おせっちゃんの今日2

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ここまでの注意がいる?

2022-09-23 10:07:28 | いろいろ

なかなか読んでくださった反応が頂戴出来ない私のブログですが、よく目を通してくださり、コメントも下さる方がいらっしゃいます。わたしもそちらさまのブログを訪問することにしています。
今日は、地方の有名なうどんを調理して召し上がる記事でした。

饂飩ですから、ゆで上げる工程があります。その工程の説明書が写真で載っていました。写真脇に、文章で説明もあり、なおその上に注意が書かれています。
私が問題にするのはこの注意書きです。

「ゆで上げた後は熱いのでやけどをしないようにご注意ください」

ここ迄の親切(???)が必要かなあ。沸騰する温度で、何分間か茹でるのですぞ。鍋も、中の湯も饂飩も当然熱々なのは言わずと知れたことではないかなあ。

私の患っている石柱狭窄症は、台所仕事がが結構こたえるのです。言い訳にして、生協から配達されてくる冷凍のものを湯煎で仕上げて誤魔化す事が多いのです。その説明書には、上の文と似通った注意書きが必ずというほどついています。
注意過剰ではないかなあ。事故が起こらないためには念には念を入れて書くべきなのでしょうか。
私には、万が一の事故に対する責任逃れにとにかく書いておけばいい、という風に思えるのですが。

製品に責任を持つ。当然のことです。でも自分の持つ責任義務をどこか誤魔化してしまってはいませんか。


身体の各器官・・・しっかり働いています

2022-09-22 17:03:36 | 徹子の部屋出演者

先日いつものようにお昼のひと時、「徹子の部屋」を見ていました。
ゲストは・・・ごめんなさい、お名前を失念しました・・・女優さんだったかな? お話の中で、乳癌を患って手術をしたと言っていらっしゃいました。日本人、二人に一人はかかるとまで言われる癌ですから回復なさった今となってはさして珍しい話でもないかな?と考えながら聞いていました。娘Maもその生還組の一人です。

ところがざっくばらんの、あけっぴろげな闘病のお話は、私をびっくりさせました。

手術は上手くいきました。放射線の副作用で髪の毛が抜けてしまうことはいろいろ聞いていますから、覚悟して、ウイッグを用意したり、帽子を編んだり、準備万端しておりました。
ところがです、今まで聞いたこともないことがあったのです。抜けてしまうのは髪の毛だけではないのです。
まつ毛(上下とも)、鼻の穴の鼻毛までがすっかり抜けるのですよ~。ここ迄の知識はなかったし、覚悟もありませんでしたので、ただただびっくりしていました。

そして、抜けて無くなったというだけではないのです。この小さな体の部分が大変な働きをしていることを思い知ったのです。小さな器官がそれなりの重大な働きをしているのですね。目にやたらゴミが入るのです。くしゃみがでるのです。今まで、ほとんどの人が意識していない重大な働きをまつ毛は精一杯勤めていてくれたのです。ありがたいなと思いました。人間の身体、なんとうまくできているんだろうと思いました。それぞれが、ちゃんと役目を持っているんですね。

何だか自分の身体がいとおしく思われました。

娘Maは、老いた両親が最後と思って出て行く海外旅行を取り止めさせるのは可哀想と、黙って一人で手術を受けたのでした。退院してからも、あまり細々したことを聞かれるのはいやらしく、私もここまでのことは聞いておりませんでした。貴重な体験を聞かせていただきました。


SDGs・・・小さな積み重ね

2022-09-21 13:48:26 | いろいろ

「SDGs」ってなんじゃ??。横文字アレルギーの私はなかなか食いつけない気持ちがしていました。
でも世の中、この頭文字の意味するところは明確に分からなくても、自分でできる範囲で何らかの行動を起こしているようです。この小さな積み重ねが少しずつでも、地球を救い、海をきれいにし、人間の繋がりをスムーズに、他人のことを自分とは違っていても、理解できるように、その他エトセトラ・・・進んでいますよね。

今日は新聞記事から見つけた「SDGs」。

娘Maの長男・H君はコンビニ大手のローソンに就職しました。はじめ内情を知らないのに、聞きかじった知識で「大丈夫?ブラック企業ではないの?」などと危うんでいたのですが、これは全く違っていました。張り切って勤めているようです。ばば馬鹿というのか、「ローソン」の文字はピンと目に入ってくるのです。

少し前の新聞記事に、聴覚に異常がある人のために、こんな工夫をした、という報道がありました。聴覚異常の社員が提案したことで実現したのだそうです。
耳の不自由な人は、相手のくちもとの動きで言葉を判断するのだそうです。ところがマスク生活になりました。お店にこんなシートを置いて、指差しで伝えられるようにしたとのこと。
シートも良い工夫ですが、社員に耳の不自由な人も採っているということが「SDGs」だと思ったのです。
下にシートをスキャンしたものを載せます。

今朝の朝日新聞。ロンドンのユニクロが穴の開いた古洋服を、日本伝統の刺し子でみごとよみがえらせて、ロンドンっ子の評判になっているんだとのこと。そうだ、刺し子は確か東北地方の作業着を狂人にしたり、保温性を高めたりした技術ではなかったかな。実用だけでなく、美術として活用したのか。すばらしい!!
安価なものを数多く買ってすぐに捨てるというおしゃれが認められたこともありますが、こうしたじっくり手間をかけて再生したものを愛用する、文化の継承にもなるし。

