おせっちゃんの今日2

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さつまいも

2022-09-10 14:07:48 | 思い出

今朝の「折々のことば」はこんな言葉でした。「さつまいも」というごく大衆的なものに寄せる懐かしさ、それも空腹や、甘みの嬉しさ、戦後の時代をとにかく食いつないだ貴重なものという感謝、さまざまな思い出とともによみがえります。台所を預かる母の苦肉の策でしょう。我が家には「芋ぜんざい」という御馳走(?)がちゃぶ台に並んだことがありました。
砂糖というものはありません。菓子を選んで食べる、あれがおいしい、これはまずいと選び、これは美味しいとの宣伝にはすぐ行列ができる時代とはかけ離れた世の中でした。
いつものように芋をふかします。皮をむいて擂粉木でつぶし、滑らかなあんこ状態にします。大鍋に水を入れ、沸かし、先ほどのいもあんこを溶かします。そして一人いくつだったでしょうか、小麦粉の団子を入れます。ただそれだけです。あ、塩少々を入れたかな?

砂糖なしでも芋は甘かった。お汁粉、お汁粉と、喜んだものでした。

こんな時代です。かなり広い地所に加え、山の木を除き、畑を増やし、一面芋畑にし、収穫したのでした。

春先には、その畑に飢える苗を育てなくてはなりません。畳3・4枚分の畑を50センチもあったでしょうか深く掘り下げます。そこに、稲わらを短く切ったもの、,枯れ葉、糠、野菜くずなど入れ込みます。そして、5センチ角ぐらいの木材で作った枠に油を塗った紙をはります。発酵熱と🌤高熱太陽光熱温室を作ったのです。私の幼い記憶で覚えている限りでは、覆いの油紙には梅雨が溜まっていましたから、結構熱が出ていたのだと思います。
そこにさつまいもの芽とおぼしきところを上に、確か下は切り取っていたような、埋め込むと、何日かすると芽を出し、蔓を伸ばすのです。ツル先を30センチばかり切り取り、耕した畑の畝に植えこんでいくのです。

ところが、人は本当に飢えていたのですね。夜のうちに、温室に植えこんだ芋が盗まれるのです。時間が経っていなければ立派な芋ですもの。

父が「盗まれたか、・・・・」。あとの言葉が続かなかったようでした。しばらくして「しかたがないのお、もう一回植えよう」とつぶやいたのを覚えています。明治生まれの父は日本人のあまりな堕落とそして堕落せざるを得ない飢えとを思う時、なんとも悲しかったのでしょうか。

男としてはかなり愚痴っぽい、くだくだと文句の長い人でしたが、この時は悲しそうな言葉が口から洩れただけでした。

 

 


父と母の花合戦

2022-09-09 14:07:03 | わが家の話

まっしぐらとは行きませんが季節は秋に進んでいます。夕暮れが随分早くなりました。今年は蝉の合唱が物足りませんでしたが、それでもつくづく法師の声が夏休みの宿題やったかとせかせるように鳴きますし,夜はそれに代わって虫の声が耳に心地よく響くようになってきていました。
超強力台風と言われていた11号、幸いふるさと山口にはほとんど悪影響なく通り過ぎたようです。

東京にも雨が恵まれました。娘のMaとは違って、花の世話の下手な私ですが、、雨の恵みで「玉すだれ」が一斉に蕾を伸ばし、開きました。父がこの花を好んでいました。

実家は60メートルほどの山の中腹にあって、瀬戸内海を見下ろせました。食糧難の時代、山を兄たちが開墾したりしましたので、ミカン畑、野菜畑、など地所はかなり広かったのです。花畑もありました。

その花畑の周りぐるりを父はこの玉すだれで囲っていました。母は戦後の苦しい生活の中で、どう工面したのかと思うのですが、ボタンの苗木を求めてきて、花畑のいい位置に植え付けていました。可愛がって育てたからでしょうか、年々大きくなって、見事なピンクの花をつけるご自慢の花でした。

