今朝の「折々のことば」はこんな言葉でした。「さつまいも」というごく大衆的なものに寄せる懐かしさ、それも空腹や、甘みの嬉しさ、戦後の時代をとにかく食いつないだ貴重なものという感謝、さまざまな思い出とともによみがえります。台所を預かる母の苦肉の策でしょう。我が家には「芋ぜんざい」という御馳走(?)がちゃぶ台に並んだことがありました。
砂糖というものはありません。菓子を選んで食べる、あれがおいしい、これはまずいと選び、これは美味しいとの宣伝にはすぐ行列ができる時代とはかけ離れた世の中でした。
いつものように芋をふかします。皮をむいて擂粉木でつぶし、滑らかなあんこ状態にします。大鍋に水を入れ、沸かし、先ほどのいもあんこを溶かします。そして一人いくつだったでしょうか、小麦粉の団子を入れます。ただそれだけです。あ、塩少々を入れたかな?
砂糖なしでも芋は甘かった。お汁粉、お汁粉と、喜んだものでした。
こんな時代です。かなり広い地所に加え、山の木を除き、畑を増やし、一面芋畑にし、収穫したのでした。
春先には、その畑に飢える苗を育てなくてはなりません。畳3・4枚分の畑を50センチもあったでしょうか深く掘り下げます。そこに、稲わらを短く切ったもの、,枯れ葉、糠、野菜くずなど入れ込みます。そして、5センチ角ぐらいの木材で作った枠に油を塗った紙をはります。発酵熱と🌤高熱太陽光熱温室を作ったのです。私の幼い記憶で覚えている限りでは、覆いの油紙には梅雨が溜まっていましたから、結構熱が出ていたのだと思います。
そこにさつまいもの芽とおぼしきところを上に、確か下は切り取っていたような、埋め込むと、何日かすると芽を出し、蔓を伸ばすのです。ツル先を30センチばかり切り取り、耕した畑の畝に植えこんでいくのです。
ところが、人は本当に飢えていたのですね。夜のうちに、温室に植えこんだ芋が盗まれるのです。時間が経っていなければ立派な芋ですもの。
父が「盗まれたか、・・・・」。あとの言葉が続かなかったようでした。しばらくして「しかたがないのお、もう一回植えよう」とつぶやいたのを覚えています。明治生まれの父は日本人のあまりな堕落とそして堕落せざるを得ない飢えとを思う時、なんとも悲しかったのでしょうか。
男としてはかなり愚痴っぽい、くだくだと文句の長い人でしたが、この時は悲しそうな言葉が口から洩れただけでした。