八ケ岳 最高峰の赤岳 権現岳から 八ケ岳南側はかなり険しいです。
幸福の種⑤
「起伏」知
徳川家康は、
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
という。
昔の人は、人生は起伏あって、その道のりを歩かざるを得ないことをはじめから覚悟をもって知っていたに違いない。
大きな社会環境の変化の少ない江戸時代にあって、この言葉は真理に近いものだったと思われる。
すでに触れたように今日は変化が激しく前世代の教訓が生かしにくい状況にある。
そうすると目前の坂の次にどんな坂があるのかが見えにくく、遠くに向かって歩くイメージが持ちにくい。
前世代としても具体的なアドバイスができないから躊躇がある。
だが、実際には重荷の量や背負い具合が変わることはあっても、家康のいう「重荷を負うて遠き道を行く」ことは変わらないのである。
これまでも起伏を経験してきたし、これからも起伏を上り下りすることを覚悟して歩むことが、一つの幸福の条件なのではないか。
元和田中学校長の藤原和博さんの実践に、
「人生エネルギーカーブを描こう」
というのがある。
横軸に幼少期、幼稚園、小学校1年生…と時間軸とり、縦軸はその時々のエネルギーをとっていく。そうして、現在のエネルギーに至るカーブを描きその起伏の要因(出来事)を一緒に書き込んでいく。上がり調子の時は、算数の成績が上がったとか、〇〇さんと遊ぶのが楽しかったとか、下がり基調の時は、健康面だったり、いじめがあったり、転校したりとか、いろいろである。
そういうリアリティが起伏形成していることを見える化して意識にのぼらせるらしい。その先に将来を展望するという前提である。
子ども達の幸福感はその時々カーブの接線方向に向きがちだ。時々で一喜一憂するのではく、長いスパンで着実に歩むことで大きな起伏も乗り越えられだろうということは教えるべき内容である。
神谷さんは、
今を深く生きることは、過去の意味さえ変える
という。
過去はカーブ変わらないものではなく、今の生き方にによってその価値を変えながら変化しうるということだろう。
幸福の種⑤
「起伏」知
徳川家康は、
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
という。
昔の人は、人生は起伏あって、その道のりを歩かざるを得ないことをはじめから覚悟をもって知っていたに違いない。
大きな社会環境の変化の少ない江戸時代にあって、この言葉は真理に近いものだったと思われる。
すでに触れたように今日は変化が激しく前世代の教訓が生かしにくい状況にある。
そうすると目前の坂の次にどんな坂があるのかが見えにくく、遠くに向かって歩くイメージが持ちにくい。
前世代としても具体的なアドバイスができないから躊躇がある。
だが、実際には重荷の量や背負い具合が変わることはあっても、家康のいう「重荷を負うて遠き道を行く」ことは変わらないのである。
これまでも起伏を経験してきたし、これからも起伏を上り下りすることを覚悟して歩むことが、一つの幸福の条件なのではないか。
元和田中学校長の藤原和博さんの実践に、
「人生エネルギーカーブを描こう」
というのがある。
横軸に幼少期、幼稚園、小学校1年生…と時間軸とり、縦軸はその時々のエネルギーをとっていく。そうして、現在のエネルギーに至るカーブを描きその起伏の要因(出来事)を一緒に書き込んでいく。上がり調子の時は、算数の成績が上がったとか、〇〇さんと遊ぶのが楽しかったとか、下がり基調の時は、健康面だったり、いじめがあったり、転校したりとか、いろいろである。
そういうリアリティが起伏形成していることを見える化して意識にのぼらせるらしい。その先に将来を展望するという前提である。
子ども達の幸福感はその時々カーブの接線方向に向きがちだ。時々で一喜一憂するのではく、長いスパンで着実に歩むことで大きな起伏も乗り越えられだろうということは教えるべき内容である。
神谷さんは、
今を深く生きることは、過去の意味さえ変える
という。
過去はカーブ変わらないものではなく、今の生き方にによってその価値を変えながら変化しうるということだろう。