諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

229 保育の歩(ほ)#21 保育の記述

2024年05月12日 | 保育の歩
北アルプスの花畑 歩き始めて30分、雪解け水を集めたような湿原に出ていきなり秘境の趣。

保育について、現場の実際から学びます。
テキストは、
津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は学校教育などの意図した教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
つまり保育の中には人間の成長にとってなくてはならないものがあるに違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

第1章 保育の中に身を置いて ―保育者の最初の2年— から
《一日の流れと記述》

一日の流れを分解して次に記してみよう。具体的記述は読者には願わしいだろうが、そこで子どもが示している行為のひとつひとつが、これから長期にわたりそれぞれの子どものテーマになって展開することになる。

①全体をみて私がどこにいくのかの配慮。
I夫、朝、登校すると、庭の真ん中をまっすぐに歩いて端まで行き、木の上を眺めていた。後ろ向きに少し歩いたが、また前を向いてすたすたと庭の真ん中を歩いてもどった。
H夫一家が弟たちを連れてきた。砂場で遊びはじめた。最初、私はこの日もH夫とつきあおうと思っていた。砂場でも母と弟たちは砂をやり、H夫はひとりはずれて本を見ていた。ここは母親にまかせておくほうがよいように思えたので、私は保育者のいないところにいった。

②単純な行動をも意味あるものとして見る。
H夫の弟たちは母に本を読んでもらい、H夫は絵本の好きなところを開いて、とびはねていた。H夫は絵本を見ていないように見えるが、関心をもっていることを体中で表現しているように思えた。

③どの子も自分の思うことをしている。それが調和をつくっている。
1先生がT夫を抱いて中二階へゆく。私は別の子どもに頼まれてその子を抱いていた。
そんなことをしている間にT夫が私の手を引き、庭で私をブランコに座らせて、ひざに乗った。

④滑り台を一緒に楽しむ。
工夫は滑り台の階段を上ってゆき、はじめ自分が先に滑り、私がついて滑るのを確かめていた。それから私を先に滑らせ、私の背中にもたれて滑った。滑り下りたところでしばらくじっとしていると、H夫はその回りでとびはね、私の手を引いて形び階段を上り滑り台を滑った。それを何度も繰り返した。私も一緒に滑り下りた瞬間、すべてを忘れてボーとした感じを味わった。

⑤そうしている間に食事になる。

⑥場の共有。竈灯の点滅。
電灯を消す子とつける子とあり、ワーワーする。何人もの子どもたちがわいわいと出たり入ったりする。私は「夜になりました」「昼になりました」とか言って参加する。みんなが一緒にこの場を共有している実感があった。

⑦子どもたちの中に巻き込まれて夢中になる。
そのうちに、H夫を追いかけて私が走り、弟たちも走り回ることがつづいた。私はこの中に加わって何か一緒のわいわいの中に巻き込まれ、何も考えないで、そのときを楽しんだ。H夫は、大声で走り回った。この巻き込まれている中で私は子どもたちと世界を共有していたのだと思う。そこには共通体験がある。

⑧みんなが同じことをしたがり、それをかなえるのに私は一生懸命になった。
T夫が私の手を引いておしっこにゆく。トイレで窓をあけさせ、自動車を見る。そこに双子が来て一緒に窓にのりたがった。H夫もきて、一緒に自動車を見た。子どもたちの間に葛藤が生じてきたので、私はおしくらまんじゅうをして体をゆさぶった。そうすると、けんかになりそうになっても一緒に笑いはじめた。

⑨助けを必要としている子どものところにゆく。
だれもいなくなり、私が食事をしていると、トイレで泣いている子がいる。T夫がトイレに紙をいれてそこに手もつっこんで遊んでいたのだが、ふたがパタンと落ちて手をはさんだ。トイレのふたの丸の中から手を入れてトイレットペーパーを回して遊んだ。私はT夫を抱いて庭に連れ出すと、すぐにたらいの中に入った。
T夫は大きな箱をみつけ、そこに私をいれようと一生懸命になった。箱の内部は狭いので、私はどういうふうに入ればよいか分からないでいると、T夫はときどき機嫌が悪くなりながら、私の足を左足、右足とその箱の中にいれる。私一人が入ると箱はいっぱいで、私はへりに腹をおろした。するとT夫は、私の膝にのり、狭い空間にようやく自分の足をいれ、私の手で後ろから抱きかかえるようにさせ、私の体の中に入り込んでしまいたいような様子だった。狭いところでまるで猫みたいだと思う。

⑩思う存分に絵の具をぬる。
E夫が絵の具の瓶に指をつっこみ、箱積み木にべったりと絵の具をぬりつけた。それをもって、積み木の上を渡り歩く。私のひざに座ったりする。その手で体や顔にさわるので、E夫の顔やからだが絵の具だらけになる。私はシャワーにいれようかと思うがそれを察知して逃げまわる。私がつかまえてI先生が拭いた。E夫は思う存分やった。

《このことについて》
この1日について具体的な評価のようなものはないのだが、自然な①~⑩のパラグラフに分けることによって、味方によっては漠然とした1日がなだらかな起伏とともに立ちあがってくる。そして何より保育者自身の「苦心」も率直に書かれている。単に子供たちの観察するものではない。
津守さんは、次のように述べている。

1日終わった時、なんとたくさんの子どもたちがダイナミックに動いていたかを思った。それは保育者としての実感なのだが、しかし、その力動的な動きを文字に記録することは極めて難しい。記録をそのまま上げてもそこに居合わせなかった人には、無味乾燥な文字の羅列に過ぎなくなってしまう。ただ、私が確信を持っている事は、障碍をもった子どもたちだから、ダイナミックな遊びを生み出せないと言うのは当たらないということである。保育者がその気になって腰を添えて取り組むならば、ある時保育の場が力動的に動くようになる。その時子どもたちも、なんと楽しい1日だったことかと思うようになるだろう。

もちろん津守さんの保育観に障碍の有無によっての隔たりはあまりない。
保育は差異を受け止めることから出発するからだろうと思う。

《見出し写真のつづき》
夏ですが北アルプスの沢沿いにはガクアジサイ。どうしてこんなに綺麗なの?と思ったりします。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする