(01)
(ⅰ)
1 (1) ∀x(象x→ 動物x) A
2 (2) ∃x(~動物x&象x) A
1 (3) 象a→ 動物a 1UE
4(4) ~動物a&象a A
4(5) 象a 4&E
1 4(6) 動物a 35&I
4(7) ~動物a 4&E
1 4(8) 動物a&~動物a 67&I
4(9)~∀x(象x→ 動物x) 18RAA
2 (ア)~∀x(象x→ 動物x) 249EE
12 (イ) ∀x(象x→ 動物x)&
~∀x(象x→ 動物x) 1ア&I
1 (ウ)~∃x(~動物x&象x) 2イRAA
(ⅱ)
1 (1)~∃x(~動物x&象x) A
1 (2)∀x~(~動物x&象x) 1量化子の関係
1 (3) ~(~動物a&象a) 1UE
2 (4) 象a A
3(5) ~動物a A
23(6) ~動物a&象a 45&I
123(7) ~(~動物a&象a)&
(~動物a&象a) 36&I
12 (8) ~~動物a 37RAA
12 (9) 動物a 8DN
1 (ア) 象a→ 動物a 29CP
1 (イ) ∀x(象x→ 動物x) アUI
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x(象x→ 動物x)
② ~∃x(~動物x&象x)
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
②(動物でないxで、象であるx)は存在しない。
に於いて、
①=② である。
従って、
然るに、
(03)
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
といふことは、
① 象であるならば、それは動物である。
といふこと、すなはち、
① 象について言へば、それは動物である。
といふことである。
然るに、
(04)
「象は」は、テーマを提示する主題であり、これから象についてのことを述べますよというメンタルスペースのセットアップであり、そのメンタルスペースのスコープを形成する働きをもつと主張する(この場合は「長い」までをスコープとする)。また、「鼻が」は主格の補語にすぎなく、数ある補語と同じ格であるとする。基本文は述語である「長い」だけだ(三上文法! : wrong, rogue and log)。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① ∀x(象x→動物x)⇔
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。⇔
① For any x, if x is an elephant then x an animal.⇔
① 象であるならば、それは動物である。 ⇔
① 象について言へば、それは動物である。⇔
① 象は動物である。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① ∀x(象x→ 動物x)
② ~∃x(~動物x&象x)
に於いて、すなはち、
① 象は動物である。
②(動物でない象)は存在しない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(06)により、
(07)
① ∀x(動物x→ 象x)
② ~∃x(~象x&動物x)
に於いて、すなはち、
① 動物は象である。
②(象でない動物)は存在しない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(07)により、
(08)
xの変域={象、兎、河馬、ライオン}
であるならば、
① 動物は象である。
② 象以外は動物ではない。
といふ「命題」は、「ウソ(偽)」である。
然るに、
(09)
xの変域={桜、電車、鉛筆、机、象}
であるならば、
① 動物は象である。
② 象以外は動物ではない。
といふ「命題」は、「本当(真)」である。
従って、
(01)(08)(09)により、
(10)
確かに、
① ∀x(動物x→ 象x)
② ~∃x(~象x&動物x)
といふ「命題」に於いて、すなはち、
① 動物は象である。
②(象でない動物)は存在しない。
といふ「命題」に於いて、
① の「真理値」と、
② の「真理値」は、「等しい」。
(01)
① ヒトラーは我が闘争を書いた。
② タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」は、
① ∃x{ヒトラーx&我が闘争の著者x&∀y(我が闘争の著者y→y=x)}
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ風に、すなはち、
① あるxは{ヒトラーであって、我が闘争の著者であって、すべてのyについて(yが我が闘争の著者であるならば、y=x である)}。
② すべてのxについて{xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは[私であって、xの理事長であって、すべてのzについて(zがxの理事長であるならば、y=z である)]}。
といふ風に、「翻訳」出来る。
然るに、
(02)
ラッセルの確定記述の理論を用いて、つぎの論証の健全性を確立せよ。
(a)我が闘争の著者は1945年に死んだ。ヒトラーは我が闘争を書いた。故にヒトラーは1945年に死んだ。
Using Russell's theory of definite description, establish the soundness of the following argument:
(a)The author of Mine Kamp died in 1945. Hitler wrote Mine Kamp. Hitler therefore died in 1945.
