姫路大手前・岡崎外科 消化器肛門クリニック ブログ・肛門科通信

姫路城が好きで姫路在住の消化器・肛門科医によるクリニックのブログです。胃腸肛門の情報あり、気軽にお越し下さい。

おなか医者(15) 困った患者の男気(おとこぎ)スイッチ

2010-11-20 00:00:52 | おなか・おしり医者奮戦記
 ちくほう市の救急病院での話。交通事故の多発外傷、ひとまず命を取り留めたことを確認してから、傷の処置をしていました。にわかに待合室が騒がしくなって、一人の威勢の良いお兄さんが飛び込んできました。片腕に包帯をしており、血がにじんでいます。「いつまで待たせるとか」とわめき始めました。よくあることです。多発外傷がなんとかなった達成感と、ベースを流れていた若干のイライラ感と、当直救急医に少し慣れてきた余裕か、なんと「なにゆうとるか、こっちの方がひどいだろうが。軽症は待っとけ」と言ってしまったのです。言いながら、あちゃーこりゃ大変なことになったぞ、と思い、最後の語尾はやや震えたのを覚えています。さあ、殴られるか、どっちから逃げようかと考えた瞬間、威勢の良いお兄さん多発外傷を見てただちに反省したのか、「おっしゃ分かった。まだ待合にがたがたゆうとるんおるから、交通整理してくるわ。先生しっかりやってくれ」と急に良い兄貴になってしまいました。「いやいや、何もしなくて結構ですから、待合室でお待ちください」川筋気質と言われる気性の荒い人たちでしたが、男気スイッチもあったのですね。

医療情報をご希望の方へ。携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなか医者(14) 困った患者・困った時代の始まり

2010-11-19 00:00:30 | おなか・おしり医者奮戦記
 困った患者もあります。交通事故や、けんかで来院し、待合室でけんかを始める例。泥酔している方。当時、はやり始めていた携帯電話での会話を診察台の上でもやめない方。色々ですねえ。何らかの医療が必要な患者さんならば、どんなに態度が普通でなくても、我々にはすることがあります。困っちゃうのは、何も医療の必要のない患者さんです。むかしは、追い返してしまうこともあったと聞いていますが、現在のように医療、医学が進歩してしまうと、「何か見逃すとあとで大変」ということになりました。普通ならば病院に来なくてよい患者さんにまで、時間をかけて診察する、そして本当に医療が必要な人を待たせてしまうというジレンマが始まりかけていたのも、この時代だったと思います。(この物語は1990年頃の駆け出し医者のお話で、フィクション+ノンフィクションです。現在の話ではありませんので、誤解のなきよう。)


医療情報をご希望の方へ。携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなか医者(13) 不思議な気持ちのお見送り

2010-11-18 00:00:52 | おなか・おしり医者奮戦記
 なぜ、私は今日この日に、この方のお見送りをすることになったのだろう。当直先病院で患者さんを「お送り」する時の気持ちです。医者になって、もう数年が経ったころのことでした。大学病院の近くのいわゆる老人病院の当直を頼まれて勤務していました。外来も病棟も著変なく、ぐっすり寝ていると夜中にコール。明治末年生まれの女性、「先ほど呼吸停止、救命処置はなし、です」と。駆けつけてみると心電図モニター上まだ心臓は動いていますが、リズムもとぎれとぎれになりかかり、まさに「いまわのきわ」。この方は身寄りがなく、あらかじめ主治医とご本人の間に「臨終の際はなにもしないでください」という約束がされていました。モニターの波形が停止してから、死亡確認そして死亡時間のコールです。私は時計を見ながら、「午前◯時◯◯分」と言いました。言いながら、不思議な気持ちになっていました。もう一分ゆっくり待ってコールすればその時間が死亡時刻になりますが、そういうことではありません。病院に来られる身内もなく、明治からたった今まで生きてこられた、ついさっきまで私の知らなかったこの方の終わりの時刻を私がここでコールしている、その不思議さでした。当直室に戻ると当時総理大臣だった細川護煕さんが、真夜中に「国民福祉税を創設します」という緊急記者会見をしていました。(1990年代のフィクション+ノンフィクションです)

医療情報をご希望の方へ。携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなか医者(12) 当直先でのステルベン

