マダガスカルに通うようになる前、私はフランス料理をあまり好きになれなかった。生意気を云うようで申し訳ないが、素材の味を殺してしまう感じがするソースが嫌なのである。コルベール・ホテルのビジネス・レストランで出されるステーキにもソースがかけてある。私はそれをナイフできれいにそぎ落とし、塩と胡椒だけで食べていた。いつの間にか、ソースをかけないステーキがメニューに載ってしまった。きっと、徐々に増えてきたアメリカ人の観光客からもそのような要望があったのであろう。
だが、少し強調させてほしい。高級な方のレストランである「ラ・タベルナ」のメニューにフォアグラがある。軽くソテーされたフォアグラの上にかけられるソースは絶品である。そしてもう一つ、ビジネス・レストランで出されるカモのローストにかけられるソースである。この二つの、素材の味を引き立てるソースを味わったことで、フランス料理に対する私の認識が変わった。
「ラ・タベルナ」のフォアグラをメイン・ディッシュにしたディナーは、デザートを入れても800円もしなかった。カモのローストのディナーは、この半値ぐらいであったことを記憶している。また、ワインは南アフリカのドイツ人が作っている最高級の物でも一本1,500円はしなかった。一人で食事をするときはワインを頼めない。グラスワインを注文しても、大振りなワイングラスに持ってくるので、半分も飲めない。それで、誰かを誘うようにしているのだが、マダガスカル人に呑兵衛は殆どいない。私がお酒に強い体質であったら、浴びるほど飲めたのにと、非常に残念である。
以前にもご紹介したが、1991年の10月に10,000円を最初に銀行で両替したときは22万か23万マダガスカル・フラン(FMg)だったが、次に両替したときは30万FMgになっていた。1996年には60万FMgを超えていた。ホテルの中で使えば、10,000円は10,000円だが、物価は非常に安かった。だが、ホテルの外で使えば、10万FMgは日本で10万円を使うようなものだった。例外的な高給取りは別として、通常のマダガスカル人の給与は1,500円から2,000円ぐらいだった。従って、いくら親しくなっても彼等をホテルのレストランに招待出来なかった。恐らく、自分たちの一週間分か二週間分の給料を、日本人は一食で食っちまうと考えるに違いない。だから、取引先の社長か、かなり裕福なマダガスカル人しか招待しなかった。
アリス・ラジャオベリナさんが私を訪ねてくると云う電話をアンセルメ・ジャオリズィキー課長から受け取った。モロンダバから帰ったばかりで、ホテルの自分の部屋でゴロゴロしているときだった。慌てて着替えて外に花を買いに行った。ドライブに連れて行ってくれたお礼を何もしていなかった。日本からお礼の品を買ってくるのを忘れてしまったのだ。次回にマダガスカルに来るときに必ず買ってくるにしても、取敢えずのお礼はしたかった。
中央広場の方に向かう途中で花売りに出会った。花束を指差して「オォトリヌナ?」(幾ら?)と聞いたが、不思議そうな顔をされただけだった。違う言葉を使ってしまったか、発音が悪かったのだろう。ポケットから紙幣を出し、マダガスカル人がよくするように、親指と他の四本の指をすり合わせた。すると、相手は指を二本立てた。2,000マダガスカル・フラン(約50円)と思い、1,000マダガスカル・フラン札を二枚渡した。花売りの少女は目を輝かせて「ミソートラ」(ありがとう)を何回も繰り返した。ホテルに帰ってからハウスメイドにきれいに包むよう頼んだ。すると「これにお幾ら払いましたか?」と聞かれた。買った値段を云うと、呆れた顔になり、「だから、買い物をするときは私に云って下さいと云っているでしょ」と叱られた。相場は100か150マダガスカル・フラン(2円か3円)なのだそうだ。少女は私に200マダガスカル・フランを請求したのだ。その10倍払ったのだから、彼女が喜んだわけだ。
急な階段にも拘らず、相変わらずズマ・マーケットへの石段に人の絶えることはない。恐ろしく小さい両側の店も客の途切れることはなかった。
深緑のアヌシィ湖
女王宮のあるアンボジマンガに行く途中のマーケット。規模は小さいがそこそこ繁盛しているように見えた。
