久しぶりのテント泊 八ケ岳 本沢温泉 ここのテントサイトで幕営
ここには、10分歩いた沢のほとりに露天風呂があり、マニアの方に人気らしいです。(写真は小屋のHPから)
前回から、ハラリさんのテレビでの発言を追っています。
その前回、ハラリさんは、未来予測を不可能にするファクターを、3点に絞って紹介しました。
そして、今回は、
2、その照らし返しとして、その中で人はどう生きていくべきか、学ぶべきか
です。参考にするのは、
・ETV特集 選「サピエンスとパンデミック~ユヴァル・ノア・ハラリ特別授業~」
(2020年11月14日放送)
この番組は、(御覧になった方も多いと思いますが)リモートでハラリさんと10人程度のインターナショナルスクールのティーンエージャーが対話する番組です。
さて、ハラリさんは、自分の「未来予測」をふまえてどう若者にメッセージするのか。
あまり前回の3点とリンクしていませんが、誠意を感じる彼の生の声をまとめてみる。
人間の協力性について
人間がお金が世界を支配する力を持てたと言うのは大人数で協力しあえたからなんです。これは他のどんな動物にもできません。皆さんは人間は賢くて唯一無二の存在だと思いたいかもしれませんが、単独では人はチンパンジーや象や豚よりも弱い存在なんです。でもチンパンジーは百匹だったとしても協力する事は無理なんですが、人間であれば100万人でも、10億人でも協力し合うことができるんです。
チンパンジーに対してね。「今、バナナをくれたら死んだ後に天国に行けるよ、そこではたくさんの花がもらえるよ」と約束してもそれを信じるチンパンジーはいませんよね。でも人間はそういったストーリーを信じるからこそ協力することができる。
ピラミッドの建設から月への飛行まで、人類の偉業と言うものはすべて大規模な協力で実現しました。百万人が同じストーリーを信じることができればたとえ知り合いでなかったとしても協力し合うことができるんです。それは私たち人間だけがなせる技です。
ストーリーの可能性
(ストーリーのもつ危険性の話の後で)それはまさに私たち次第です。ストーリーの中には対立を生むものもあれば結びつけるものもあります。私はストーリー自体が悪いと言っているわけではないんです。
例えば、ナイフは人を殺すために使うこともできる。その同じナイフを使って医者は手術で腫瘍を取り除き患者の命を救うこともできます。その同じナイフを使ってレストランのシェフならおいしい料理を作ることもできるんです。ストーリーも同じです。それは「道具」なんです。
ストーリーを正しく使えば、私たちを結びつける最強の手段となります。力合わせて病院を建設したり、気候変動と戦ったりすることができるんです。でも戦争や迫害など悪いことに使われないように注意しなくてはなりません。常に選択です。いつでも私たちは知己にどのように対応するのかを選択できます。憎しみを生み、感染症の流行を外国人やマイノリティのせいにし分断を選ぶのか、それとも思いやりを生み、連帯感をはぐくみ資源を分かち合い、情報を分かちあうのかのは、私たち次第です。
究極的には選択の基準はそれが苦悩を生むのか、幸福を生むのか、だと思います。ストーリーがより多くの苦しみを生むのか、それとも自分や他の人たちの苦しみを解放するのか、そこが大いなる物差しとなります。
ストーリーを見抜くこと
何より大切な事はストーリーが「全知全能の神」ではなくあくまで「不完全な人間」によって作られたものなんだと理解することです。
例えば私が10代の頃、自分がゲイであると言うことに気づきませんでした。なぜなら同性愛者を激しく嫌悪する社会で育ったからです。1980年代のイスラエルでは神は同性愛者を嫌悪すると言う考えが根付いていました。男性である自分にボーイフレンドがいたら神の怒りを買い地獄に落ちると言われていました。そして、そのストーリーは上から来たもので、反論の余地は無いものでしたが、成長して歴史を学ぶようになり、私は気づいたんです。「ストーリーは人間が作ったものに過ぎないんじゃないか」と。もし神が存在したとして、人を愛することで果たして神が人間を罰するだろうか?。男性同士、女性同士で愛し合い誰かを傷つけるわけではない。何が問題なのか。これは聖職者が2000年前だとか2500年以上前に作ったただのストーリーであって、絶対的な真実ではありません。
