久しぶりのテント泊 登山口から2時間 ミドリ池に到着
湖畔の”しらびそ小屋”は八ケ岳らしい森と池の佇まいで人気
ハラリさんの記述は一見、予言的である。ご本人も、2050年の世界は誰にもわからない、と述べているので、想像といってもいいのだろう。
ただし、前著、サピエンス全史を踏まえて、その続編として読むと、人類はそうするのかもしれないと思ったりする。ハラリさんは、こう述べる。
歴史学者として言える事は、人間の愚かさを決して見くびってはいけない、と言うことです。人類は生命の歴史で最大の力を持ちながら幾度となく誤った選択をしてきました。残念ながらそれが再び繰り返される可能性があります。
こういう警戒心を、人類史を遠望しながら持つに至ったのだろう。
いずれにせよ、「予測不可能な未来社会」を暗示させるのに十分である。
ところで、これまでの歴史書は、その多くが時代や地域を限定したものが多く「地球を外側から俯瞰したように書く」と言う超マクロな視点での歴史の捉えはあまりなかったのではないか。
逆に言えば、このようなダイナミックな史観でないかいぎり、近未来に展開される大きな変化を読み取る事は難しいのだろう。
そこで今回は、ハラリさんの見識からもう少し学ぶため、テレビ番組から発言を追いたい。視点は2つ。
1、グローバル社会の行く末を予測不可能にするファクター
2、その照らし返しとして、その中で人はどう生きていくべきか、学ぶべきか
である。参考にするのは、ともにNHK、
・BS1スペシャル 「“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス~」
(2019年1月1日放送)
・ETV特集 選「サピエンスとパンデミック~ユヴァル・ノア・ハラリ特別授業~」
(2020年11月14日放送)
では、さっそく、第一の課題から。
1、グローバル社会の行く末を予測不可能にするファクター
NHKの構成では次のようなまとめ方がされた。
①生物工学の進歩
つまり自ら遺伝情報を書き換えると言うことを言うらしい。
実際人為的にマウスの遺伝情報をパソコン上で表示させデジタルにその文字配列を変えることによって、耳を緑色に光らせるマウスが出現させることがすでにできている。このように遺伝情報を人為的に操作し、その結果生物に意図的な、人為的な操作が可能になりつつある。これはもちろん人自身にも活用され得る。
初期段階では病気に苦しむ人に利用され、極度な肥満体質に悩む人への対応として有効であることが指摘されるが、倫理的規範を飛び越えたところでは意図的に我々とは様相の異なる人を作為的に作れる可能性を秘めている。
例えば、優れた容姿、抜きに出た知性をもつ人間が生物工学の発達によってつくり出せる日が来るだろう。つまりアップグレードされた新しい人類の開発だという。
②機械との融合
機械が技術力を増すことによって、身体の一部を限りなく機械が代替していくようになると言う。
これまでは人間の力の増大は主に外界の道具のアップグレードに頼ってきた。(石器や土器にはじまり自動車、スペースシャトルへ)だが、将来は人の心や体そのもののアップグレードに道具が関与すると言うのである。その事は身体の動きの制限性によって外界とのコミットに限定のある障害を持つ人にとっては大変歓迎されることだが、その一方で「懸念」があると言う。
コンピューターのつなぎ方を学んだ人類は、遠隔操作できる機械の手を持つ可能性もあります。脳に機械の手をつなぐ方法をいちど学べば、体に接続している必要はありません。
その1つの表れが兵器の開発であるらしい。バーチャル訓練で訓練を積んだ兵士が遠隔操作によって兵器を操り味方に損害なく一方で敵に甚大な被害を与えるそうした技術である。
脳に直接センサーをセットして、脳のイメージ(思い描いたこと)を直接代替身体が表現すること進められつつある。
③ AI社会の到来が変化を加速する
これまでの歴史でこれほど膨大なデータを十分に処理できる人はいませんでした。この先私たちはデータやコンピュータの力を駆使して他人の心を覗き込み、何を望んでいるのか、その欲望の支配までできるようになるのです。
実際に、日本の銀行でも融資の審査にスマホのアプリを使って行うという。質問項目を設定し、データ上のアルゴリズム(膨大なデータにもとづく統計的な計算)によってその対象者を評価し、銀行の損失がない融資ができるか否かを、これまでの会社なり個人の営業成績や所有資産、年収だけでなく、その人自身の内面性もコンピューターにる統計的で評価するということである。
また民間企業ではマーケティングの調査や営業効率の改善にAIが積極的に導入され効率化が図られている。膨大なデータはコンピュータに入れられ人間の処理能力を超えた能力で分析し結果が出される。
