日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(1017)「同一性」の「is」について。

2021-11-16 15:50:35 | 論理

(01)
1     (1)∃x∃y{Sx&哲x&Py&教xy&~∃z(教zy&z≠x)} A
 2    (2)  ∃y{Sa&哲a&Py&教ay&~∃z(教zy&z≠a)} A
  3   (3)     Sa&哲a&Pb&教ab&~∃z(教zb&z≠a)  A
  3   (4)                  ~∃z(教zb&z≠a)  3&E
  3   (5)                  ∀z~(教zb&z≠a)  4量化子の関係
  3   (6)                    ~(教cb&c≠a)  5UE
  3   (7)                     ~教cb∨c=a   6ド・モルガンの法則
  3   (8)                      教cb→ca   7含意の定義
   9  (9)  ∃z(Az&~Sz)                    A
    ア (ア)     Ac&~Sc                     A
    ア (イ)     Ac                         ア&E
    ア (ウ)        ~Sc                     ア&E
  3   (エ)     Sa                         3&E
  3 ア (オ)     Sa&~Sc                     ウエ&I
     カ(カ)      c=a                       A
  3 アカ(キ)     Sa&~Sa                     オカ=E
  3 ア (ク)      c≠a                       カキRAA
  3 ア (ケ)                      ~教cb       89MTT
  3   (コ)        Pb                      3&E
  3 ア (サ)     Ac&Pb                      イコ&I
  3 ア (シ)     Ac&Pb&~教cb                 ケサ&I
  3 ア (ス)  ∃y(Ac&Py&~教cy)                シEI
  39  (セ)  ∃y(Ac&Py&~教cy)                9アスEE
  39  (ソ)∃z∃y(Az&Py&~教zy)                セEI
 2 9  (タ)∃z∃y(Az&Py&~教zy)                23ソEE
1  9  (チ)∃z∃y(Az&Py&~教zy)                12タEE
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∃x∃y{Sx&哲x&Py&教xy&~∃z(教zy&z≠x)}。然るに、
(ⅱ)  ∃z(Az&~Sz)。従って、
(ⅲ)∃z∃y(Az&Py&~教zy)。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)あるxとあるyについて{xはソクラテスであって、哲学者であって、yはプラトンであって、ある(x以外のzが、yを教へる)といふことはない}。然るに、
(ⅱ)         ある(zはアリストテレスであって、ソクラテスではない)。従って、
(ⅲ)あるzとあるyについて(zはアリストテレスであって、yはプラトンであって、zはyを教えない)。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)ソクラテスプラトンを教えた唯一の哲学者である。然るに、
(ⅱ)アリストテレスは、ソクラテスではない。従って、
(ⅲ)アリストテレスは、プラトンを教えなかった。
といふ「推論(三段論法)」は、「述語論理」としても、「妥当」である。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)Socrates is the only philosopher who taught Plato. 然るに、
(ⅱ)Aristotle is not Socrates. 従って、
(ⅲ)Aristotle did not teach Plato.
といふ「推論(三段論法)」は、「述語論理」としても、「妥当」である。
然るに、
(05)
さて定冠詞the)は、それが厳密に用いられるときには、一意性を内含している。
(勁草書房、現代哲学基本論文集Ⅰ、バートランド・ラッセル、指示について、1986年、53頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
定冠詞the)は、それ自体が、一意性(Uniquness)を内含しているが故に、
① Socrates is the only philosopher who taught Plato.
② Socrates is the   philosopher who taught Plato.
に於いて、
①=② である。
然るに、
(07)
① Socrates is the only philosopher who taught Plato.
といふことは、
① Socrates
The philosopher who taught Plato
に於いて、
①=② である。
といふことに、他ならない。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① Socrates is the philosopher who taught Plato.
といふことは、
① Socrates
The philosopher who taught Plato
に於いて、
①=② である。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(09)
① Socrates is the philosopher who taught Plato.
といふことは、
② Socrates = the philosopher who taught Plato.
といふことに、他ならない。
然るに、
(10)
Consider the English setence below.
(1)Socrates is a philosopher.
(2)Paris is a city.
(3)Courage is a virtue.
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
Sentences(1)-(3)are simple subjects-predicate sentences; a particular objects(Socrates,Paris,courage)is said to have a certain property(being a philosopher,being a city,being a virtue). We accordingly call the 'is' in(1)-(3)the 'is' of predication. This use of 'is' must be contrasted with the 'is' in(4)-(6), where rather the sense is 'is' the same object as(with 'object' used in some broad neutral sense). This 'is' we distinguish as the 'is' of identity.
(E.J.Lemmon, Beginning Logic,1978/6/1,p160)
(1)-(3)の文は単純ば主語・述語文である、特定の対象(ソクラテス、パリ、勇気)がある性質(哲学者であること、都市であること、徳であること)をもつ、と言われるのである。従って、(1)-(3)における「である」のことを、述語の作用をする「である」('is' of predication)とよぶ。この「である」の用法は、(4)-(6)における「である」と比較対象される必要がある、ここではその意味はむしろ、「同じ対象である」(「対象」という語をある広い、中立的な意味に用いて)である。この「である」をわれわれは同一性の「である」('is' of identity)として区別する。
(E.J.レモン著、竹尾治一郎・浅野楢英 翻訳、論理学初歩、1973年、204頁)
従って、
(02)(03)(09)(10)により、
(11)
① Socrates is the philosopher who taught Plato.⇔
① ソクラテスプラトンを教えた唯一の哲学者である。⇔
① ∃x∃y{Sx&哲x&Py&教xy&∀z(教zy→zx)}。
といふことは、
② Socrates the philosopher who taught Plato.
といふことに他ならない、が故に、
① に於ける「is」を、「同一性の'is'」といふ。