諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

117 幸福の種 #13 まとめ②

2021年01月17日 | 幸福の種
北八ケ岳 大河原峠付近で

幸福の種③
小さな企画と跳躍


幼児がおもちゃでも時計でも、なかに何がはいっているかをしらべようとして、容赦なくこわしてしまう姿を思い浮かべれば、これが人間に備わっている基本的な欲求のひとつであることがわかる。これが人間を内外の冒険と探究にかりたてる原動力であろう。

のちに出てくるキーワドは「歩みを止めない」ということだ。
歩みを止めないといった場合、明日の状況の変容を期待しつつ努力するいわば「静的な歩み」と、人間にもともと備わてる冒険と探求の心によって後押しされるような「動的な歩み」があるのではないか。

特に子ども時代の冒険心と探求心から小さな企てを行うことは、その後のいろいろな状況でのふるまい方の選択肢を増やすことを可能にする。

先日、コロナに対応する小学校の様子がテレビでレポートされ、子ども達にも細かくルールがあることを取り上げていた。これに対しコメントして尾木直樹さんは、
「(子ども達は)ルールも遊びに変えているでしょ。子ども達は逞しいんですよ。」(正確か不明です)
という。
こういう機転が子どもにはある。

理屈抜きに思いついてやってみる。もちろんその跳躍の方向性はその時にはなじまないものであっても、何度もやることでいろいろな跳び方を知る。

おもちゃや時計を容赦なくこわしてしまうことで、単にその物の構造を知るというのではなく、跳躍力を養っているとも言える。
その跳躍のコツはいろいろ状況を乗り越える、あるいは楽しむ力となる。

幸福の種④
「石の上にも3年」力


現状から跳躍することと同時に、そこにとどまり続ける経験も大切だ。

重度の生徒の摂食指導でも、ずっと続けることで少しづつ上手に食べられるようになる。
歩行の練習も、日々続けることで、適切な部分の筋力が強化され、試行錯誤の結果合理的な足の運び(実は全身動き)が分かってくる。
目新しさのない日々の積み上げが、彼(女)に新しい世界を開かせることになる。

具体的な成果が見える場合だけではない。
勉強や仕事を強いられるようにやっているうちに、それそのものの面白さや味わいがあることを見出すことがある。
つまり、やることは変わらないけどこちらの内面が変わるという場合だ。

そういう意味では「石の上」でも歩みは続いているのである。
幸福というものが外の条件だけでは定義できないことはこのことによるのだろう。

小学生の時、皆で野球をしている時、ある子が、
「オレ、仕事がある」
と言って、いいところなのに帰ってしまった。
以前から親を手伝って、新聞配達をしているたのである。

その姿はすっと割切れていて、すでに彼は彼の人生を歩んでいるように見えた。
私には彼の景色は見えなかった。

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