のんびり八ケ岳 美濃戸口から沢沿いの道をつめてきて行者小屋に到着 晩秋のこの時期小屋じまいしてます。
引き続き
『シリーズ授業0 10障害児教育発達の壁を乗り越える』岩波書店1991年
から、津守さんの在籍していた当時の愛育養護学校の実践についての多彩な編集委員の方の批評を取り上げたい。
そして今回と次回は津守真さんご自身のコメントである。
テキストでは津守真さんが校長の立場として編集委員になり愛育養護学校の実践について語っている。
校長としてどのように自校の保育(教育)を述べるのであろう。
ところで、これまで4人の方の批評を取り上げてきた。
「教師はひとりひとりの子ども自身が知識というものを「内側から見る」ことを、そのことのみを、最大限に援助する」こと(佐伯)
「「希望を失わずに、傍にいること」は、心理療法の根本ではないか、と筆者は考えている。多くの遊戯療法で、根本的にはこのような治療者の態度に支えられ、子どもたちは自らの力で立ち直ってゆくのである」(河合)
「大人である教師のからだが(ことばも含めて)子どもにほんとにふれているか、ふれることができるだけひらかれているか、いっしょに息をしているか」(竹内)
「子どもが抱えている発達の「障碍」や「壁」を洞察し共有し合い、その「障碍」や「壁」を子どもと大人が協同で克服する挑戦が日々の営みをとおして実践されている」(佐藤)
印象的なセンテンスを思い出しながら、次の津守さんの記述を読むと、保育(教育)を作り上げる者のメンタリティが鮮明になってくる。また、それは研究者としての発達観の大きな転換を経たものとして改めて述べている。
《発達観の転換》
子どもが遊ぶ姿を見ていると、最初は何をしているのかよくわからないが、そのうちに熱を帯びてきて、こちらが予想しなかったおもしろい遊びを始めます。それは実生活の中で起こることです。子どもにとっても新鮮なエネルギーに満ちた時間に、時間的制約なしに十分に遊びきることを許された状況の中で起こることです。そこには大人が必要です。はじめのうちは大人にべたべたくっついたり、要求したりします。子ども同士の悶着も多く、その間に入ってどちらの子も自分の関心を追求することができるように助ける大人が必要です。その時間を心身を労してはたらく大人が持ちこたえると、そのあとは子ども自身が遊びを生み出します。そのときは子どもにとって真剣で創造的な時間です。その中には子ども自身が解決しようと追求している課題があります。それをやり遂げたとき、子どもははればれとして違った自分自身になっています。こういう日がつづいてゆくと、数週間、数か月の間に、子どもは外部から見ても変化がはっきりとわかります。
《人間の発達に関わる》
1960年代、70年代は、心理学の分野では、実験的操作による研究が数多くなされました。これらの研究には精密をきわめたものが多くありますが、研究の原資料となっているものに目を向けてみると、子どもの実生活の遊びや生活を中断させ、実験室につれてきて定められた指示のもとに活動させ観察するという方法です。
そこでは子どもの生命性は失われています。そこから導き出された法則や教育プログラムを実践に応用することは、子どもの生活全体を歪めることになりかねません。
《生活に参与する中で》
子どもの行動を観察するのも、描画を見るときと同じことがあります。行動も子どもの内的世界の表現です。それまで客観的に観察しうる行動だけをとり出して、それに攻撃的行動、依存的行動などと名づけ、そこから逆に行動を分類していた。それでは子どもの側からの理解にはなっていないことに私は気づきました。全部はじめからやり直しです。子どもと出会ったときのひとつひとつの行動を、子どもの世界の表現として見よう。そう見たときにはどうなるか。私はわくわくする思いで、それから保育の実践の場に出てゆくようになりました。そのことについては拙著『保育の体験と思索』(大日本図書、1980年)に記しました。
