諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

44 子ども時代の意味#9 子ども時代の原型

2019年09月08日 | 子ども時代の意味
(写真)昔は峠を越えて上高地に入りました。
ふもとから標高2100mまで来た徳本峠で穂高山塊がはじめて姿を表します。



 「子ども時代の意味」を考えるシリーズもそろそろまとめていきます。こんな一文から。


 とにかくも人間は弱かった。

 とても猛獣と闘って太刀打ちできないし、逃げ足も遅い。温度の変化にも弱い。
だから集合して助け合わないと生き延びれなかった。そのことしかなかった。

 食糧を分担して確保すること、それを何らかの基準に応じて分かち合うこと、仲間割れをしないことを必死で実践しただろう。そのことだけで他の動物にはない特徴であるらしい。

 その中でも人間の赤ちゃんは全くの無力だ。生後すぐに歩いたりしない、1月で狩りの練習をする動物とも全く違う。生きるための意思表示さえはっきりしないので神経を使うケアが必要である。弱き人間の群れはその赤ちゃんのケアを一生懸命やった。老若男女が参加した。

 そしてケア時代を経て子ども時代になっても、子ども達はコミュニティの主力になりえない。身体もできないし、生殖能力もない。一人前まで遠い。

 それでも乳幼児期での死亡率は高かったから、無事に子ども時代(児童期?)を迎えた子は「幸運な子」だったし、「貴重な跡取り」に感じられた。だから、大人たちは、子どものもっている広大な時間の中で、何か大切にしていることを伝えたかっただろう。
 そんな自然な教育がずっと行われてきた。営みとしての教育。

 だから、人類の発生当初から人間にとって子どもを育てることは(療育や教育)、類としてもともと大事業だったといえる。けして一人では育つものではない。

 そして、次第に群れの成員数が多くなっていくにしたがって、脳の大きさ(容積)が増大していった。
人類学者によるとコミュニティの規模と脳能容積が比例するという。他者への配慮やいたわりといった高度な他者意識が脳の前頭葉等を発達させたという。(並行して肉食をによるたんぱく質の摂取にもよるらしいが)

 とにかくも弱かった人間は、共生しないと生きられなかったので、子どもの広大な子ども時代を、共生するための修養の時間に充ててきた、と言っても大きく外れてはいないだろう。

 共生には、不断の努力がいることでもある。



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