心を打たれました。ほんの日常の言葉です。
テレビには砂漠が写っていました。タクラマカン砂漠だとのことでした。そこに住んでいるのは”シルクロードの謎の民”とも呼ばれている、また、楼蘭の末裔とも言われる人々でした。
昔は、数あるオアシスの水で草木も生い茂り、多くの人々の生活があったと言います。だんだんオアシスは涸れていきました。住む人も次第に少なくなって、村の多くは砂に埋もれてしまったということです。
テレビは、その少くなった人々を映します。雪解けの水が川となって流れてくるとき、人々は力を合わせ、人力で土手を築き、流れを元に返すべく働くのです。どうにか自分たちの生活できるだけの水を確保できるように汗するのです。それでもそこに暮らす子供たちはほとんどが、将来は街に出るのだと、この地を好きだと言いながら、離れていくようです。
ある父親の所へ既に街に出た上の子から手紙が来たようです。何かお金が要るようです。父親はなけなしのお金を渡そうとします。そこまではよくあることですよね。
父親は工面したお札を握って(日本円にしたら2千円ほどだと言っていました)オアシスの市場付近へ行きます。そこで叫ぶのです。
「誰か町まで行く人はいませんか?」「持って行ってもらいたいものがあるのです」
「息子にお金が要るのです。誰かもって行って渡してくれませんか」
ああこういう不便だけれど、人と人の繋がりがあり、人を疑うことはなく、当たり前のこととして引き受ける民なんだなあ、と心がふっと温まるような気がすると同時に、自分が寂しい気がしました。