秋の山で 11月 松原湖
「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省
第5章 2030年に求められるコンピテンシーとその基盤(つづき)
この第5章は、改めてOECDのキーコンピテンシーについて解説している。
あのラーニングコンパスの中心部分である。
前回は、その1つ目、(1) 新たな価値を創造する力、部分を読んできた。
今回は、
(2) 対立やジレンマに対処する力
(3) 責任ある行動をとる力
について考えていく。
ただ、興味深いのは、(1) 新たな価値を創造する力、ではたびたびイノベーションとか、変革への意志と柔軟性など、勢いや新しさを求めた面が強かったのに対して、今回の(2)、(3)では、こうした力強さとは違うトーンを感じるのである。そのことを最後にまとめてみる。
今回も私なりの部分を引用をしていきながら進める。
(2) 対立やジレンマに対処する力
交流の機会が増え、また交流が密になるほど、その場かぎりでの表面的な付き合いだけでは済まされずに、一定の対立やジレンマ、トレードオフの関係が生じてくる事は必然とも言える。そうした場合には、単に対立やジレンマを回避したり、先送りするだけでは解決につながらない。関係者が納得できるような解決策を見つけ、折り合いをつけていくことが必要になってくるのである。
VUCAが進行する時代においては、様々な事象がよりいっそう複雑に関係しあうようになる。そのため、対立やジレンマが生じた場合でも、特定の「唯一解(single solution)」を見つけようとしたり、あるいは、もっと単純に「Aか、Bのどちらにするか」といったように与えられた選択肢から選ぶだけでは、問題の解決につながらない場合がますます増えてくるだろう(OECD、2019)。
対立やジレンマを解決していくためには、物事を様々な観点から見ることが求められるし、あるいは、物事の見方が異なってくる場合には、そうした問題の背景に何があるかを認識することが必要になる。そのためには、認知的柔軟性(cognitive flexibility)や他者視点の獲得(perspective taking)が重要になる。
国際間のグローバル化だけでなく、個人主義的な生活様式が進む中で、人権意識を高め、様々な状況や心情の他者と「新しいアイディアを生み出すきっかけ」にもなりうる関係性をつくることが重要だといっている。
(3) 責任ある行動をとる力
ここで含意されているのは、「(外部からの介入なしに)自分で決められること」である。もちろん、その事は重要であるし、否定するべき理由は全くない。しかしながら、今後2030年に向けて、様々な物事が複雑化して相互に絡み合っていく時代に、自分自身のことだけでなく、他者や地球環境などを含めた社会全体におけるウェルビーイングを実現していくためには、「自分で決められること」を大切にするだけでは、十分ではないとも考えられる。
重要なのは、自分自身のウェルビーイングだけでなく、他者のウェルビーイングであるとか、社会全体のウェルビーイングといったことも踏まえた上で、行動していくことである。その際に重要になるのが、「責任(responsibility)」と言う概念である。すなわち、自らの行動について、自分自身だけでなく、他者や社会にとっても責任を取れるものとしていくことが重要であることで、これから「責任ある行動をとる力」と言う「変革をもたらすコンピテンシー」が導かれることとなったのである。
実は、この後に「責任ある行動をとる力」のコンストラクト(構成要素)が沢山あげられているのだが、教育要素の総力の結果のように感じる。それだけ新たな時代は、健康な意識の強さが必要なのだろう。
ところで、考えれみると、(2)、(3)の内容は、表現において「今後ますます」とか「VUCAが進行する中で…、」などの表現があるものの、従来からの教育が重視してきた、「異質な人々から構成される集団で相互に関わり合うこと」や、「自主的に、主体的に、責任を持って行動すること」と大きな変更がないようだ。読みながら意外性がない。
この2つの事は、日々学校で、教室で、私たちが腐心している部分でもある。
そして、そのことを裏付けるように、白井さんは次のようにまとめる。
以上、3つの変革をもたらすコンピテンシーについて見てきたが、これらに共通するのが、とりわけAIが普及する時代において、いずれのコンピテンシーも、人間にとって固有の力であると言うことである。例えば、「対立やジレンマに対処する」するためには、複雑で曖昧な文脈や状況を読み解き、理解することが求められる。しかしながら、少なくとも現在のAI技術レベルでは、常に変化し続けるような不確実で曖昧な状況に対処したり、新たな価値観を創造したり、目標の変化に柔軟に対応していく、といったアルゴリズムに落とし込む事ができない事は解決できない。だからこそ、これからの教育には、とりわけ人間にしかできない力を身に付けられるようにしていくことが求められるし、ここで示されている変革をもたらすコンピテンシーも、正しく人間として求められる力なのである。
これからの教育には、これまで以上に、こうした人間固有のコンピテンシーの育成に注力していくことが求められるのであり、その基盤としてのカリキュラムの重要性が改めて認識されるべきだろう。
そして続けて、
例えば、「新たな価値を創造する力」にしても、それにつながる知識やスキル、態度及び価値観は、芸術など特定の教科だけで教えられると言うものではなく、国語や数学、体育など様々な教科において横断的に教えられている。また、これらのコンピテンシーは学校だけで学ぶものではなく、家庭や地域も、生徒にとって重要な学習の場であることも留意する必要がある。
「教育の未来」を提言する国際会議で、各国の専門家が、逆に従来の学校教育等の中の普遍的なところ指摘しているのである。
