初めから覚悟はしていましたが、緊急事態宣言は解除を先延ばしにするようです。こちら老人のこととて、ほとんど抵抗なくお家籠りの日を過ごしています。
近所の公園での1時間足らずのウオーキング。毎日の餌集め。週1度のパソコン教室、主婦仕事以外はこんなものです。
ウオーキングはマスクしっかり。友人や、顔見知りさんに出会っても、一言二言挨拶のみ。スーパーは3日に一度にせよとのお達しですが、重いものは持ちがたく、毎日出かけます。目標を決めて置いて素早く済ます。混まない時間帯を心掛ける。パソコン教室は一つ置きの机で3~5人、マスク厳重に。それでもナマ友人と話せる幸せを感じます。
あとはテレビと読書。
第一次緊急事態宣言の時、図書館・本や・古本屋・全てが閉まってしまって、山口の娘Maから文庫本10冊ばかりを送ってもらって過ごしました。その後、宣言がなされても開いていることに慣れて油断していました。またまた本がなくなりました。再び娘をわずらわせるのもと思いました。そうだ、この際、少し骨のある大作を読もう!決心しました。
高校生の頃、実家では吉川英治に家族で凝っていました。確かサンデー毎日だったと思いますが、「私本太平記」が連載されていました。それが切っ掛けだったような気がします。勤めている兄の誰かが求め、それが取り合いになっていたのだったと思います。私は大学受験も何のその、読みふけって、それが原因の一つか、志望大学を滑ったのでした。
その後、結婚して新たに出版された全集を、家事費を削って揃えたのでした。勿論読みふけりましたよ。
ああ、あれがあるではないか。そうだ!親鸞。これを読み直そう。何も信心心があるわけではないけれど、若いころ読んで感じたことと、この年になって感じることと、違うだろう。少し深く考えながら、読めたらいい修行かも知れない。
殊勝にこう考えました。
読書力の弱った私にはかなりの大作です。今年中に読めたらいいとするのかな。
ところで、読んでいてこんなことに面白さを感じました。
主人公・親鸞の幼名が「十八公麿」なのです。え?何と読むの?分かりません。見ればフリガナがついています。眼鏡を取り出し目を凝らして読みました。「まつまろ」。
最後の「麿」が「まろ」は間違いないだろう。では、「十八公」で「まつ」?
どうして?そんなの読めない、引っかかってしまいました。
分からないまま、其れでも読み進めていると、文脈から目出度い「松」だということが分かりました。ああそうか、「松」の「木篇は」「十と八」の組み合わせ。「旁(つくり)が公。「松麿」なんだ。
面白い漢字の成り立ちに親鸞を離れて愉快になったのでした。