私たちは、無料のアプリなどに頻繁にアクセスし、スマホで交信するたびに、私たち自身の在り方を総計的に処理するアルゴリズムのデータへ個人情報を提供し続けて、それによってコンピュータによる判断根拠は精度をましながら、私たち自身を脅かす。
そして、もはやこれほど膨大なデータを十分に処理できる人はいないので、人の在りようの根拠は哲学でも感情でもなくコンピューターの判断に依存せざる得なくなるという。
そこにハラリさんが疑問を呈する。
知能と意識とは全く異なるものです。知能とは問題を解決する能力です。意識は物事を感じ取る能力です。苦痛、喜び、愛、憎しみなど主観的なものです。人間はこうした感情を通して問題を解決します。しかしコンピュータは別です。感情などの意識を発達させる事は全くありません。現在、世界中のほとんどの投資は知能の開発、AIに向けられています。企業や軍隊、政府はAIを必要としており、知能で問題を解決したいのです。
最も恐ろしいシナリオは、意識や感情を全く持たない超知的な存在に世界が支配されることです。それはほぼ全てにおいて私たちよりはるかに知的な存在ですが、感情や時間もなく人間と全く違った存在なのです。
(個人データが各所で収集され統一化されてコンピューターに把握された時)やがて私たちはこの全治のネットワークからたとえ一瞬でも切り離されてはいられなくなる日が来るかもしれない。私のことを私以上に知っていて、私よりも犯すミスの数が少ないアルゴリズムがあれば充分だ。そういうアルゴリズムがあれば、それを信頼して、自分の決定や人生の選択の次第に多くを委ねるものも理にかなっている。懸念されるのは人間そのものの価値が失われていくことだ。
データ至上主義が、世界を征服することに成功したら、私たち人間はどうなるのか?。最初、データ至上主義は、人間至上主義に基づく健康と幸福と力の追求を加速させるだろう。ところが人間からアルゴリズムへと権限が一旦移ってしまえば、人間至上主義のプロジェクトは意味を失うかもしれない。(人間よりも)はるかに優れたモデルが既に存在するのだから。
さて、こうしたこれまで人類が経験しない変化の渦中、ハラリさんは若者にどうメッセージするのか。
以上、テレビ番組からの抜粋で、言い回しなど若干の修正があります。
湖畔の”しらびそ小屋”は八ケ岳らしい森と池の佇まいで人気
ハラリさんの記述は一見、予言的である。ご本人も、2050年の世界は誰にもわからない、と述べているので、想像といってもいいのだろう。
ただし、前著、サピエンス全史を踏まえて、その続編として読むと、人類はそうするのかもしれないと思ったりする。ハラリさんは、こう述べる。
歴史学者として言える事は、人間の愚かさを決して見くびってはいけない、と言うことです。人類は生命の歴史で最大の力を持ちながら幾度となく誤った選択をしてきました。残念ながらそれが再び繰り返される可能性があります。
こういう警戒心を、人類史を遠望しながら持つに至ったのだろう。
いずれにせよ、「予測不可能な未来社会」を暗示させるのに十分である。
ところで、これまでの歴史書は、その多くが時代や地域を限定したものが多く「地球を外側から俯瞰したように書く」と言う超マクロな視点での歴史の捉えはあまりなかったのではないか。
逆に言えば、このようなダイナミックな史観でないかいぎり、近未来に展開される大きな変化を読み取る事は難しいのだろう。
そこで今回は、ハラリさんの見識からもう少し学ぶため、テレビ番組から発言を追いたい。視点は2つ。
1、グローバル社会の行く末を予測不可能にするファクター
2、その照らし返しとして、その中で人はどう生きていくべきか、学ぶべきか
である。参考にするのは、ともにNHK、
・BS1スペシャル 「“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス~」
(2019年1月1日放送)
・ETV特集 選「サピエンスとパンデミック~ユヴァル・ノア・ハラリ特別授業~」
(2020年11月14日放送)
では、さっそく、第一の課題から。
1、グローバル社会の行く末を予測不可能にするファクター
NHKの構成では次のようなまとめ方がされた。
①生物工学の進歩
つまり自ら遺伝情報を書き換えると言うことを言うらしい。
実際人為的にマウスの遺伝情報をパソコン上で表示させデジタルにその文字配列を変えることによって、耳を緑色に光らせるマウスが出現させることがすでにできている。このように遺伝情報を人為的に操作し、その結果生物に意図的な、人為的な操作が可能になりつつある。これはもちろん人自身にも活用され得る。
