8月の、私が夏休みをとってブログを休んでいた時だと思います。「俳壇」にこんな句が採られていました。
敗戦日六才からの民主主義 新潟 嘉代祐一 (無断使用お許しを)
きっと同じくらいの年だと思います。国民学校一年生の夏が敗戦記念日ですから。
幸か不幸か、幼かったものですから、この日を境に世の中が変わったこと、そのために生活が一変したことなどの悲しみは一向に実感しませんでした。
貧しい暮らしは日本中同じでしたし、親兄姉のおかげでどうにか食べられ、勉強勉強と追い立てられることなく、自由に遊びまわっていたのですから。
世の中が急旋回し、生活も、暮らし向きも一変して悲しい思いをしたのは、誇りを持っていた当時はエリートだった両親、・・・父はまだ母に向かってうっぷんを晴らすということが出来ましたが、母は胸に溜まる思いがあったに違いないと後に思いやったのでした。
子供は、昨日までならったことはさらりと忘れ、軍艦の写真は墨で黒々塗る作業に授業時間をつぶしても面白がっていたような気がします。
まさに六才からの、教科書通りの民主主義、人間平等。を教えられるまま信じ暮らしたのです。
急に、話は変わります。今、台風14号の置き土産、夜から続く雨の中、郵便局まで行ってきました。道すがら、すれ違う小学生に会いました。急に、子どもの頃の雨降り、レインシューズなどない通学を思い出しました。「こんな日は”あとばね”がしたもんだ」と。あとばねというのは山口方言でしょうか、履物の裏についた土が歩くたび、ズボンやスカートの後ろに跳ね上がることを言うのでした。
いやいや、時は流れたのです。世の中変ったのです。材料がいいのか、素材が改良されたのか、デザインが工夫されたのか、道路自体が舗装されたからか、今そんな泥撥ねしている子供なんていない。
今日の徹子の部屋は俳優の「中山秀征」でした。4人の男の子の父親だそうです。長男が父親と同じ道を歩き始めてとのこと。徹子さんの「子供の進路選択に対して、親の意見とかあったの?」という質問に対して、特にありませんねえ。子供の進路に口は出せません。自分でやりたいと思うことに突き進んで見なければ・・・親がとやかく指図するべきものではないと思う、とのこと。
そう、今の当然のこのことが「六才からの民主主義」を受けた子供には分かるのだけれど、それ以前の世代の人には分からなかった。我が実家でもいろいろあった。父親の言うことは何がなんでも正しい。絶対服従。長男は外に出ないで親を見ろ、女に学問はいらない、早くいい所に嫁に行け、相手は親が決める、自分で決めるなんて交際は許さん、などなどなど・・・
ああ世の中変った!!
多分自由なだけ、自己責任が問われるだろうけれど、私もそういう世界で生きてみたかった。
人間同時に二つの人生は生きられないからな。