「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省
第5章 2030年に求められるコンピテンシーとその基盤(つづき)
この第5章は、改めてOECDのキーコンピテンシーについて解説している。
あのラーニングコンパスの中心部分である。
前回は、その1つ目、(1) 新たな価値を創造する力、部分を読んできた。
今回は、
(2) 対立やジレンマに対処する力
(3) 責任ある行動をとる力
について考えていく。
ただ、興味深いのは、(1) 新たな価値を創造する力、ではたびたびイノベーションとか、変革への意志と柔軟性など、勢いや新しさを求めた面が強かったのに対して、今回の(2)、(3)では、こうした力強さとは違うトーンを感じるのである。そのことを最後にまとめてみる。
今回も私なりの部分を引用をしていきながら進める。
(2) 対立やジレンマに対処する力
交流の機会が増え、また交流が密になるほど、その場かぎりでの表面的な付き合いだけでは済まされずに、一定の対立やジレンマ、トレードオフの関係が生じてくる事は必然とも言える。そうした場合には、単に対立やジレンマを回避したり、先送りするだけでは解決につながらない。関係者が納得できるような解決策を見つけ、折り合いをつけていくことが必要になってくるのである。
VUCAが進行する時代においては、様々な事象がよりいっそう複雑に関係しあうようになる。そのため、対立やジレンマが生じた場合でも、特定の「唯一解(single solution)」を見つけようとしたり、あるいは、もっと単純に「Aか、Bのどちらにするか」といったように与えられた選択肢から選ぶだけでは、問題の解決につながらない場合がますます増えてくるだろう(OECD、2019)。
対立やジレンマを解決していくためには、物事を様々な観点から見ることが求められるし、あるいは、物事の見方が異なってくる場合には、そうした問題の背景に何があるかを認識することが必要になる。そのためには、認知的柔軟性(cognitive flexibility)や他者視点の獲得(perspective taking)が重要になる。
国際間のグローバル化だけでなく、個人主義的な生活様式が進む中で、人権意識を高め、様々な状況や心情の他者と「新しいアイディアを生み出すきっかけ」にもなりうる関係性をつくることが重要だといっている。
(3) 責任ある行動をとる力
ここで含意されているのは、「(外部からの介入なしに)自分で決められること」である。もちろん、その事は重要であるし、否定するべき理由は全くない。しかしながら、今後2030年に向けて、様々な物事が複雑化して相互に絡み合っていく時代に、自分自身のことだけでなく、他者や地球環境などを含めた社会全体におけるウェルビーイングを実現していくためには、「自分で決められること」を大切にするだけでは、十分ではないとも考えられる。
重要なのは、自分自身のウェルビーイングだけでなく、他者のウェルビーイングであるとか、社会全体のウェルビーイングといったことも踏まえた上で、行動していくことである。その際に重要になるのが、「責任(responsibility)」と言う概念である。すなわち、自らの行動について、自分自身だけでなく、他者や社会にとっても責任を取れるものとしていくことが重要であることで、これから「責任ある行動をとる力」と言う「変革をもたらすコンピテンシー」が導かれることとなったのである。
実は、この後に「責任ある行動をとる力」のコンストラクト(構成要素)が沢山あげられているのだが、教育要素の総力の結果のように感じる。それだけ新たな時代は、健康な意識の強さが必要なのだろう。
ところで、考えれみると、(2)、(3)の内容は、表現において「今後ますます」とか「VUCAが進行する中で…、」などの表現があるものの、従来からの教育が重視してきた、「異質な人々から構成される集団で相互に関わり合うこと」や、「自主的に、主体的に、責任を持って行動すること」と大きな変更がないようだ。読みながら意外性がない。
この2つの事は、日々学校で、教室で、私たちが腐心している部分でもある。
そして、そのことを裏付けるように、白井さんは次のようにまとめる。
以上、3つの変革をもたらすコンピテンシーについて見てきたが、これらに共通するのが、とりわけAIが普及する時代において、いずれのコンピテンシーも、人間にとって固有の力であると言うことである。例えば、「対立やジレンマに対処する」するためには、複雑で曖昧な文脈や状況を読み解き、理解することが求められる。しかしながら、少なくとも現在のAI技術レベルでは、常に変化し続けるような不確実で曖昧な状況に対処したり、新たな価値観を創造したり、目標の変化に柔軟に対応していく、といったアルゴリズムに落とし込む事ができない事は解決できない。だからこそ、これからの教育には、とりわけ人間にしかできない力を身に付けられるようにしていくことが求められるし、ここで示されている変革をもたらすコンピテンシーも、正しく人間として求められる力なのである。
これからの教育には、これまで以上に、こうした人間固有のコンピテンシーの育成に注力していくことが求められるのであり、その基盤としてのカリキュラムの重要性が改めて認識されるべきだろう。
そして続けて、
例えば、「新たな価値を創造する力」にしても、それにつながる知識やスキル、態度及び価値観は、芸術など特定の教科だけで教えられると言うものではなく、国語や数学、体育など様々な教科において横断的に教えられている。また、これらのコンピテンシーは学校だけで学ぶものではなく、家庭や地域も、生徒にとって重要な学習の場であることも留意する必要がある。
「教育の未来」を提言する国際会議で、各国の専門家が、逆に従来の学校教育等の中の普遍的なところ指摘しているのである。