行動は子どもの内的世界の表現です。同時にそれはだれかに対する表現です。子どもは自分の世界をだれかに見てもらいたい、理解してもらいたいと思っています。大人が子どもの行動からその願いや悩みを見ることができるとき、その大人との関係の中で、子どもはそれをいっそう明瞭に表現するようになります。つまり子どもの行為が展開してゆきます。
大人と子どもとのこのようなやりとりを、第三者として観察するのも興味深いことです。しかし、その大人が子どもの何を見ているか、どのように思って自らの行為の仕方をきめているかは、本人でなければわからないことがあります。ことに子どもとの間で大切な部分は、ごく小さなことが多いのです。その些細なことに気づいて、大人がそれに応答するかどうかによって、次の子どもの表現がかわってきます。表現はこのような関係の継続的プロセスの中で、その姿をかえてゆきます。これが保育の実践です。
ここにおいて、人間を育てることにかかわる科学では、実証科学とは全く違う考え方をとることに気がつきます。
後者では、相手を対象化し、研究者自身は外部の不動の地点に立っています。前者では、相手の生活に参与しつつ考えます。実証科学では、その知識が完全になるほど、対象を支配することが可能になります。前者では、相手も自分も変化しながら考えるのであって、完全な知識体系をつくることは最初から放棄しています。専門性についても、実証科学では、素人は知らない知識をもっているのが専門家です。人間を育てる科学においては、子どもも親も、専門家と同列の人間です。自分を加えてどの人も人間の見方を磨いてゆくようにするのが専門の仕事です。専門家の方がより多く知っているとはかぎりません。
子ども自身が環境に働きかけていくことにより、子どもが自ら未来を拓いていく、その過程で「大人が必要」で、その大人は「自分を加えてどの人も人間の見方を磨いてゆく」ことが求められのである。
これは、知識を得る形の保育の専門性とは違う次元の話である。
このあと、津守さんは、「子どもと交わる実践の1日」として項をあらためて、出会い、交わる、現在を形成する、省察として愛育養護学校の1日を時系列にして実践をさらに具体的に説明していく。
次回も津守さんご自身の批評を追う。
引き続き
『シリーズ授業0 10障害児教育発達の壁を乗り越える』岩波書店1991年
から、津守さんの在籍していた当時の愛育養護学校の実践についての多彩な編集委員の方の批評を取り上げたい。
そして今回と次回は津守真さんご自身のコメントである。
テキストでは津守真さんが校長の立場として編集委員になり愛育養護学校の実践について語っている。
校長としてどのように自校の保育(教育)を述べるのであろう。
ところで、これまで4人の方の批評を取り上げてきた。
「教師はひとりひとりの子ども自身が知識というものを「内側から見る」ことを、そのことのみを、最大限に援助する」こと(佐伯)
「「希望を失わずに、傍にいること」は、心理療法の根本ではないか、と筆者は考えている。多くの遊戯療法で、根本的にはこのような治療者の態度に支えられ、子どもたちは自らの力で立ち直ってゆくのである」(河合)
「大人である教師のからだが(ことばも含めて)子どもにほんとにふれているか、ふれることができるだけひらかれているか、いっしょに息をしているか」(竹内)
「子どもが抱えている発達の「障碍」や「壁」を洞察し共有し合い、その「障碍」や「壁」を子どもと大人が協同で克服する挑戦が日々の営みをとおして実践されている」(佐藤)
印象的なセンテンスを思い出しながら、次の津守さんの記述を読むと、保育(教育)を作り上げる者のメンタリティが鮮明になってくる。また、それは研究者としての発達観の大きな転換を経たものとして改めて述べている。
《発達観の転換》