いちどこのことに気づけば信心深い人たちでさえも変わり始めるでしょう。そうすることで自分と異なる人やコミュニティーを受け入れる余裕が生まれます。すべての人が全く同じ存在である必要は無いんです。
ストーリーと差別、その弊害
人種差別と言うのは人間を残酷にするだけでなく、弱くもします。自分の属するグループが外よりも優れていると思うこと、つまり自分たちの人種、国、宗教だけが世界で唯一優れていて他者は劣っている、と考えその知恵や洞察に学ばないのだとすればそれは自らを弱体化させ愚かにさせることになるのです。人種について言えば3万年前、4万年前には、黒人も白人もありませんでした。それらはずっと後の時代になって考え出されたものです。
生物学的レベルまで掘り下げると私たちは誰1人として純粋なホモサピエンスではありません。ですから純粋な人種と言うような概念や自らの伝統にのみ固執すると言うのはほとんど意味をなさないのです。
フィクションの多様性は認められるべきか
人間は複雑な生き物です。同時に複数の集団に属し関係を築いています。そうした中で人々は家族、仕事、国、人類、真実などに対して同時に忠誠心を持つことができます。ナショナリズムであれ、宗教であれ、イデオロギーであれ、100%の忠誠心を要求さえしなければ問題はありません。
問題が生じるのは1つの事のみに忠誠を尽くせ、と言う動きが出てきた時です。例えば「忠誠を尽くす必要があるのは国家に対してだけだから、国家が大勢の人間を殺せ」と命じたならば殺さねばならない、国家が「嘘をつけ」と言えば嘘をつく、国家の栄光を称えるためにのみ芸術を創造し、その他の芸術は一切放棄するそのようなことを求めるのはファシズムです。ナショナリズムが「国だけでなく外にも忠誠心を持って良い」とする一方、ファシズムは「大切なのは国家だけ外は一切重要ではない」とします。このような極端なものを避け、現実は複雑だ、人は様々な関係性を持ち複雑なストーリーが必要だ、と認めることができれば実行可能な妥協案を見出せるでしょう。
忘れてはならないのは、「ライバルは決して敵ではない」と言うことです。対立する相手を一度敵や反逆者と見なせばいずれ内戦や暴力につながってしまいます。というのも敵との戦いにおいては最終的に民主的な決定を受け入れられないから、リアルな戦争を民主的な選挙で終結させることはできません。例えば中東で長年対立してきたイスラエル人とアラブ人全員に投票させても紛争は解決できません。なぜ自分を憎んでいる敵の意見を受け入れなければならないのか、そうなると秩序は完全に崩壊します。この状況を回避したければ合意できる共通点を懸命に見出さなければなりません。
人類は自ら「アップグレード」するが、
とても重要なのは、それでも私たちは動物だと言うことです。先ほど「私たちは神だ」と言いましたが、同時に生態系の1部でもあります。そして今、蝙蝠のような野生動物に由来するウィルスがわずか数ヶ月で地球全体を覆い、運命を揺るがしかねない状況です。ですから2つの観点を同時に持たなければなりません。力を持つと言う意味では神であり、大きな責任を負う必要がある。しかし、動物としては生態系に完全に結びついている。だから人間が生態系を破壊しながらその衝撃波から守られるはずは無いのです。
発展途上国支援
新型コロナであれ気候変動であれ、私たちは団結する必要があります。社会で最も弱い立場にある人を守るための地球規模のセーフティーネットが必要です。発展途上国が自分の力だけで問題を解決する事はできません。そのために地球規模で団結できるのか、それはわかりません。私たちみんなにかかっています。特に、あなた方、若い世代がその責任を担って、人類が直面する地球規模の問題に注目し、そこから取り残される人が1人もないように取り組んでもらいたいと心から願っています。
その途中から“締め”に、
この先、私たちはどこに向かうのか誰にもわかりません。20年30年後に社会や政治がどうなっているのか、見当もつかないのは歴史上はじめてのことだからです。若い皆さんにとって困難な時代だと思います。年上の知恵があてにできない、2050年に世界がどうなっているか予想もつきません。逃げているわけではありません。大人になればわかるものでもありません。私にも本当にわからないのです。だから私たちには、あなたたちの助けが必要です。誰かが教えてくれると言う事はもう無いのです。これは私たちみんなのプロジェクト、歳をとった人も、若い人もみんなが力を寄せあって、人類共通の問題を解決していくことを私は望んでいます。
