TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 355

2021年11月28日 | エッセイ
 先々週に写真仲間とあきる野市の広徳寺に黄葉を撮りに行った。昨年は最寄りのバス停からダラダラとした坂道を登って広徳寺に行ったが、かなりの重労働だった。今年は皆で相談して武蔵五日市の駅前から広徳寺までタクシーで行った。あっという間に着いた。お陰で温存された体力は撮影に振り向けられた。

 黄葉は丁度良い色づき加減であった。仲間は黄葉を主体に撮影した様だったが、私は古刹の建築物に惹かれた。

 広徳寺の近くに大きな畑をお持ちのオバさんの話では、「イチョウの黄葉もいいが、桜はそれ以上に見事だよ」とのことだ。云われてみると、あちこちに桜の古木を見かけた。













 維新の会で初めて当選した議員がたった一日のことで「文書交通滞在費」の名目で議員会館の事務所に現金で100万円が届けられたことで驚き、「これはおかしいのではないか」との声を挙げた。するとそれに呼応するように他の野党や自民党迄「返還すべき」との党の決定を発表した。維新の会の新人議員が声を挙げなければ黙って受取っていたのではないか?私にはそのように思える。

 使い道も領収書もいらない100万円がどうして議員全員に渡されたり振込まれたりするのか?大臣や各党の国会対策委員長にはSPだけではなく運転手付きの公用車が支給されている。そのほかの議員でも新幹線のグリーン車が乗り放題である。交通費はいらない筈だ。また、多くの議員が地元の家とは別に都内の便利な場所に住居を持っている。滞在費はいらない筈である。文書費だが、その殆どが国会議事場での自己の成果を誇大評価した、次の選挙に向けての宣伝文書であると聞いている。これは議員個人の費用で賄うべきで、国費を使うべきではない。

 新聞に、地元の支援団体の会合に出席する際の挨拶文や講演資料の作成を厚生労働省の職員に書かせている多くの与野党議員がいると報じられた。実際に原稿を書かせられている職員は余分な、本来公務員の仕事以外のことで非常に多くの労働時間を割かれているとのことだ。

 既に鬼籍に入ってしまっているが、私の中学からの同級生の一人に衆議院議員がいた。彼が国会対策委員長だった時、悪ガキ仲間と夜遅くまで酒を飲んでいる間、運転手付きの車とSPが店の外で待っていた。我々が外で待っているSPたちのことを心配すると、彼は当然のように「いいんだよ」と云って意に介していない様子に、私は釈然としないものを感じた。本来の彼は優しく、思いやり深く、人に迷惑をかける様な奴ではなかった。議員になるとこうも変ってしまうのかとその時に感じた。


折々の写真&雑感 354

2021年11月21日 | エッセイ
 神田須田町の、この緑青に覆われている建物を発見したのは2013年の暑いときだった。その時は24ー105ミリのレンズだったので、次の月に17ー40ミリのレンズに付け替えて撮り直しに行った。大きく口をあけて笑っている「岡昌裏地ボタン店」のオヤジの写真は仲間を誘ってその年の10月に行った時のものである。直ぐに送る約束をしたが、5年も忘れたままだった。今更送ったのでは失礼と考え、届けに伺った。緑青のある古い建物は岡昌だけになり、後の3軒は取り壊されていた。






「店の中も外も気の向くままに撮ってくれ」と我々を気持ちよく迎え入れてくれた。直ぐに送ると云って忘れてしまったのは申し訳なかった。私が写真を届けると、5年も前の事なのに覚えていてくれた。まるで昨日撮った写真を受取るように接してくれた。
 私が写真をお渡しして一年ほど経ったころ、岡昌さんを紹介するテレビ放送を見た。その放送の中でも上の写真のような笑い顔を見せていた。その時に初めて知ったのだが、このオヤジは独身で一人住まいとの事だった。


 五年前と何一つ変わっていない「岡昌」の店先。甘い言葉で売却を迫る不動産屋をどうやって追い払っているのか。笑顔か、別の顔か?彼には笑顔しかないように思える。


 海老原商店だけを残して、並びの三軒は取り壊されていた。残る岡昌は頑として売却を拒んでいるそうだ。

 不動産業者を悪く云うわけではないが、甘言を弄して買い手や売り手を翻弄する。彼らの手に渡った土地はその度に値が上がっている。だから我々庶民には気に入った土地を気軽に買うなど到底出来ない。あの、何処までも人の良い「岡昌」のオヤジが「絶対に売らない」と頑張っているのは、その辺のところに信頼できない何かを感じ取っているのであろう。がんばれ岡昌!