子どもが遊ぶ姿を見ていると、最初は何をしているのかよくわからないが、そのうちに熱を帯びてきて、こちらが予想しなかったおもしろい遊びを始めます。それは実生活の中で起こることです。子どもにとっても新鮮なエネルギーに満ちた時間に、時間的制約なしに十分に遊びきることを許された状況の中で起こることです。そこには大人が必要です。はじめのうちは大人にべたべたくっついたり、要求したりします。子ども同士の悶着も多く、その間に入ってどちらの子も自分の関心を追求することができるように助ける大人が必要です。その時間を心身を労してはたらく大人が持ちこたえると、そのあとは子ども自身が遊びを生み出します。そのときは子どもにとって真剣で創造的な時間です。その中には子ども自身が解決しようと追求している課題があります。それをやり遂げたとき、子どもははればれとして違った自分自身になっています。こういう日がつづいてゆくと、数週間、数か月の間に、子どもは外部から見ても変化がはっきりとわかります。
《人間の発達に関わる》
1960年代、70年代は、心理学の分野では、実験的操作による研究が数多くなされました。これらの研究には精密をきわめたものが多くありますが、研究の原資料となっているものに目を向けてみると、子どもの実生活の遊びや生活を中断させ、実験室につれてきて定められた指示のもとに活動させ観察するという方法です。
そこでは子どもの生命性は失われています。そこから導き出された法則や教育プログラムを実践に応用することは、子どもの生活全体を歪めることになりかねません。
《生活に参与する中で》
子どもの行動を観察するのも、描画を見るときと同じことがあります。行動も子どもの内的世界の表現です。それまで客観的に観察しうる行動だけをとり出して、それに攻撃的行動、依存的行動などと名づけ、そこから逆に行動を分類していた。それでは子どもの側からの理解にはなっていないことに私は気づきました。全部はじめからやり直しです。子どもと出会ったときのひとつひとつの行動を、子どもの世界の表現として見よう。そう見たときにはどうなるか。私はわくわくする思いで、それから保育の実践の場に出てゆくようになりました。そのことについては拙著『保育の体験と思索』(大日本図書、1980年)に記しました。
行動は子どもの内的世界の表現です。同時にそれはだれかに対する表現です。子どもは自分の世界をだれかに見てもらいたい、理解してもらいたいと思っています。大人が子どもの行動からその願いや悩みを見ることができるとき、その大人との関係の中で、子どもはそれをいっそう明瞭に表現するようになります。つまり子どもの行為が展開してゆきます。
大人と子どもとのこのようなやりとりを、第三者として観察するのも興味深いことです。しかし、その大人が子どもの何を見ているか、どのように思って自らの行為の仕方をきめているかは、本人でなければわからないことがあります。ことに子どもとの間で大切な部分は、ごく小さなことが多いのです。その些細なことに気づいて、大人がそれに応答するかどうかによって、次の子どもの表現がかわってきます。表現はこのような関係の継続的プロセスの中で、その姿をかえてゆきます。これが保育の実践です。
ここにおいて、人間を育てることにかかわる科学では、実証科学とは全く違う考え方をとることに気がつきます。
後者では、相手を対象化し、研究者自身は外部の不動の地点に立っています。前者では、相手の生活に参与しつつ考えます。実証科学では、その知識が完全になるほど、対象を支配することが可能になります。前者では、相手も自分も変化しながら考えるのであって、完全な知識体系をつくることは最初から放棄しています。専門性についても、実証科学では、素人は知らない知識をもっているのが専門家です。人間を育てる科学においては、子どもも親も、専門家と同列の人間です。自分を加えてどの人も人間の見方を磨いてゆくようにするのが専門の仕事です。専門家の方がより多く知っているとはかぎりません。
子ども自身が環境に働きかけていくことにより、子どもが自ら未来を拓いていく、その過程で「大人が必要」で、その大人は「自分を加えてどの人も人間の見方を磨いてゆく」ことが求められのである。
これは、知識を得る形の保育の専門性とは違う次元の話である。
このあと、津守さんは、「子どもと交わる実践の1日」として項をあらためて、出会い、交わる、現在を形成する、省察として愛育養護学校の1日を時系列にして実践をさらに具体的に説明していく。
次回も津守さんご自身の批評を追う。