で、ディスカッション終了後の参加者へのインタビュー、
ボリビアの男性、17歳
今、私たちは意思決定する時期に来ています。その上で、ハラリさんは有効な有効かつとても価値のある有益な情報を伝えてくれたと思います。決断を下すにあたって念頭におくべきことを教えてくれました。気象変動やコロナといった問題と戦うにあたり政治的に一致しなくても人間と言う種として共有できることがたくさんあると言うのはとても強固な考えです。
問題を深く考える上でより広い意味での共通の土台が与えられるような気がします。
タジキスタンの女性 19歳
一番の学びは私たちが今以上にどれだけ心を広く持つことができるかと言う点です。宗教や信仰、精神性の部分でもお話があったように、しばしば私たちはそれらを確定された決して代えられないもののように考えがちです。
この対話を通してそれらが思うように具体化できるもので、時間とともに変化し得るものだと気付かされました。それに一個人として、私にも世界を形作る力が大いにあること、そして未来においても世界に前向きな変化をもたらすことができるんだと気づきました。
日本の男性 ?歳
それぞれの個人の気づきがどう社会にインパクトを与えるかって、すごく大きくて答えるのは難しい問だけれども、自分たちでこうしたいっていう思いを共有して、それがどうやって変化をもたらせるのかっていうのを試すことによって問いに答え、自分たちが見たい未来を作っていきたいとすごく思いました。
それぞれがこうしたいって言うのを持ち寄ることで、みんなが見たい未来が見られるんじゃないかなって、今すごく希望を持って見られる感じです。
テレビの番組の出来過ぎ感はあるものの、近未来への希望が語られたのはとにかくほっとする。
次回は、日本の教育の枠で近未来はどう捉えられているか、見に行こう。
ここには、10分歩いた沢のほとりに露天風呂があり、マニアの方に人気らしいです。(写真は小屋のHPから)
前回から、ハラリさんのテレビでの発言を追っています。
その前回、ハラリさんは、未来予測を不可能にするファクターを、3点に絞って紹介しました。
そして、今回は、
2、その照らし返しとして、その中で人はどう生きていくべきか、学ぶべきか
です。参考にするのは、
・ETV特集 選「サピエンスとパンデミック~ユヴァル・ノア・ハラリ特別授業~」
(2020年11月14日放送)
この番組は、(御覧になった方も多いと思いますが)リモートでハラリさんと10人程度のインターナショナルスクールのティーンエージャーが対話する番組です。
さて、ハラリさんは、自分の「未来予測」をふまえてどう若者にメッセージするのか。
あまり前回の3点とリンクしていませんが、誠意を感じる彼の生の声をまとめてみる。
人間の協力性について
人間がお金が世界を支配する力を持てたと言うのは大人数で協力しあえたからなんです。これは他のどんな動物にもできません。皆さんは人間は賢くて唯一無二の存在だと思いたいかもしれませんが、単独では人はチンパンジーや象や豚よりも弱い存在なんです。でもチンパンジーは百匹だったとしても協力する事は無理なんですが、人間であれば100万人でも、10億人でも協力し合うことができるんです。
チンパンジーに対してね。「今、バナナをくれたら死んだ後に天国に行けるよ、そこではたくさんの花がもらえるよ」と約束してもそれを信じるチンパンジーはいませんよね。でも人間はそういったストーリーを信じるからこそ協力することができる。
ピラミッドの建設から月への飛行まで、人類の偉業と言うものはすべて大規模な協力で実現しました。百万人が同じストーリーを信じることができればたとえ知り合いでなかったとしても協力し合うことができるんです。それは私たち人間だけがなせる技です。
ストーリーの可能性
(ストーリーのもつ危険性の話の後で)それはまさに私たち次第です。ストーリーの中には対立を生むものもあれば結びつけるものもあります。私はストーリー自体が悪いと言っているわけではないんです。