私の3兄はとても真面目で、物事を徹底してやりあげる、じっくり型の人でした。戦時中、金属は最低限を残し、鍋釜の類まで集められました。残ったかけがえのない釜も今の様に品質が良くなかったのでしょう、小さな穴が開いて「いかけ」をしなければならないということがありました。竈で薪での燃料です。釜の底は焦げたり、外側は煤だらけになります。母が4兄に、その磨きを頼みました。兄は徹底的に磨きに磨きました。過ぎたるは及ばざるがごとし、底に穴が開きました。
母が小さい声でいいました。「あねえに磨かんでもええのに」と。

物のない時代、その穴はどうしたでしょう。「鋳掛(いかけ)}という技術がありました。釜を日にかざし、小さな穴を見つけるのです。見つかったら、釘の脚の短い、素材は柔らかめの金属、がありました。釜の穴に釘状の足を通します。釘状の平らな帽子で穴はふさがります。脚の余分をトンカチでたたき、ぴったり穴をふさぐのでした。勿論責任上3兄が修繕したのでしょうね。

 

 


敗戦で・・・

2022-09-20 13:59:03 | いろいろ

8月の、私が夏休みをとってブログを休んでいた時だと思います。「俳壇」にこんな句が採られていました。

敗戦日六才からの民主主義   新潟 嘉代祐一 (無断使用お許しを)

きっと同じくらいの年だと思います。国民学校一年生の夏が敗戦記念日ですから。

幸か不幸か、幼かったものですから、この日を境に世の中が変わったこと、そのために生活が一変したことなどの悲しみは一向に実感しませんでした。
貧しい暮らしは日本中同じでしたし、親兄姉のおかげでどうにか食べられ、勉強勉強と追い立てられることなく、自由に遊びまわっていたのですから。

世の中が急旋回し、生活も、暮らし向きも一変して悲しい思いをしたのは、誇りを持っていた当時はエリートだった両親、・・・父はまだ母に向かってうっぷんを晴らすということが出来ましたが、母は胸に溜まる思いがあったに違いないと後に思いやったのでした。
子供は、昨日までならったことはさらりと忘れ、軍艦の写真は墨で黒々塗る作業に授業時間をつぶしても面白がっていたような気がします。

まさに六才からの、教科書通りの民主主義、人間平等。を教えられるまま信じ暮らしたのです。

急に、話は変わります。今、台風14号の置き土産、夜から続く雨の中、郵便局まで行ってきました。道すがら、すれ違う小学生に会いました。急に、子どもの頃の雨降り、レインシューズなどない通学を思い出しました。「こんな日は”あとばね”がしたもんだ」と。あとばねというのは山口方言でしょうか、履物の裏についた土が歩くたび、ズボンやスカートの後ろに跳ね上がることを言うのでした。

いやいや、時は流れたのです。世の中変ったのです。材料がいいのか、素材が改良されたのか、デザインが工夫されたのか、道路自体が舗装されたからか、今そんな泥撥ねしている子供なんていない。

今日の徹子の部屋は俳優の「中山秀征」でした。4人の男の子の父親だそうです。長男が父親と同じ道を歩き始めてとのこと。徹子さんの「子供の進路選択に対して、親の意見とかあったの?」という質問に対して、特にありませんねえ。子供の進路に口は出せません。自分でやりたいと思うことに突き進んで見なければ・・・親がとやかく指図するべきものではないと思う、とのこと。

そう、今の当然のこのことが「六才からの民主主義」を受けた子供には分かるのだけれど、それ以前の世代の人には分からなかった。我が実家でもいろいろあった。父親の言うことは何がなんでも正しい。絶対服従。長男は外に出ないで親を見ろ、女に学問はいらない、早くいい所に嫁に行け、相手は親が決める、自分で決めるなんて交際は許さん、などなどなど・・・

ああ世の中変った!!
多分自由なだけ、自己責任が問われるだろうけれど、私もそういう世界で生きてみたかった。
人間同時に二つの人生は生きられないからな。

 


珍しい苗字

2022-09-18 09:09:12 | いろいろ

私が大学生の時、母の実家に下宿させてもらっていました。珍しい苗字でした。
「彌源治」(やげんじ)が姓で、当時の戸主(母の兄)は「斎」(ひとし)でした。
この4字をずらりと並べて書くと、大抵の人が「何と読むの?」と首ををひねったものでした。ある時、「弥源治」(弥は略字で書いておりました)と書いたのを見て、友人が「源」を勝手に「原」にして「やばらおさむ」さんちに下宿してるのね、と言ったものでした。
全国的にもあまり数多くはない苗字のようで文房具屋の印鑑の塔(何という物?)には見つからないということでした。ただ同じ地域には3・4軒「彌源治」がありましたが、古くは一族であったかもしれないけれど、今は親戚でもなんでもないとのことでした。

9月14日の朝日新聞、「ひと」欄に高信幸男(たかのぶゆきお)さんという「珍しい名字を探し続けて50年」という方が紹介されていました。中にいくつかその珍名が書かれていました。今週は、これの盗み記事になりますが、雑学に面白いかと載せてみます。

四十八願・・・よいなら
一番合戦・・・いちまかせ
月見里・・・・やまなし

月見里は以前同じような珍名を取り上げた文で読んだことがあります。私の覚え間違いでな無ければ、「空の月がよく見えるのは回りにさえぎる山がないから」ということでした。

四月朔日・・・わたぬき
旧暦の4月1日に着物に入っていた綿を(暖かくなったので)抜くことから「わたぬき」

高信さんは全国の電話帳で珍しい名前を見つけては書き抜き、いわれは本人に電話して聞くなどで解明しているとのこと。