初期段階では病気に苦しむ人に利用され、極度な肥満体質に悩む人への対応として有効であることが指摘されるが、倫理的規範を飛び越えたところでは意図的に我々とは様相の異なる人を作為的に作れる可能性を秘めている。
例えば、優れた容姿、抜きに出た知性をもつ人間が生物工学の発達によってつくり出せる日が来るだろう。つまりアップグレードされた新しい人類の開発だという。
②機械との融合
機械が技術力を増すことによって、身体の一部を限りなく機械が代替していくようになると言う。
これまでは人間の力の増大は主に外界の道具のアップグレードに頼ってきた。(石器や土器にはじまり自動車、スペースシャトルへ)だが、将来は人の心や体そのもののアップグレードに道具が関与すると言うのである。その事は身体の動きの制限性によって外界とのコミットに限定のある障害を持つ人にとっては大変歓迎されることだが、その一方で「懸念」があると言う。
コンピューターのつなぎ方を学んだ人類は、遠隔操作できる機械の手を持つ可能性もあります。脳に機械の手をつなぐ方法をいちど学べば、体に接続している必要はありません。
その1つの表れが兵器の開発であるらしい。バーチャル訓練で訓練を積んだ兵士が遠隔操作によって兵器を操り味方に損害なく一方で敵に甚大な被害を与えるそうした技術である。
脳に直接センサーをセットして、脳のイメージ(思い描いたこと)を直接代替身体が表現すること進められつつある。
③ AI社会の到来が変化を加速する
これまでの歴史でこれほど膨大なデータを十分に処理できる人はいませんでした。この先私たちはデータやコンピュータの力を駆使して他人の心を覗き込み、何を望んでいるのか、その欲望の支配までできるようになるのです。
実際に、日本の銀行でも融資の審査にスマホのアプリを使って行うという。質問項目を設定し、データ上のアルゴリズム(膨大なデータにもとづく統計的な計算)によってその対象者を評価し、銀行の損失がない融資ができるか否かを、これまでの会社なり個人の営業成績や所有資産、年収だけでなく、その人自身の内面性もコンピューターにる統計的で評価するということである。
また民間企業ではマーケティングの調査や営業効率の改善にAIが積極的に導入され効率化が図られている。膨大なデータはコンピュータに入れられ人間の処理能力を超えた能力で分析し結果が出される。
私たちは、無料のアプリなどに頻繁にアクセスし、スマホで交信するたびに、私たち自身の在り方を総計的に処理するアルゴリズムのデータへ個人情報を提供し続けて、それによってコンピュータによる判断根拠は精度をましながら、私たち自身を脅かす。
そして、もはやこれほど膨大なデータを十分に処理できる人はいないので、人の在りようの根拠は哲学でも感情でもなくコンピューターの判断に依存せざる得なくなるという。
そこにハラリさんが疑問を呈する。
知能と意識とは全く異なるものです。知能とは問題を解決する能力です。意識は物事を感じ取る能力です。苦痛、喜び、愛、憎しみなど主観的なものです。人間はこうした感情を通して問題を解決します。しかしコンピュータは別です。感情などの意識を発達させる事は全くありません。現在、世界中のほとんどの投資は知能の開発、AIに向けられています。企業や軍隊、政府はAIを必要としており、知能で問題を解決したいのです。
最も恐ろしいシナリオは、意識や感情を全く持たない超知的な存在に世界が支配されることです。それはほぼ全てにおいて私たちよりはるかに知的な存在ですが、感情や時間もなく人間と全く違った存在なのです。
(個人データが各所で収集され統一化されてコンピューターに把握された時)やがて私たちはこの全治のネットワークからたとえ一瞬でも切り離されてはいられなくなる日が来るかもしれない。私のことを私以上に知っていて、私よりも犯すミスの数が少ないアルゴリズムがあれば充分だ。そういうアルゴリズムがあれば、それを信頼して、自分の決定や人生の選択の次第に多くを委ねるものも理にかなっている。懸念されるのは人間そのものの価値が失われていくことだ。
データ至上主義が、世界を征服することに成功したら、私たち人間はどうなるのか?。最初、データ至上主義は、人間至上主義に基づく健康と幸福と力の追求を加速させるだろう。ところが人間からアルゴリズムへと権限が一旦移ってしまえば、人間至上主義のプロジェクトは意味を失うかもしれない。(人間よりも)はるかに優れたモデルが既に存在するのだから。
さて、こうしたこれまで人類が経験しない変化の渦中、ハラリさんは若者にどうメッセージするのか。
以上、テレビ番組からの抜粋で、言い回しなど若干の修正があります。