保育の中で、子どもが発達していく段階をとらえるのに、
よく、 「 ○ ○ができるようになる 」といった項目があります。
○ ○にあてはまるものは、月齢や、年齢によって
様々ですが、たしか、2~3歳ぐらいのところに
「見立てあそびが出来る」という、一般的には、
使いなれないことばの項目がありました。
「見立てあそび」とは、ままごとなどで、つみきや、ブロックなどを
食べ物にして食べる真似をして、遊んだり、
段ボール箱を、車や電車などにたとえて 遊んだりすることです。
形や色が似ているちがうものを、あるものに想像(見立てて)
して、遊ぶのです。
ある詩人の人は、
子どもの能力の中で、一番ひかれるのは、
ひとつのものを何かに見立てて使う発想のゆたかさです。
と、言われていました。
保育園の0歳児でも、1歳近くになると、
その時は気がつかなくても、お昼寝中に連絡ノートに
遊んでいる様子を書いているうち、
「 あ~あ、さっきは、○ ○に見立ててあそんでいたんだ!」
なんて、思い当たることがありました。
「おむすび」のわらべ唄講座に参加されたママが、
講座の最後のころに、
「おばあちゃんに、おもちゃが、少なくってかわいそうと
言われたのだけれど・・・」と質問されていました。
それに対し、、
おもちゃが、たくさんあることが、必ずしもいいことではない。
ほしいものをがまんする経験も大切だし、子どもは、遊具
以外のもので遊びたがったりするし・・・などなどの話が出ていました。
そう、おもちゃは、数ではなく、質も大事だと思います。
子どもが、気に入って、繰り返し遊べるもの、
工夫したり、発展できるものがいいですね。
また、子どもは見立て遊びの天才なので、
おもちゃ以外のもので楽しくあそべるのです。
それに、ママにあやし唄を歌ってもらったり、いっしょに
楽しむことのほうが、たくさんのおもちゃで遊ぶことより
こころがゆたかになるのではないでしょうか。
さきほどの詩人は、
大人になると、何かとこころに応用が、きかなくなるもの
です。お金になるもの、すでに大勢が価値を認めたもの
に心を奪われ、自分の目の前のきらきらしているものの
価値には、ひどく鈍感になるという悲しい特性を持ってしまう
と、言っています。
もし、大人がもっと、もっと目の前にあるものに、さまざまな
見立ての能力を回復したら、世の中は、どんなに優しく
輝きだすでしょうとも…
そして、「見立てる」という言葉には、
判定し、判断し、鑑定するといったような意味合いがあります。
大人は、一人ひとり、自分の目の前の子どもを
唯一無比のかけがいのないそれぞれに特別な存在として
見立ててほしいと願って止みません。
一見、何でもないように見えるものに、意味ある力をあたえる
おさなごの心から、多くの大人が、忘れかけている
大事なことを気づきたいものですと。
近すぎると、かえってよく物が見えないってことがありますが、
そばにいる赤ちゃんのきらきらしたもの、
見逃したくありませんね。