例えば、ナイフは人を殺すために使うこともできる。その同じナイフを使って医者は手術で腫瘍を取り除き患者の命を救うこともできます。その同じナイフを使ってレストランのシェフならおいしい料理を作ることもできるんです。ストーリーも同じです。それは「道具」なんです。
ストーリーを正しく使えば、私たちを結びつける最強の手段となります。力合わせて病院を建設したり、気候変動と戦ったりすることができるんです。でも戦争や迫害など悪いことに使われないように注意しなくてはなりません。常に選択です。いつでも私たちは知己にどのように対応するのかを選択できます。憎しみを生み、感染症の流行を外国人やマイノリティのせいにし分断を選ぶのか、それとも思いやりを生み、連帯感をはぐくみ資源を分かち合い、情報を分かちあうのかのは、私たち次第です。
究極的には選択の基準はそれが苦悩を生むのか、幸福を生むのか、だと思います。ストーリーがより多くの苦しみを生むのか、それとも自分や他の人たちの苦しみを解放するのか、そこが大いなる物差しとなります。
ストーリーを見抜くこと
何より大切な事はストーリーが「全知全能の神」ではなくあくまで「不完全な人間」によって作られたものなんだと理解することです。
例えば私が10代の頃、自分がゲイであると言うことに気づきませんでした。なぜなら同性愛者を激しく嫌悪する社会で育ったからです。1980年代のイスラエルでは神は同性愛者を嫌悪すると言う考えが根付いていました。男性である自分にボーイフレンドがいたら神の怒りを買い地獄に落ちると言われていました。そして、そのストーリーは上から来たもので、反論の余地は無いものでしたが、成長して歴史を学ぶようになり、私は気づいたんです。「ストーリーは人間が作ったものに過ぎないんじゃないか」と。もし神が存在したとして、人を愛することで果たして神が人間を罰するだろうか?。男性同士、女性同士で愛し合い誰かを傷つけるわけではない。何が問題なのか。これは聖職者が2000年前だとか2500年以上前に作ったただのストーリーであって、絶対的な真実ではありません。
いちどこのことに気づけば信心深い人たちでさえも変わり始めるでしょう。そうすることで自分と異なる人やコミュニティーを受け入れる余裕が生まれます。すべての人が全く同じ存在である必要は無いんです。
ストーリーと差別、その弊害
人種差別と言うのは人間を残酷にするだけでなく、弱くもします。自分の属するグループが外よりも優れていると思うこと、つまり自分たちの人種、国、宗教だけが世界で唯一優れていて他者は劣っている、と考えその知恵や洞察に学ばないのだとすればそれは自らを弱体化させ愚かにさせることになるのです。人種について言えば3万年前、4万年前には、黒人も白人もありませんでした。それらはずっと後の時代になって考え出されたものです。
生物学的レベルまで掘り下げると私たちは誰1人として純粋なホモサピエンスではありません。ですから純粋な人種と言うような概念や自らの伝統にのみ固執すると言うのはほとんど意味をなさないのです。
フィクションの多様性は認められるべきか
人間は複雑な生き物です。同時に複数の集団に属し関係を築いています。そうした中で人々は家族、仕事、国、人類、真実などに対して同時に忠誠心を持つことができます。ナショナリズムであれ、宗教であれ、イデオロギーであれ、100%の忠誠心を要求さえしなければ問題はありません。
問題が生じるのは1つの事のみに忠誠を尽くせ、と言う動きが出てきた時です。例えば「忠誠を尽くす必要があるのは国家に対してだけだから、国家が大勢の人間を殺せ」と命じたならば殺さねばならない、国家が「嘘をつけ」と言えば嘘をつく、国家の栄光を称えるためにのみ芸術を創造し、その他の芸術は一切放棄するそのようなことを求めるのはファシズムです。ナショナリズムが「国だけでなく外にも忠誠心を持って良い」とする一方、ファシズムは「大切なのは国家だけ外は一切重要ではない」とします。このような極端なものを避け、現実は複雑だ、人は様々な関係性を持ち複雑なストーリーが必要だ、と認めることができれば実行可能な妥協案を見出せるでしょう。
