昨日、「さざ波発言」に対する怒りに引き続き、娘へのお説教を勢いで書いてしまいました。娘は読んだようでメールで返事がきました。本人に断りもなくそれをそのまま載せるのははばかられますが、少しふれたくて差し支えないと思う部分を要約して載せてみます。
★ 娘の返事から(要約)
今回私は雑用係に徹していました。病院の荷物撤収、家の掃除、庭の草取り、式当日の車の運転、香典の管理などなど・・・。子どもを追使いながらミッション遂行するのみでした。悲しみはもっと血縁の人に任せたという状態でした。
LINEのスタンプは頭が事務処理ムードになっていたから「わかりました」をつい使ってしまいました.
同じお葬式と言う場にいても、人によってさまざまな感情、考え、行動があるのですね。
お葬式だからといって、ドラマや映画のように涙涙にならなくてはいけないのでしょうか。
私は、さらっと流して生きていきたい。
★ 娘の返事に対する私の返事
丁度テーマが一致したので、あんな形であなたに苦言を呈する形になりました。手抜きをし、断りもなくブログにのせて申し訳なかったとも思ています。このたび、家族葬で慣れないセレモニーを無事し終えることができたのは子ども、その連れ合い、孫たちの働きだったとお母様感謝していらっしゃいました。
あなたも今まで経験したことのない仕事で大変だったと思います。お疲れさまでした。
私の想像力不足であなたが事務処理係で、お悲しみの一員であることよりも、大変だっただろうことを今になって思います。無事やり終えたこと、立派でしたね。
家族を失った悲しみは、感じ方はそれぞれですよね。涙涙だけが亡くなった方への愛情表現ではないと思います。現に私は、母が亡くなった時、悲しいよりは、ほっと安心したのでした。
自分が楽になることも思いましたけれど、これ以上に生きなくていいと母も楽になったと思ったのです。
だからと言って、やはり一応のエチケットのようなものはあると考えるのが昭和世代なのでしょうか。その時漫画風のスタンプを使うというのは私は違和感を感じます。
悲しみの程度や、その表現はそれぞれであるにしても、その雰囲気を壊さないようにするのが常識ではないかしら。告別式には黒服を着るということと似ていると思います。独り赤い服ではやはり常識を疑いはしないでしょうか。
自分の健康を過信せずに、ワクチンはやってくれる時には受けなさいね。母の願い。