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、215頁と原文)
〔私による解答〕
1 (1)∃y(我が闘争の著者y&45年死y) A
2 (2) 我が闘争の著者a&45年死a A
3 (3)∃x{ヒトラーx&我が闘争の著者x&∀y(我が闘争の著者y→y=x)} A
4(4) ヒトラーb&我が闘争の著者b&∀y(我が闘争の著者y→y=b) A
4(5) ∀y(我が闘争の著者y→y=b) 4&E
4(6) 我が闘争の著者a→a=b 5UE
2 (7) 我が闘争の著者a 2&E
2 4(8) a=b 67MPP
4(9) ヒトラーb 4&E
2 4(ア) ヒトラーa 89=E
2 (イ) 45年死a 2&E
2 4(ウ) ヒトラーa&45年死a アイ&I
2 4(エ)∃y(ヒトラーy&45年死y) ウEI
23 (オ)∃y(ヒトラーy&45年死y) 34エEE
1 3 (カ)∃y(ヒトラーy&45年死y) 12オEE
1 3 (〃)あるyはヒトラーであって、yは1945年に死んだ。 12オEE
(03)
ラッセルの確定記述の理論を用いて、つぎの論証の健全性を確立せよ。
(b)タゴール記念会は、私が理事長です。然るに、小倉氏は私ではない。従って、タゴール記念会は、小倉氏は理事長ではない。
〔自問自答〕
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 23MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3スCP
1 9 (ソ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① ヒトラーは我が闘争を書いた。
② タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」が、
① ∃x{ヒトラーx&我が闘争の著者x& ∀y(我が闘争の著者y→y=x)}
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ風に、「翻訳」出来るが故に、
① 我が闘争の著者は1945年に死んだ。ヒトラーは我が闘争を書いた。故にヒトラーは1945年に死んだ。
② タゴール記念会は、私が理事長です。然るに、小倉氏は私ではない。従って、タゴール記念会は、小倉氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「健全(sound)」である。
然るに、
(05)
「交換法則(commutative law)」により、
①(y=x)は(x=y)と「同じ」であって、
②(y=z)は(z=y)と「同じ」である。
従って、
(04)(05)により、
(06)
「交換法則(commutative law)」により、
① ヒトラーは我が闘争を書いた。
② タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「命題」は、それぞれ、
① 我が闘争を書いたのはヒトラーであった。
② タゴール記念会は、理事長は私です。
といふ「命題」に「等しい」。
然るに、
(07)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(06)(07)により、
(08)
① A=B(B=A)
であること(交換法則が成り立つこと)は、
① AはBである。
といふ「日本語」が、
② AがBである。
③ BはAである。
といふ風に、言ひ得る上での、『必要条件』である。
然るに、
(09)
記述の理論
〔英〕theory of descriptions
指示句には様々な種類があるが、基本的なものは(1)all で始まる名詞句、(2)a で始まる名詞句、(3)the で始まる単数形の名詞句の三つである(Webサイト:記述の理論)。
然るに、
(10)
定冠詞(the)は、それが厳密に用いられるときには、一意性を内含している。確かに、しかじかのひと(So-and-so)がいく人かの息子をもっている場合でさえ、the son of So-and-so という表現を使用するが、本当はその場合には、a son of So-and-so という方がより正しいといえよう。それゆえわれわれの目的のためには、the は一意性を内含しているものと考えていく(頸草書房、現代哲学基本論文集Ⅰ、バートランド・ラッセル、指示について、1986年、53頁)。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① A is a B.
ではなく、
① A is the B.
であることは、
① AはBである。
といふ「日本語」を、
② AがBである。
③ BはAである。
といふ風に、言ひ得る上での、『必要条件』である。
然るに、
(12)
Consider the English setence below.
(1)Socrates is a philosopher.
(2)Paris is a city.
(3)Courage is a virtue.
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
(E.J.レモン著、竹尾治一郎・浅野楢英 翻訳、論理学初歩、1973年、204頁、原文)
従って、
(11)(12)により、
(13)
(1)Socrates is a philosopher.
(2)Paris is a city.
(3)Courage is a virtue.
ではなく、
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
であれば、これらの「命題」は、
(4)ソクラテスがプラトンを教へた哲学者である(プラトンを教へた哲学者はソクラテスである)。
(5)パリがフランスの首都である(フランスの首都はパリである)。
(6)勇気が私が最も賛美する徳である(私が最も賛美する徳は勇気である)。
といふ風に、言ひ得ることになる。