おせっちゃんの今日2

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[校則]で思い出すこといろいろ

2021-05-26 13:32:52 | いろいろ

昨日、大呂遼平君の記事の最後で、校則にとらわれず、遼平君の意思を真っ直ぐ育てた先生方など大人の柔軟さを喜ばしいことと結びました。
私も、言うことが恥ずかしいくらいの務めでしたが、3年間私立の女子高に勤めました。60年も前の話です。今からは考えられないくらい、校則は厳しく・・・というより頑迷に・・・守らせていました。
制服のスカート丈は膝をついて中腰で座って膝が半分みえるほど、とか
前髪は眉が隠れないほど、とか。
今も話題になるのが、男女交際。絶対悪とされていました。「不純異性交際厳禁」というのでした。

大学出たてのプロ意識もない私は、馬鹿らしいと内心反発もしたけれど、何の意見を申し出ることはせず、守らせるべく取り締まっていました。あの当時の生徒さんには謝りたくなります。

息子Kが大学4年生の夏休みのことでしたかしら。我が家にアメリカの女子高校生を2・3週間ホームステイさせたことがありました。らい太が引き受けていたのですが、癌が見つかり、急遽手術をしなければならないことになり入院、代わりに我が家で引き取ったのでした。エイミーという子でしたが、日本の高校を経験させるということで、Kの出身校、らい太の所の二人の娘が通っている日比谷高校に通学していました。ある時
「日本の高校の制服についてどう思うか」と訊いてみました。内心自主性がないとか、窮屈だとか批判的な意見かなと思っていましたら「コンビニエンス」と躊躇なく答えました。洋服選びに苦労しなくてよく便利だというのです。
自由を与えられている者は、かえって素直によさを認めるのかな、と思ったことでした。

ごく最近の「声」の欄に、こんな見方があるのだと新たな思いにさせられた声がありました。徳島県の三原さんとおっしゃる78歳の男性の声です。

昭和20年代。遠足には給食のパンが現地で配られた。自宅から米飯を持ってくることは禁じられた。
思うに、コメ不足で、米飯を持ってこられない子に配慮したものだったのだろう。
当時は食糧不足。米飯を持ってこられる経済的に恵まれた子は、校則で取り締まり、貧しい子に合わせて我慢してもらったのだと思う。
時代は変わって現在。スマホを持てる子と持てない子、持たせられない子の方に合わせてもらう。
こうした校則で、弱いものも胸が張れる。校則はこういう風に使ってほしい。