姫路大手前・岡崎外科 消化器肛門クリニック ブログ・肛門科通信

姫路城が好きで姫路在住の消化器・肛門科医によるクリニックのブログです。胃腸肛門の情報あり、気軽にお越し下さい。

おなか医者(5) 当直事始め

2010-11-10 00:00:19 | おなか・おしり医者奮戦記
 病院勤務の外科医にとって、関連病院での当直は、良い意味での気分転換でした。ずーっと病院に張り付いている身にとっては、当直に出かける車での移動は、本当に楽しい時間でした。実際研修医の2年間は、学会などを除くと日曜日も必ず病院へ出かけていました。むろん、帰ろうにも帰れないことも多く、当直室のみならず、医局、ICUの控えベッドなどで寝て起きて、「さてここはどこだっけ」というのもしばしば。実際それが当たり前の時代だったのです。北九州市の大学病院から、ちくほう市のM上外科までは、遠賀川(おんががわ)沿い約1時間の旅です。衝撃の初回当直に入る前に、M上外科のお話を少々。M上外科は私立病院ですが、ちくほう市の救急基幹病院で、ちくほう市立病院などと順番で救急当番が回ってきます。旧産炭地のこの地区の救急なんでもござれ病院で、先輩からは「ここでちゃあんと仕事が出来れば、全国どこへ行っても大丈夫だよ」と恐ろしい励ましのことばが。もちろんM上外科はほんとにちゃんとしていて、我々の手に負えなければ必ず院長先生をコールすることになっており、お願いすると必ず、白衣のズボンに上はおっちゃん下着というスタイルで登場され「どうしたんか」の一言に我々はほっとしたものでした。大学で経験できない実地の外科をここで学んだ気がします。

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おなか医者(4) 配車係

2010-11-09 00:00:16 | おなか・おしり医者奮戦記
 K藤先生は、また我々研修医の当直(大学病院、および関連病院)の割り振りもしていました。医局ではタクシーみたいに「配車係」と言われている仕事でした。研修医の月給は、当時の労働医科大学で13万3300円でした。これの12倍が年収で、ここから税金が引かれます。当然ボーナスなし、時間外なし、です。いくら毎日病院で寝泊まりしていても足りませんから、外の病院に当直に出るのです。このシステムも現在は崩れてしまい、医療崩壊だの医師不足などと言われますが、不足する以前は若いドクターのただ働き同然の勤務体系があったからなんとかなっていただけなのですね。しかし、その話ではありません。同期の内科系ドクターたちは6月ころから、呼ばれることの少ない楽な当直に出ています。外科ではある程度なんとかできないと仕事になりませんから、救急処置や病棟での処置がある程度できるようになってから、やっと当直に行くことを許されるのです。私の同期は5人、あさしゃん、たーさん、かやぼう、おますちゃん、そして私。9月になり、外科当直のトップバッター(だったかな?)としてちくほう市のM上外科へ出かけることになりました。

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おなか医者(3) 黄色と赤色どっちがいい?

2010-11-08 00:00:03 | おなか・おしり医者奮戦記
 1990年当時は、内科的潰瘍治療の最先端が「H2ブロッカー(ガスター)の点滴、注射」という時代でした。今なら内視鏡で止血、その後プロトンポンプインヒビターの内服で治療が当然ですが、当時はまだまだひどい潰瘍も多く、手術もありました。K藤先生は、病棟医長で手術患者の振り分けをしておられました。ある日「急患二人、黄色いのと赤いの、黄疸と出血どっちがいい?」と尋ねられました。黄色い黄疸は、肝臓・胆嚢などの流れが滞った病変です。肝臓、胆嚢、胆管、膵臓などの腫瘍や結石などの病気です。赤い出血は多分消化管出血でしょう。黄疸だと、PTCDなどのドレナージ処置をさせてもらえるかもしれません、が手術となると高難易度ですので、術野(じゅつや)の端っこで鉤引き(こうひき)でしょう。それも手術がいつになるかもわかりません。その点出血はすぐ手術でしょう、夜間急患なら助手をさせてくれるかもしれません。以上のことを1秒の間に考えて、「出血がいいです!」と返事しました。思えば、この辺から、消化器外科の中でも、消化管が好きになっていった気がしています。

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おなか医者(2) オペレコは外科医の命

2010-11-07 00:00:01 | おなか・おしり医者奮戦記
 ちょっと解説しましょう。K藤先生は私が医者になった1990年に、我々一年目研修医の指導医でした。当時まだ外科は地獄の徒弟制度で、指導医の言う事は絶対!でしたが、先生は親しみやすく常に我々の兄貴分であった気がします。当時の福岡の名家で、九州場所の枡席をお持ちだったのでしょう。維持員席だったのかもしれません。K藤先生は助手、O里先生は教授だったのですが、九州場所での席は逆転しており、「K藤ちゃんすごいよねえ」と我々は訳もわからず世間の奥の深さに感じ入っていたものでした。「オペレコ」というのはオペレーション・レコード、つまり手術記録のことです。正確な記載が必須で、正しい記述、正確なスケッチが求められます。オペレコは外科医の命で、これをちゃんと書く事で成長していくものです。そのオペレコにも一人ひとりの個性がにじむものです。緊急手術でも、本来なら「ここらへん」と言うのはあり得ない記述ですが、「臨床は、そう杓子定規にはいかんのよねえ」という先生の教えを象徴しているようで、私は好きでした。

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おなか・おしり医者奮戦記(仮)おなか医者(1)

2010-11-06 01:07:48 | おなか・おしり医者奮戦記
 労働医科大学(仮名)第一外科の先輩からK藤先生が亡くなられたことを聞いたのは、9月のことでした。そして昨日、ご遺族から喪中のはがきが届き、そこに示された内容に胸が詰まりました。同時に大学医局時代のことが鮮やかに思い出されたのでした。少し綴ってみることにしました。

 先輩H暮先生のメール:「悲しいお知らせを一つ。K藤先生が8月1日に亡くなられました。腎臓癌で見つかったときには末期状態だったとか。ご家族が密葬と同門会員へ積極的に知らせることを望まれなかったので、連絡していませんでした。(葬儀などにも誰も行っていません)」
 私の返事:「K藤先生は残念なことでした。びっくりしました。私の父も、血尿もなく、腎臓癌の多発骨転移で発見され、二ヶ月で亡くなってしまいました。まあ父は医者嫌い!な人だったので、しょうがない面もありましたが。私が入局したときの助手のK藤先生は雲の上のような人でしたが、本当に雲の上に行っておしまいになるとは。K藤先生で思い出すのは(医療以外で)、O里先生(当時の教授)もK藤先生も大相撲九州場所でお席をお持ちでしたが、K藤先生の方がたしか、場所も日にちもよい所だったと記憶しています。その当時は大相撲もまだまだ大層なものでしたから、「すげー」と思ったものでした。あと、K藤先生のオペレコのピカソ風の線画と「ここらへんから出血」などという微妙なコメントが好きでした。」

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