2010-11-17 00:00:29 | おなか・おしり医者奮戦記
 たまにしか行かない当直病院での、患者のステルベン(死亡)に立ち会う事は、大変なストレスです。老人病院で長く入院されているかたは、ほぼ寿命に近い形で亡くなる事も多いので、そういう場合はまだよいです。しかし、お年寄りの場合は元気なようでも、風の吹く剣が峰を歩いているようなところがあります。そういう急変には、それ相応の対応が必要ですから大変です。あらかじめ対応が主治医とご本人、ご家族とお話が着いている様な場合はよいのですが、入院直後などまだ対応が決まっていない場合などは、出来る限りの救命処置が必要になります。手を尽くしても不幸な結果になることもあり、そういう場合はご家族の到着を待ち、説明をして、とそれこそ徹夜になってしまうこともあるのです。それでも当時1990年頃はまだご家族からは、「ありがとうございました」と頭を下げられることの方が多かった様に思います。しかし何の因果が、これまでの人生で全く触れ合うことのなかった患者さんと、当直医を引きあわせるのでしょう。不思議な気持ちでお見送りをするのも、当直病院での一コマでした。
(1990年頃の研修医の物語で、フィクション+ノンフィクションです)
医療情報をご希望の方へ。携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなか医者(11) 寝られない「寝当直」

2010-11-16 00:00:48 | おなか・おしり医者奮戦記
 おなか医者としての奮戦記は、思い出深い当直の景色から始まりました。当直と言っても、実際は「夜勤」の病院もあります。また我々の間では「寝当直(ねとうちょく)」と言われる、本当に「寝るだけ」のことがほとんどの楽な当直もありました。もう少し当直のお話をしてみましょう。M上外科である程度の度胸がつきますと、「寝当直」も回ってくる様になります。さすがに元気な若い外科医も「夜勤」当直と大学病院の激務では体が持ちませんから、そこは配車係の助手の先生が「寝させて」くださる訳です。今回は寝当直の話。寝られる率85%の小倉中央病院(もちろん仮名)で3回連続寝られなかった話です。こういう病院には高齢者が多く入院していますから、寝られないのは患者さんが重篤な時、亡くなられる時です。亡くなることを医者の隠語で「ステルベン」と言いますので、私の場合は「小倉中央で、3回連続ステりました」と言う訳です。3回の内2回までが入浴中に、急に呼ばれて駆けつけました。呼びにきた看護婦さんは「こんなこと滅多にないので、懲りずにまたきてくださいね」と言っていました。
(1990年ころの研修医の物語です。フィクション+ノンフィクションです)
医療情報をご希望の方へ。携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなか医者(10) 最初の当直を終わって

2010-11-15 00:00:35 | おなか・おしり医者奮戦記
 初日の当直だけで何件診たでしょうか。今から思うと大した数ではないのでしょうが、全く、夜間外来をやっているようでした。院長先生はもちろん待機しているし、看護婦さんはそれこそ百戦錬磨です。決して自分の力だけではないのです。その場が私をなんとか「救急医」にしてくれていた様に思います。今は偉そうにしているドクターも初めての時はあったはずです。私も2500以上の肛門の手術をしていますが、最初の1もあった訳です。そこから積み重なっている訳です。現在は指導体勢も充実しています(それで田舎の私立病院はドクターが足らなくなっていますが・・)から、ご心配は要りません。書きながら、既に昔のお話になっているんだなあと感慨にふける次第です。緊張の当直初日を済ませて、早朝の遠賀川沿いを北へ下り、北九州の大学病院へ戻ります。戻るとすぐに回診、9時から手術に入ります。大学の予定手術日は術後管理のために院外当直はありません。つまり院外の当直の次の日が大学病院の手術日なのです。いやはや過酷ではありますが、今もこの現状は変わってないはずです。
(1990年ころの研修医のお話です。フィクション+ノンフィクションです)
医療情報をご希望の方へ。携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなか医者(9) 最初の手術「断端形成」