折々の写真&雑感 353

2021年11月14日 | エッセイ
 このところのコロナ感染者数は想像を超える激減である。10月に安心して写真仲間を誘って川越に行った。この街に前回訪れたのは12年以上も前だ。当時は目抜き通りでは立ち止まってカメラを構えるのも遠慮するほどの混雑ぶりだった。

 下の写真でもお分かりのように、午前中の観光客は殆どいなかった。その上市内を走る平日の「小江戸巡回バス」の運行は午後からしかない。川越シャトルバスは1時間に2本しかなく、我々観光客には運行経路が不明だ。それで、川越本丸御殿にはタクシーで行き、帰りに写真を撮りながら駅までブラブラ歩いて戻る予定だったが、結局は全行程を歩いた。




 此の厳島神社も以前ほどの賑わいはなく、殆どが地元の人の参拝客たちのように見受けられた。




 上二枚は「川越本丸御殿」である。前回に来たのは14年か15年前だった。それからも何回か訪れたが改修工事で中に入れなかった。やっと改修が終ったが、コロナの蔓延で川越には行けなかった。




 午後のメイン通り。当時ほどではないが、やっと観光客が戻ってきたように感じられた。美味しい漬物屋が二軒ある。そのうちの一軒に入った。レジで多少待たされるほど に買い物客で賑わっていた。

折々の写真&雑感 352

2021年11月07日 | エッセイ
 埼玉県に住む友人に誘われ、航空自衛隊入間基地の航空ショーに行ったのは8年程前の文化の日だった。結論から云うと、二度と行きたくない。航空ショーが面白くなかったわけではない。毎日でも通いたいと思うほどに魅力があった。而し、実際の撮影となると状況は違う。100-400ミリのズームレンズを使って撮ったのだが、レンズのフードが前の人の頭にぶつかってしまう。シャッターを押そうとすると、隣の人に邪魔されてカメラが動いてしまう。

 仮設トイレは沢山あったが、そのどれにも男どもが長い列を作っていた。ご婦人用のトイレの数は少なく、男どもの何倍もの人が並んでいた。お気の毒としか云いようがなかった。

 屋台で昼食を調達し、宮城県の松島基地から飛んでくるブルー・インパルスを待つことした。だが、午前中に獲得した撮影に絶好の場所に戻ることは出来なかった。


 このような大型のヘリコプターの実物を見るのは初めてだった。ジャンボ・ジェットは空を飛んで当然と考えていたが、この大きなヘリコプターが大きな貨物をぶら下げて空中に浮かんでいるのは奇異な感じだった。


 落下傘降下が始まった。自衛隊機が飛び去った後に、いくつもの落下傘が空中に広がるのは実に綺麗だった。


 午後になり、やっと四機のブルー・インパルスが松島基地から飛んできた。このうちの一機は婦人自衛官が操縦しているのだとアナウンスされた。




 一瞬で通り過ぎる戦闘機を撮るにはきちんとピントを合わせるなど到底出来なかった。旅客機と戦闘機との速度の差を感じた。


 今にもくっつきそうに見えた。近くで私の撮影を見ていた空自の大尉は、「あの技術はそう簡単には習得出来ません」と善望の眼差しを向けていた。

 善福寺公園の鳥を撮りに行った。少し傷み始めた腕を庇いながらの撮影であったが、カメラを少し上に向けると肩から肘にかけて激痛が走った。少し腕を休ませ、なるべくレンズを上に向けないようにして撮影を続けた。水鳥を撮るわけではないので、そのようなことで目当ての鳥を撮れるわけがない。諦めて帰る事にした。

 もう三年以上たつが、その時はバスに揺られるだけでも腕が痛かった。それでも写真を撮ることを止めなかった。あまりの痛さに整形外科に行った。頸骨が損傷を受けている可能性があるとの診断を受けた。「手術ではなく、まずは薬物で治療しましょう。脳がその痛みを記憶したら大変です。痛みを和らげましょう」と、その名医は云って下さった。而し、処方された痛み止めを飲んでも痛みは和らがなかった。それでも写真撮影には行った。ある日、見るに見かねた写真仲間の一人が、私の肩甲骨の先端を強く押して、その後でその周囲をマッサージして下さった。驚いたことに痛みは和らぎ、昼食には腕を上に挙げても痛みを感じないほどになった。古代文学の教授にこのような知識があるとは驚きだったが、彼の友人にその道の専門家がいたらしい。

 善福寺から帰ると、ゴルフボールをタオルでくるんだもので肩甲骨の先端をゴリゴリ刺激した。痛みが和らいだ。少し痛くなるとすぐに同じことを行った。それから三日ほどしか経っていないが、全く痛みを感じなくなった。写真仲間に改めてお礼を云いたい。