忘れてはならないのは、「ライバルは決して敵ではない」と言うことです。対立する相手を一度敵や反逆者と見なせばいずれ内戦や暴力につながってしまいます。というのも敵との戦いにおいては最終的に民主的な決定を受け入れられないから、リアルな戦争を民主的な選挙で終結させることはできません。例えば中東で長年対立してきたイスラエル人とアラブ人全員に投票させても紛争は解決できません。なぜ自分を憎んでいる敵の意見を受け入れなければならないのか、そうなると秩序は完全に崩壊します。この状況を回避したければ合意できる共通点を懸命に見出さなければなりません。
人類は自ら「アップグレード」するが、
とても重要なのは、それでも私たちは動物だと言うことです。先ほど「私たちは神だ」と言いましたが、同時に生態系の1部でもあります。そして今、蝙蝠のような野生動物に由来するウィルスがわずか数ヶ月で地球全体を覆い、運命を揺るがしかねない状況です。ですから2つの観点を同時に持たなければなりません。力を持つと言う意味では神であり、大きな責任を負う必要がある。しかし、動物としては生態系に完全に結びついている。だから人間が生態系を破壊しながらその衝撃波から守られるはずは無いのです。
発展途上国支援
新型コロナであれ気候変動であれ、私たちは団結する必要があります。社会で最も弱い立場にある人を守るための地球規模のセーフティーネットが必要です。発展途上国が自分の力だけで問題を解決する事はできません。そのために地球規模で団結できるのか、それはわかりません。私たちみんなにかかっています。特に、あなた方、若い世代がその責任を担って、人類が直面する地球規模の問題に注目し、そこから取り残される人が1人もないように取り組んでもらいたいと心から願っています。
その途中から“締め”に、
この先、私たちはどこに向かうのか誰にもわかりません。20年30年後に社会や政治がどうなっているのか、見当もつかないのは歴史上はじめてのことだからです。若い皆さんにとって困難な時代だと思います。年上の知恵があてにできない、2050年に世界がどうなっているか予想もつきません。逃げているわけではありません。大人になればわかるものでもありません。私にも本当にわからないのです。だから私たちには、あなたたちの助けが必要です。誰かが教えてくれると言う事はもう無いのです。これは私たちみんなのプロジェクト、歳をとった人も、若い人もみんなが力を寄せあって、人類共通の問題を解決していくことを私は望んでいます。
で、ディスカッション終了後の参加者へのインタビュー、
ボリビアの男性、17歳
今、私たちは意思決定する時期に来ています。その上で、ハラリさんは有効な有効かつとても価値のある有益な情報を伝えてくれたと思います。決断を下すにあたって念頭におくべきことを教えてくれました。気象変動やコロナといった問題と戦うにあたり政治的に一致しなくても人間と言う種として共有できることがたくさんあると言うのはとても強固な考えです。
問題を深く考える上でより広い意味での共通の土台が与えられるような気がします。
タジキスタンの女性 19歳
一番の学びは私たちが今以上にどれだけ心を広く持つことができるかと言う点です。宗教や信仰、精神性の部分でもお話があったように、しばしば私たちはそれらを確定された決して代えられないもののように考えがちです。
この対話を通してそれらが思うように具体化できるもので、時間とともに変化し得るものだと気付かされました。それに一個人として、私にも世界を形作る力が大いにあること、そして未来においても世界に前向きな変化をもたらすことができるんだと気づきました。
日本の男性 ?歳
それぞれの個人の気づきがどう社会にインパクトを与えるかって、すごく大きくて答えるのは難しい問だけれども、自分たちでこうしたいっていう思いを共有して、それがどうやって変化をもたらせるのかっていうのを試すことによって問いに答え、自分たちが見たい未来を作っていきたいとすごく思いました。
それぞれがこうしたいって言うのを持ち寄ることで、みんなが見たい未来が見られるんじゃないかなって、今すごく希望を持って見られる感じです。
テレビの番組の出来過ぎ感はあるものの、近未来への希望が語られたのはとにかくほっとする。
次回は、日本の教育の枠で近未来はどう捉えられているか、見に行こう。