2010-11-14 00:00:16 | おなか・おしり医者奮戦記
 気持ちだけは、おちつき払ったつもりで、エレベータで1階へ。エレベータの油っぽいにおいをまだ覚えています。そんなこちらにはおかまいなしに、看護婦さんは用意を始めています。「断端形成、用意します」私は「はい」と言っても言わなくても進んでいきます。「消毒です」「はい」。「ここから清潔です」「手袋です」「はい」。今から考えるとすばらしい手術です。外科医が何にも言わなくても次から次へと正しい道具がさっさと出てくるのですから。看護婦さんは17歳にも話しかけて、場を仕切っています。指先には4本の動脈があり、圧迫せずに傷を開放すると指先から4本の血の噴水が出てしまいます。すばらしい勢いで天井近くまで吹き上げてしまいます。そんなことをするとまさしく「血の雨」が降ります。雨に濡れることもなく、なんとか4本の血管を処理して、骨を切って形を整えて、あとは皮膚の形成手術。今から思えば、角の丸みが今ひとつかなあと思う手術でしたが、まぎれもなく私の一番目の「作品」なのでした。後日口の悪い先輩曰く、「お前、まだその指、あると思う?」

医療情報をご希望の方へ。携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなか医者(8) 最初の電話

2010-11-13 00:00:08 | おなか・おしり医者奮戦記
 かばんの中には、当直医マニュアルが入っています。テレビもついていますが、何を言っているのやら。落ち着きません。いつ電話が鳴るかと気になります。先輩からは「電話じゃ『急患です』としか言わねーよ。ともかく看護婦さんの言うことを良ーく聞け」と言われています。電話が、「チッ」とうなってから「ジリリリリリ」とついに鳴りました。「17歳男性、断端形成です」いきなりきました。うーむ、この説明は、心して降りてこいよという心配りです。断端形成は切れて短くなった指の「断端」を指先の形にする形成手術です。もちろんマニュアルにはのってない手術です。医学部の強烈な詰め込み教育を受け、かつ要領もよくなった外科医はM上外科での断端形成にヤマをはっておりました。先輩諸氏からレクチャーは受けていたものの、実地は初めて。当時はこんなことがまかり通っていたのですねえ。(この物語はフィクション+ノンフィクションです)

医療情報をご希望の方へ、携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなか医者(7) 当直病院へ

2010-11-12 00:00:03 | おなか・おしり医者奮戦記
 さてM上外科当直初日です。ドクターカンファに貼ってある「行き方」について、先輩諸氏のアドバイス。ここはスピード違反の取り締まり厳しいから、後ろからベンツにあおられてもゆっくり中央車線を行け、だの、ここは事故が多い、救急車でなく自分の車でM上外科にたどり着くために、ともかくゆっくり走れ、だの色々励まされて?出発です。いきなり救急当番日を引き当てた幸運にもかかわらず、病院到着時には付近に救急車は見当たらず、待合室にも患者の姿はなく、スリッパに履き替えて4階へ。ここの夕食はおいしいのが評判で、料亭の一室みたいなお部屋で、たらふくの夕食です。目の前の緑色のダイヤル式電話(昔はみなこれだったのですよ)も静かなもので、案内されて当直室へ。ここでも良く鳴る電話が鳴ってません。「ま、ひとりやっつけたら(一人患者を診たらの意)楽になるから」という先輩の言葉が思いだされます。さーて、一人目の患者はどうだ?なんでもこーい。

携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなか医者(6) 当直病院のすごさ

2010-11-11 00:00:59 | おなか・おしり医者奮戦記
 M上外科のすごさをお話しましょう。そのころ僕は中古1981年式のセリカリフトバック1600GT(2T-GEUですよ、でもその話じゃありません)のくたびれたのに乗っていました。M上外科に着くと、丈夫そうなシャッターで覆われた車庫に入れるのです。ぼろグルマなのに、と感動です。玄関を入ると、看護婦さんが「お疲れさまー、お預かりしますう」と言って、ニコニコとスリッパを捧げ持ってきて、靴をあずかってくれるのです。大学病院では、犬以下の扱いなのにと感動です。車は車上荒らしにあわないように、そして靴は患者さんが間違って履いていかない様に、という心配りなのでしょう。しかし、口の悪い先輩に言わせると、車庫に入れるのは、医者が車で逃げ出さないため、靴をあずかるのもスリッパじゃ遠くへ行けないため・・・とのこと。よく出来た冗談ですが、「もしかしてホントかもー」という迫力いっぱいの病院なのです。ほんとお世話になりました。
携帯でアクセスの方は「アーカイブ」、PCの方は左の「カテゴリー」から項目を選んで読むことができます。ブログの構造上、下へいくほど古い記事になっていますので、ご注意くださいね。クリニックでのパンフレットご覧いただきましたか。貴方の満足を、次の方へ手渡してあげてください。

携帯向けHPはこちらです。パソコン向けHPはこちらです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする