道! 日光男体山は中禅寺湖畔から直登。登山口は二荒山神社から。
前回、連合野について触れた。以下はあえて言えば”連合野の特性”の話である。
実存主義の哲学者サルトルが、人間の存在について、こんな捉えをしている。
「人間は現在もっているものの総和ではなく、彼がまだもっていないもの、これからもちうるものの合計である。」
「永遠であるという幻想が失われた時、人生は意味を持たなくなる。」
人間の実情は時間の先の自分観(感)がダブって存在するということだろう。
そして、未来の自分観(感)に向けて、今の自分を放り込んでいく。
その過程の動的な感触こそが存在感であると。
本シリーズの嗜好に合わせていうなら、
未来の自分とここにある自分ともズレを意識したとき、動的になり人生の意味が感じ取れるということであろう。
自転車を乗れるようになった(未来の)自分、掛け算九九がすらすらできるようになった自分、受験して〇〇高校の生徒になった自分、あのゲームソフトを手に入れた自分、一人旅で北海道に行った自分、運動部に入って「陽キャラ」になった自分…。
そのズレが原動力になって“生きる”のである。
未来の自分との平衡状態としての現在の存在がある。
サルトルは逆説的にこのことを言っている。
「ボートを漕がない人間だけが、ボートを揺らして波風を立てる時間がある。」
※英語の名言・格言【サルトル】 https://iyashitour.com/archives/37783 から引用。
前回、連合野について触れた。以下はあえて言えば”連合野の特性”の話である。
実存主義の哲学者サルトルが、人間の存在について、こんな捉えをしている。
「人間は現在もっているものの総和ではなく、彼がまだもっていないもの、これからもちうるものの合計である。」
「永遠であるという幻想が失われた時、人生は意味を持たなくなる。」
人間の実情は時間の先の自分観(感)がダブって存在するということだろう。
そして、未来の自分観(感)に向けて、今の自分を放り込んでいく。
その過程の動的な感触こそが存在感であると。
本シリーズの嗜好に合わせていうなら、
未来の自分とここにある自分ともズレを意識したとき、動的になり人生の意味が感じ取れるということであろう。
自転車を乗れるようになった(未来の)自分、掛け算九九がすらすらできるようになった自分、受験して〇〇高校の生徒になった自分、あのゲームソフトを手に入れた自分、一人旅で北海道に行った自分、運動部に入って「陽キャラ」になった自分…。
そのズレが原動力になって“生きる”のである。
未来の自分との平衡状態としての現在の存在がある。
サルトルは逆説的にこのことを言っている。
「ボートを漕がない人間だけが、ボートを揺らして波風を立てる時間がある。」
※英語の名言・格言【サルトル】 https://iyashitour.com/archives/37783 から引用。