じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

おおらか

2022年04月28日 | 日々のこと

元禄時代に開鉱した別子銅山、

明治期に日本でも初期に蒸気機関車が輸入され運搬の主力となる。

1000mの高地を走る上部鉄道とともに、

現在のマイントピアから市内まで伸びる下部鉄道にも蒸気機関車が走っていた。

それがこの古い写真

近くの橋の親柱に陶板写真が貼られています。

拡大写真 ↓

 

この写真の場所は ちょうど生子橋(赤橋)の付近、手前側だとわかります。

後に下部鉄道では下のような機関車に代って行った。

 

しかし、山を貫いた坑道内は下のような電車? で牽引されたカゴ電車、

勿論 坑夫用ですが、子供や登山する一般の人までも乗せてくれていました。

おおらかだった、、私も何度か乗せてもらいましたよ、懐かしい。

 

最後はやはりベルの写真をば

昔の鉱山社宅後にできた広大な公園の多目的広場です。

 

コメント (8)
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