9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について <債務貨幣システムとは> その22

2017年10月12日 | 日記
とあるスナックで

コー
1929年のウォール街の株暴落から始まった恐慌も、すさまじかったんだな。

天野統安(もとやす)著 <詐欺 経済学原論> (株)ヒカルランド 2016年4月 p-109

FRBによる世界恐慌の演出

米国発の1929年の世界恐慌はFRBの金融政策によって作られたものであった。
毎度の事ながら、一部の国際銀行家と結びついた中央銀行の金融政策による意図的な景気変動と、その変動を加熱させる怪しい金融商品とのコラボレーションである。
世界恐慌は米国で1920年代に起きた空前の株バブルとその崩壊による暴落で生じた。その経緯は以下のとおりである。

1920年代にFRBが金融緩和政策を行い、各銀行の貸出量を急激に増加させた。前述したとおり、銀行が貸し出しを行うと新たなマネーが創造される。当時の米国の融資の担保は株だったために、融資の拡大は株に対する需要を高め株価を上昇させた。しかも融資の多くは証券業や不動産業など金融経済の業種に向けて行われた。1921年~29年までの銀行融資の総額は、約241億ドルから、357億ドルに増加し、その内の80億ドルは金融経済向けの融資だった。つまり融資の増加の70%が金融経済向けだったのであり、これが株バブルを作り出した根本原因である。

更に、株を購入するときに元手が10%でよく、残りの90%は金融ブローカーがローンを組んでくれるというマージンローンといわれる新しいローン商品が販売された。10%の資金で、担保になり、かつ市場で上昇している株を購入できるできるのだと、人々は喜んでローンを組んだ。これが更に株式市場を上昇させ、ダウ平均の株価は1921年~29年まで6倍に上昇した。しかしこのマージンローンにはとんでもない契約内容が記されていた。金融会社からの返済請求があったら、24時間以内に株を購入した時のローンを返済しなければならないのである。1928年にFRBは、それまでの政策を180度変化させて、金融政策を引き締め、銀行の新規の貸し出しを厳しくおさえはじめた。29年8月には金利を6%に上昇させた。更に、マージンローンの返済が金融会社から出されると、人々はパニックになり、株価は売り一色になり10月24日に大暴落を起こした。後ほど説明するマネタリズムの創設者、ミルトン・フリードマンはこの世界恐慌をFRBの金融政策のせいである、と批判している。

担保価値の暴落は多くの銀行を倒産させ、個人を破産させた。一方で、ロックフェラーやモルガンなどFRBの株主と仲間たちは高値で売り抜けており、暴落した企業の株や、破産した個人の土地を買い占めた。米国は独立してから150年の開拓の歴史によって多数の独立した銀行、企業、農業者が存在していた。潰れた多くの銀行はFRBのシステムに加入していない独立系の銀行だった。
こうして歴史的なバブルとその崩壊により米国の富はFRBの株主たちによって独占されていく。



小林
この株バブルの崩壊とその後の不況で、失業者が世界中で発生したんですね。

恐ろしく大きな大きな<羊毛刈り>だったんですね。


コー
<羊毛刈り>なんてのものじゃないよ、<金融テロ>、いや、<金融による破壊戦争>とでも呼んだほうがいいくらいだ。
しかもここが大事なとこだと思うが、すべて合法的だということだ。
<債務貨幣システム>の特徴である独立した中央銀行は、これができるということだ。どんな政策をしても、政府などから干渉されず、法律的に罰せられないということだ。せいぜい政策的に失敗したと非難されるくらいだろう。失敗なんかではなく、彼らにしたら大大成功なんだ。株バブルを作り、そしてその崩壊、それに続く不況は、何年もかけて作り上げてきた仕組みの最終的な成功なわけだ。

これが中央銀行の独立の本当の意味かもしれない。


小林
そしていよいよ日本の中央銀行による<金融テロ>ですね。


コー
これがまたすさまじい。しかも国民はいまだに、仕組まれたということがわからないということなんだ。

リチャード・A・ヴェルナー 著 <円の支配者> (株)草思社 2001年5月 p-161

債務が所得より急増すれば、災厄は目前

銀行融資は国の借金ということもできる。借金の金利を払えるかどうかは、所得の創出に左右される。つまり、国内総生産の伸びである。大まかに見て貸出額の伸びが国内総生産の伸びを上回る分だけ、非生産的な信用創造が行われているということだ。このお金はすべて、生産に使われるのではなく、土地や株式市場での投機に使われた。そして、債務しか残さなかった。信用創造の額の大きさを考えれば、アインシュタインでなくても、日本が破滅に突き進んでいたことはわかる。個人だろうと、会社あるいは国家であろうと、借金が増えるほうが所得が増えるよりも早ければ、どこかで返済が不可能になるに決まっている。

資産価格は新たなお金が市場に流入しているあいだは上昇する。信用がふくらませたバブルを破裂させるには、貸出額の伸びを抑えればいい。信用というピラミッド全体は、トランプの家のようにがらがらと崩れ去る。資産価格は下落する。おおぜいの投機家は多額の借金を抱えて放り出される。彼らは資産価格が上がらなければ金利を払えない。まして、元金など返済できはない。そこで、資産を叩き売る。資産を叩き売りする投機家が増えれば、資産価格はますます下がる。投機的な借金がさらに白日のもとにさらされる。多くの投機家は破産に追い込まれる。銀行には不良債権が積み上がる。あれこれを考えあわせれば、問題の最終的な規模を推測するのはたやすい。バブルが破裂すれば、国内総生産の伸びを上回る貸出額の伸びの分だけ、不良債権化する。

バブル崩壊--1990年代の物語

そしてもちろん、1990年代にこのとおりのことが起こった。1989年半ば、銀行はとつぜん貸出額の伸びを抑えだした。半年後、株価が最高値をつけて、急落した。つぎに、地価の上昇が止まった。資産市場に新たなお金が流入しなくなると、資産価格はもう上がりようがない。投機家はポジションをカバーするために売りに出た。1990年だけで、日経平均株価225種で見た株式相場は32パーセントも下落した。地価も急激な下降に転じた。商業地区で特に投機対象となった土地だと、「市場価値」が70パーセント以上も下がった。不動産投機家はますます追い詰められた。彼らが破産すると、銀行のほうは何十年もなかった不良債権の不安を感じだした。問題があっというまに拡大しかねないことに、銀行は気づいた。そこで、銀行は慎重になった。慎重になったどころではなかった。不動産や建設関係、ノンバンクの金融業者への貸出を急激に引き締めたのだ。そのために、資産価格はますます下落した。市場に流入する新たな資金がますます減ったからだ。破産件数は増加した。
潜在的な不良債権の規模の大きさにおののきはじめた銀行は(99兆円の「バブル」融資のほとんどが焦げつく可能性があった)、恐怖のあまり投機家への融資を止めただけでなく、バブルとは何の関係もない製造業の企業への融資も制限しだした


小林
信用収縮(クレジット・クランチ)が始まったということですね。
コメント
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