ここまでお読みになった方、いい夫婦だとお思いでしょう。ところが父母は凸凹夫婦でした。体格的にも、趣味でも、全く合致しないのでした。
父は花バサミをもって見回るのです。父の玉すだれに、母のボタンが枝を伸ばすのです。母はその伸びる枝につく蕾を今か今かと待っているのです。父は「こりゃあ邪魔、俺の玉すだれが陰になる」とか何とか云いながら、遠慮会釈もなく、パチンパチンと切ってしまうのです。「まあ、折角のボタンを切ってしまって。野草に近い玉すだれは、少々陰になっても枯れはせん、折角のボタンを切ってしまって。野草に近い玉すだれは、少々陰になっても枯れはせん」。とうとう母が爆発してしまったことがありました。
どちらも結構我儘な、我を通す人でした。私とらい太、夫婦げんかにすくみ上って、半泣きになって固まっていたのでした。

さて、今あの世で二人、出会っているでしょうか。どんな顔をしてこのブログを読んでくれているでしょうか。


いろいろ

2022-09-08 16:17:04 | いろいろ

今日は木曜日、パソコン教室の日です。パソコンを学ぶという本来の目的以外に、先生のお会いし、仲間に会い、コーヒータイム(コロナ時代で。マスクを外すとサッと黙っていただいて、再び素早くマスクをつけるのですが)に続く時間のお喋りや質問が楽しいのです。専業主婦の飯炊き婆さんです。この時間のみが人とつながる時間なのです。町会や、区民センターの仕事やを断わってしまいましたから、本当に狭い自分の世界から、外の世界を見る壁に開いた小さな穴なのです。教室でたわいもないことで笑って、すぐに忘れてしまうことが多い新しい知識が、次の一週間を保たせてくれるのです。

先日、羽鳥モーニングショーで「つながらない権利」ということについて意見を交わしていました。私は繋がらない・・・というのはめったやたらに群れないことかしら、と思って見ていました。これが違ったのです。
土・日に代表されるお休みの日に仕事で掛かってきた電話に出る必要はないのではないか、というのでした。コメンテーターたち、アナウンサーの方たち、なんとも歯切れ悪く、いつものように盛り上がりませんでした。それでも、多くが、やはり出るよなあ、大事な話かもしれないし・・・という意見が多かったような気がしました。

出て見なければ、大事かどうか分からないし。

超強力と予想された台風が、ふるさと山口県に近づくような恐れがありました。気になって進路図をたびたび見ていました。娘に台風見舞いのラインを入れました。
「嵐、大丈夫かあ?」
「用意万端整えて、期待して待ち構えているけれど、今のところなんともないよ」
「少しはね、と言ったら不謹慎?」
「そんな心境」
「無事を祈るよ。ゆっくりおやすみなさい」

翌日になって、気象庁の報告でも、山口は幸いほとんど被害はなかったよう。娘からも報告。
「台風一過でバラさんも花壇も元気!」娘は借家の周りの空き地に花を増やして楽しんでいる。土いじりが好きなようです。水不足ぎみだった花壇に雨は幸いだったよう。写真入りでした。
「被害は花壇の一株。桔梗の一枝が折れただけ」
「被害がなくてよかった良かった」

東京は南風で、暑さが戻っただけでしたね。大きな被害は私の腰痛。脊柱の不具合に加えて「気象病」。真っ直ぐ立ってしまえば、歩けるし痛みもさしては暴れないけれど、動かず座っていたり、横になっていたりの姿勢から立ち上がる時、腰から下、品悪く言えばお尻が真ん中から割れるのではないかと思うほどの痛みが襲う。痛みで真っ直ぐ立てない、収まるまで固まってやり過ごす。そしてやおら腰を伸ばして直立姿勢に。まあ歩き始めるまでに手間のかかること。やれやれ。

動けるだけいいとするか!!

