使用済み燃料の置き場がなくなり、いずれ、稼働できなくなってしまう」。松井は、同庁の担当課長から切々と訴えられた。
■課長名
松井ら県の担当者が資源エネルギー庁に出向くと、たびたび幹部職員の部屋に通された。「国が責任を持って発電所内には使用済み燃料をためないようにする。ぜひ共用プールを造らせてほしい」。幹部職員が頭を下げた。
松井は何度も同庁に出掛けた。ある時、幹部職員に切り出した。「資源エネルギー庁長官の一筆を出してほしい」
「長官名では、さすがに無理だ」。交渉の末、担当課長は自らの名前で1枚の文書を松井に差し出した。日付は平成5年2月12日。表現は遠回しながらも、使用済み燃料を発電所にため込まず、再処理工場に順次運び出す、と受け止められる内容だった。
2カ月後の4月13日、県と立地町は共用プール建設の事前了解を東電に通知した。松井が東電理事の菊池健に書類を手渡した。
だが、1年後...。県と立地町は、がく然とした。新たにまとめられた国の原子力長期計画は、第二再処理工場の建設そのものを不透明なものとしていた。
「どういうことだ」。松井は怒りに震えた。
(文中敬称略)
(2012/06/15 09:42カテゴリー:3.11大震災・福島と原発)
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東電の菊池理事に共用プールの事前了解通知書を手渡す松井県原子力安全対策課長(右)=平成5年4月
「国から一筆をもらうんだ」。平成5年初め、県原子力安全対策課長の松井勇(71)は上司から重大な指示を受けた。
東京電力福島第一原発で、発電を終えた使用済み燃料の保管問題が前年から懸案になっていた。
各号機の原子炉建屋には燃料を入れる貯蔵プールが設置されている。しかし、プールがいずれ満杯になれば、使用済み燃料は行き場を失う。これを原発から運び出し、再処理する事業が軌道に乗るまでの間、まとめて保管する場所が必要とされた。
東電は福島第一原発の既設のプールが満杯になることに備え、敷地内に各号機から出る使用済み燃料を一括して保管する共用プールの設置計画を打ち出した。
国は新しいプールの設置認可の権限を持つ。認可に当たっては、県と立地町、東電の三者が結んでいる安全確保協定に基づき、県と立地町が事前に了解することが必要だった。県は事前了解の前提として、原発から使用済み燃料を速やかに持ち出すことを求めた。「発電所は廃棄物の最終処分場ではない」との理由だった。
松井が命じられた一筆は「使用済み燃料を原発から順次、再処理工場に運び出すことを国に約束させる」ための証文だった。
■暫定措置
松井は東京水産大(現東京海洋大)を卒業後、県水産試験場で県職員としての仕事を始めた。昭和47年、新設の環境保全課に異動した。その後、同課原子力対策係長、地域振興課長補佐などを務めた。
平成4年4月、原子力安全対策課長に就いた。福島第二原発3号機の再循環ポンプ損傷事故の発生から3年後だった。就任早々、待っていたのは共用プール問題だった。
資源エネルギー庁は、青森県六ケ所村に建設中の再処理工場だけでは将来、国内で発生する使用済み燃料を処理仕切れないと、見込んでいた。昭和62年に、まとめられた国の原子力長期計画(長計)には「第二再処理工場を2010年ごろに運転開始する」と明記された。長計は原子力政策の指針だ。
同庁の担当者は「一時的に発電所に使用済み燃料を貯蔵する必要があるが、第二再処理工場が稼働すれば、保管量は減っていく」と松井ら県の担当者に繰り返し説明した。同庁と東電は「共用プールは暫定措置」と強調した。
「共用プールがなければ、福島第一原発は使用済み燃料の置き場がなくなり、いずれ、稼働できなくなってしまう」。松井は、同庁の担当課長から切々と訴えられた。
■課長名
松井ら県の担当者が資源エネルギー庁に出向くと、たびたび幹部職員の部屋に通された。「国が責任を持って発電所内には使用済み燃料をためないようにする。ぜひ共用プールを造らせてほしい」。幹部職員が頭を下げた。
松井は何度も同庁に出掛けた。ある時、幹部職員に切り出した。「資源エネルギー庁長官の一筆を出してほしい」
「長官名では、さすがに無理だ」。交渉の末、担当課長は自らの名前で1枚の文書を松井に差し出した。日付は平成5年2月12日。表現は遠回しながらも、使用済み燃料を発電所にため込まず、再処理工場に順次運び出す、と受け止められる内容だった。
2カ月後の4月13日、県と立地町は共用プール建設の事前了解を東電に通知した。松井が東電理事の菊池健に書類を手渡した。
だが、1年後...。県と立地町は、がく然とした。新たにまとめられた国の原子力長期計画は、第二再処理工場の建設そのものを不透明なものとしていた。
「どういうことだ」。松井は怒りに震えた。
(文中敬称略)
(2012/06/15 09:42カテゴリー:3.11大震災・福島と原発)