諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

230 保育の歩(ほ)#22 見上げる先

2024年05月19日 | 保育の歩
北アルプスの花畑   沢は雪渓から流れでてきいて、橋は冬は雪崩れにも耐える堅固な鉄製です。

保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、

津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

第1章 保育の中に身を置いて ―保育者の最初の2年— から

《V夫 滑り台 プロペラ》
十月のある日、V夫は登校すると私と手をつないだ。庭に歩いて行き、庭の片隅でうずくまり、うーと低くうなるような声を出していた。私は何かすることがありそうに思いながら、一緒にじっとしていた。V夫が三輪車に関心をもっているのが分かったので、それを近寄せた。V夫は自分の手で車輪をいじりはじめた。そうするうちに彼の心が解放されて、上方に向かうゆとりができたのだろう。急に滑り台の下から上を見上げて登ろうとした。私はお尻を支えて上がった。V夫はしっかりと手すりにつかまって上がる。上までゆき、滑り下りようとしたが一人ではこわいらしく、私の身体の向きをあちこちにかえて、どうやったら私にうまくつかまって滑れるかを試みた。私は先に滑り、V夫は私の首にしっかりつかまってゆっくり滑り下りた。それを十数回も繰り返した。終わり頃には、もう私の首につかまらないで、足の先が私の背中に触れるだけでよかった。手には登園したときから持っていた小さなプロペラをしっかりと握っていた。何度目か上がったときに、そのブロベラを滑り台の上から下に放り投げた。
彼は手を放すのにも、意志的に強く放すのである。
プロベラはドライエリアの溝の中に落ちた。自分では取りにいかれない遥か下の空間である。するとV夫はウーとうなって動かなくなった。私が下からそれを取ってくるとまた動きはじめた。この日の午後、ミニカーや電車を他の子が持っていっても怒らなかった。


《このことについて》
この場面で子どもは自発的に動きはじめた。そこにあらわれた結果としての行動は小さなものだが、この保育の過程の中にこの子ども自身の成長の姿があらわれている。子どもが低い声でうなっているときには、目は下を向いている。おそらく子どもは何に手を出して良いかも分からず、閉じ込められた空間の中にいて、目を上に向ける余裕もなかったのだろう。三輪車の車輪を回しているうちに―この子は回るものが好きである―子どもの心は解放されて上方に目を向ける余裕ができた。子どもは外に向かって広がりゆく空間があることに気がついた。
子どもが滑り台を下から上に登ることに関心を示したとき、上方の空間を発見し、未来の時間を希望をもってみるようになったといえよう。
人間の空間は身体と深く関係している。前、後、上、下、左、右は、直立した身体を基準にしている。そのことは時間とも関係するし、人の感情とも関連する。前進する方向は未来を指し示し、前の上は、希望の感情を伴う。
前の下は墜落する淵であり、前進に伴う不安である。後は自分が歩んできた道であり、過去のさまざまな感情を伴っている。

赤ん坊はいつ上を仰ぎ見るようになるだろうか。子どもが寝ている状態からひざまづいて、そして立ち上がるようになったとき、子どもは自分の体を基準にして上と下の空間を分化して認識する。赤ん坊が立ち上がった時に、自分の頭のあるほうが上で、しりもちをついて倒れる方向が下である。これは体の動きと一緒にできあがる上下である。歩いては転び転んでは立ち上がるときに、子どもは一生懸命に上と下を勉強している。そして二歳くらいになると、すっかりそれは自分の身についたものになる。
二歳くらいになると、子どもは滑り台の下から上に登ろうと思う。そう思うときには登る前から子どもには上方空間が観念の中にできている。「うえ」「した」という言葉はまだ意味をなさなくとも、上に登ろうと思う気持ちは明瞭で、子どもの中には身体の水準で上下のイメージができている。三、四歳になると、限られた平面で上下の空間のイメージが生じる。子どもは画用紙の縁を基準にして上と下を認識するようになる。上に太陽を描き、下方には地面を描き、その中間に人間を描く。明らかに視覚の面で、上と下とその中間が子どもに認識されたことが分かる

子どもは小さなミニアチャーへままごと、人形、小さな自動車など)で遊ぶとき、大きな世界を想像し思考してし)いる。ミニアチャーの世界は単に幾何学的縮小の再現ではない。その小さな空間の中に大きな世界がある。保育者は子どもと一緒にその世界で動く。

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