 



 


幸田文・・・ちくま日本文学

2022-09-07 13:29:50 | 読書・映画

脳味噌の老化現象で読解力が衰えて、読む本を替えたことは以前お話しました。登場人物が少なく、人脈が複雑でなく、内容が比較的まとまっている、短編のものにしました。
先日来、「ちくま日本文学・幸田文」を読んでいます。ご存じのことと思いますが、彼女は幸田露伴の娘です。高校の現代国語に、露伴から家事一般をこなす心得を教え込まれる様子や、露伴が亡くなって葬儀を終えて、「別れすら」終わった、と書いた文を習ったことを思い出したのでした。

大好きなM先生の、この「すら」の表現についての名講義で私は大学でも国文を専攻したのでした。必ずしもこれがよい選択だった、自分に合っていたとは思わないのですが。

昨日前述の本の「雛」と題した文(エッセイ(?)小説(?))を読み、感じ入った箇所がありましたので、書いてみます。私の拙い文でお伝えできるものではありませんが。要所だけ書きます。

娘の初節句にお雛様をと思った。揃えるならいいものを・・・の気持ちが、だんだん高揚してきた。お雛様も最高のもの、ひな壇と天井の高さの間の空間も幕をおろしたかった。部屋全体を春の雰囲気に、廊下も桃の生け花と菜の花の生け花とで飾った。招待客は夫の母、私の両親二人の三人だけ。
市場で食事の新鮮な魚も吟味した。完璧に準備して待った。
三人の年寄りは大いに喜んだ(と思った)

翌日、父から寄ってくれと言伝があった。あ、叱られると思った。
穏やかにではあるけれどこんなことを言われた。
「至れり尽くせりにやったな。でもあれは尽くし過ぎではないか。尽くして後、なにが残ったか、お前は子どものためというけれど、子供に何が残ったか。しゃにむに子供に分不相応に使い果たしていいものか、お前が子供の福分を薄くしたようなものと思わんか」。浪費と言わずに福分を使い果たす、と注意した。

それだけ言って、言外に姑の所にもよって行けとにおわせた。

姑は
「実はね、あの日帰ってからいろんな気持ちがしてね、言うにも言われず、言いたくもあるしという変な気持ちでした。あちらのお父様はし過ぎたとおっしゃいましたか。私はまた、残しておいてもらいたかったと思ったのですよ」
「ああ全てをやってしまったら、祖母のこころの入り込む隙がありません。何か足りないものがあれば、来年、買い足して孫に贈る楽しみもあるのに、と味気なく思ったのよ」。

言われてみて納得した。欠けたところがないのは寂しさに通じるのか。

父は労わりの中で、ずけずけと叱った。姑は「いたりつくす嫁」にいうに言えない寂しさを感じていたという。

 

難しいものですね。

 


蚊は刺すのか、噛むのか

2022-09-06 13:30:30 | 言葉

9月5日の天声人語が面白かった。

人語氏が昨夏蚊を話題に取り上げた。そこで「蚊にかまれる」と書いたところが読者から次々と問い合わせをいただいた。「かまれるという表現は初めて聞いた」とか「私は刺されるというけれど、これは方言なのか」「食われるを聞いたことがある」など。

私は自分が日頃話す時、どう表現しているか、より、漫画チックなイラストには口の部分には注射針のような針が書かれているではないか、あれが本物の蚊の姿ならば、「かむ」ではなく「刺す」だろうと思ったのです。

そんな風に頭の中で蚊について思いを巡らせている間に、こんなことに思いが行きました。そうだ、山口県では「蚊にかぶられる」と言っていたな、と。
「かぶる」は「かぶりつく」のイメージだと思います。子供がスイカにかぶりついた、のように少し大きいものに大きく口を開けて勢いよく・・・のイメージだ。

これは針のイメージではないな。歯があって、大きな口を開くどんな蚊のイラストを想像したのだろう。

今東京では我が家は「刺される」を使っているような気がします。