マダガスカルの固有種である「旅人の木」。枝を切ると、溜った水が豊富に出て旅人の渇きを癒すのだそうだ。また一説には、枝が必ず東西に広がるので、旅人は方向を失わないのだそうだ。どちらの説が正しいのか私は知らぬが、私が最初に聞いたのはのどの渇きを癒す方の話だった。冬が過ぎたばかりなので葉に勢いがない。春から夏にかけて鮮やかな緑になる。
以前にもこれと同じような風景をお目にかけたことがあるが、延々と広がる田圃である。マダガスカル人のコメの消費量は日本の比ではない。二十歳前後の若い男どもと食事をすると、大きなお皿に山盛りにしたご飯がみるみる間になくなってしまう。私の三倍以上のご飯を食べる。
マダガスカルで栽培しているのはインディカ米である。そのため、炊き方は日本と違う。炊き上がる前に余分な水分を全て捨ててしまうのである。これをすることによってご飯の日持ちがよくなる。この方法はタイやビルマでも同じである。そのようにして炊くと、インディカ米はおいしく食べられる。
最近、この田んぼの畦道から大きなエメラルドが見つかったらしい。だからと云って近所の人たちが宝石を掘り出そうと群がっている様子はなかった。目の色を変えて宝石を掘り出そうと考えないのがマダガスカル流と云うのだろうか。歩いていて、たまたま見つければいいぐらいにしか考えていない。
この沼では魚がよく釣れると云うので、休みの日に行ってみたが駄目だった。
シトロネーレ。レモン(フランス語でシトロン)の香りのするところから、フランス人がこのように名づけたらしい。東南アジアにあるレモングラスとは同種のものであると云われているが、用法と効用が違う。葉を乾燥させ、お茶のようにして飲む。気分が落ち着き、トランキライザーの代りになる。乾燥させたものは保存がきくが、根を取っただけの生のシトロネーレを日本に持って帰り、自宅で天日干しにしてみたが、完全に乾燥する前に腐ってしまった。乾いた空気と強烈な太陽のもとでなければ無理のようだった。
ご報告:
前回、ブログに掲載した私の写真を他に使用した方々に削除をお願いしましたが、殆どの方が削除に応じて下さいました。感謝致します。
写真をご使用になさりたい方がおられましたら、ご趣旨を添えてお申し出下さい。「サイン」の入らない写真を提供することもやぶさかではありません。
だが、少し強調させてほしい。高級な方のレストランである「ラ・タベルナ」のメニューにフォアグラがある。軽くソテーされたフォアグラの上にかけられるソースは絶品である。そしてもう一つ、ビジネス・レストランで出されるカモのローストにかけられるソースである。この二つの、素材の味を引き立てるソースを味わったことで、フランス料理に対する私の認識が変わった。
「ラ・タベルナ」のフォアグラをメイン・ディッシュにしたディナーは、デザートを入れても800円もしなかった。カモのローストのディナーは、この半値ぐらいであったことを記憶している。また、ワインは南アフリカのドイツ人が作っている最高級の物でも一本1,500円はしなかった。一人で食事をするときはワインを頼めない。グラスワインを注文しても、大振りなワイングラスに持ってくるので、半分も飲めない。それで、誰かを誘うようにしているのだが、マダガスカル人に呑兵衛は殆どいない。私がお酒に強い体質であったら、浴びるほど飲めたのにと、非常に残念である。
以前にもご紹介したが、1991年の10月に10,000円を最初に銀行で両替したときは22万か23万マダガスカル・フラン(FMg)だったが、次に両替したときは30万FMgになっていた。1996年には60万FMgを超えていた。ホテルの中で使えば、10,000円は10,000円だが、物価は非常に安かった。だが、ホテルの外で使えば、10万FMgは日本で10万円を使うようなものだった。例外的な高給取りは別として、通常のマダガスカル人の給与は1,500円から2,000円ぐらいだった。従って、いくら親しくなっても彼等をホテルのレストランに招待出来なかった。恐らく、自分たちの一週間分か二週間分の給料を、日本人は一食で食っちまうと考えるに違いない。だから、取引先の社長か、かなり裕福なマダガスカル人しか招待しなかった。
