今住んでいるところは大川の上流に近い川べりである。
私が生まれ育ったのもやはり今治市に注ぐ河川の上流に出来た盆地であった。
河岸段丘に沿って何本もの小川があり、すべての田圃にくまなく水が引かれていた。
子供の目にはどれも自然の小川のように見えたが、
今思えばあれは全部 古来何百年かけて農業用に開削された水路だったのである。
長さ数10mに及ぶトンネルあり水道橋あり、上流に辿れば大川の取水口に行き着いた。
ため池も各所にあり、先人の水に対する執念を思い知らされる。
その小さな小川には、フナやドジョウをはじめ今は絶滅したような何種類もの魚、ナマズ、ウナギやモズク蟹などもいた。蛙やイモリや水生生物も数限りなくいたものだ。
夏には一面青田が広がり、無数のホタルが飛び交っていた。
小川はみな石積みで囲われて、生い茂った草で隠れてしまうほどであった。
ところどころに小さな落差を持った、これも石積みでできた堰があった。
石積みの無数の穴にはウナギや「ドンコ」が隠れ住んでいて、餌で誘うとドンコは直ぐに掛かった。その穴に肩まで腕を差し込んで魚や蟹を捕まえた。
ウナギは難しくて、凧糸の先に餌をつけたウナギ針を付け、細い竹で穴の奥まで差し入れ、根気強く待つことしばし、たまに釣れることがあった。
田植え前と年に何度か上流の取水口を閉めて川掃除をすることがあった。
水が干上がると、堰の下の水溜りに魚が群がって子供にとって面白いほど採れた。
ほとんど小魚で、鶏の餌にしかならなかったが・・。
干上がった夜には兄や年長者とカンテラの灯で川伝いに、例のトンネルの中も潜り抜け、遡行してウナギやモズク蟹を籠一杯採ったことなどが懐かしい。
とりわけ次兄は漁が得意で、夏になると小川のあちこちに仕掛けた筒漁や、ドジョウを餌にした針仕掛けで、早朝にウナギを沢山採ってきていた。
その兄が零細農家を継いで今も故里に住んでいる。
川も道も様変わりしたが、今も田圃が広がり山並は昔のまま、
いつになっても故里は懐かしい・・・
ある時代を境にその小川は大小にかかわらずすべてコンクリート護岸になる。
それ以降、川魚もその他の生き物も激減したように思う。