アリス・ラジャオベリナさんが私を訪ねてくると云う電話をアンセルメ・ジャオリズィキー課長から受け取った。モロンダバから帰ったばかりで、ホテルの自分の部屋でゴロゴロしているときだった。慌てて着替えて外に花を買いに行った。ドライブに連れて行ってくれたお礼を何もしていなかった。日本からお礼の品を買ってくるのを忘れてしまったのだ。次回にマダガスカルに来るときに必ず買ってくるにしても、取敢えずのお礼はしたかった。
中央広場の方に向かう途中で花売りに出会った。花束を指差して「オォトリヌナ?」(幾ら?)と聞いたが、不思議そうな顔をされただけだった。違う言葉を使ってしまったか、発音が悪かったのだろう。ポケットから紙幣を出し、マダガスカル人がよくするように、親指と他の四本の指をすり合わせた。すると、相手は指を二本立てた。2,000マダガスカル・フラン(約50円)と思い、1,000マダガスカル・フラン札を二枚渡した。花売りの少女は目を輝かせて「ミソートラ」(ありがとう)を何回も繰り返した。ホテルに帰ってからハウスメイドにきれいに包むよう頼んだ。すると「これにお幾ら払いましたか?」と聞かれた。買った値段を云うと、呆れた顔になり、「だから、買い物をするときは私に云って下さいと云っているでしょ」と叱られた。相場は100か150マダガスカル・フラン(2円か3円)なのだそうだ。少女は私に200マダガスカル・フランを請求したのだ。その10倍払ったのだから、彼女が喜んだわけだ。
急な階段にも拘らず、相変わらずズマ・マーケットへの石段に人の絶えることはない。恐ろしく小さい両側の店も客の途切れることはなかった。
深緑のアヌシィ湖
女王宮のあるアンボジマンガに行く途中のマーケット。規模は小さいがそこそこ繁盛しているように見えた。
マダガスカルの固有種である「旅人の木」。枝を切ると、溜った水が豊富に出て旅人の渇きを癒すのだそうだ。また一説には、枝が必ず東西に広がるので、旅人は方向を失わないのだそうだ。どちらの説が正しいのか私は知らぬが、私が最初に聞いたのはのどの渇きを癒す方の話だった。冬が過ぎたばかりなので葉に勢いがない。春から夏にかけて鮮やかな緑になる。
以前にもこれと同じような風景をお目にかけたことがあるが、延々と広がる田圃である。マダガスカル人のコメの消費量は日本の比ではない。二十歳前後の若い男どもと食事をすると、大きなお皿に山盛りにしたご飯がみるみる間になくなってしまう。私の三倍以上のご飯を食べる。
マダガスカルで栽培しているのはインディカ米である。そのため、炊き方は日本と違う。炊き上がる前に余分な水分を全て捨ててしまうのである。これをすることによってご飯の日持ちがよくなる。この方法はタイやビルマでも同じである。そのようにして炊くと、インディカ米はおいしく食べられる。
最近、この田んぼの畦道から大きなエメラルドが見つかったらしい。だからと云って近所の人たちが宝石を掘り出そうと群がっている様子はなかった。目の色を変えて宝石を掘り出そうと考えないのがマダガスカル流と云うのだろうか。歩いていて、たまたま見つければいいぐらいにしか考えていない。
この沼では魚がよく釣れると云うので、休みの日に行ってみたが駄目だった。
シトロネーレ。レモン(フランス語でシトロン)の香りのするところから、フランス人がこのように名づけたらしい。東南アジアにあるレモングラスとは同種のものであると云われているが、用法と効用が違う。葉を乾燥させ、お茶のようにして飲む。気分が落ち着き、トランキライザーの代りになる。乾燥させたものは保存がきくが、根を取っただけの生のシトロネーレを日本に持って帰り、自宅で天日干しにしてみたが、完全に乾燥する前に腐ってしまった。乾いた空気と強烈な太陽のもとでなければ無理のようだった。
ご報告:
前回、ブログに掲載した私の写真を他に使用した方々に削除をお願いしましたが、殆どの方が削除に応じて下さいました。感謝致します。
写真をご使用になさりたい方がおられましたら、ご趣旨を添えてお申し出下さい。「サイン」の入らない写真を提供することもやぶさかではありません。