TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 372

2022年02月27日 | エッセイ
 中学の悪ガキ仲間だけではなく、品行方正で成績抜群の同級生たちも誘って箱根に一泊旅行をしたことがあった。約束の集合場所に行くと、「よう、しばらく!」と声を掛けられた。「えっ、ボケじゃないか!」と云うと、「ボケはないだろう」と云われた。あだ名は覚えていたが、本名を忘れてしまっていた。30半ばの奴に「ボケ」と呼んだのは失礼だとは承知していたが、「お前誰だっけ?」とか「お前の名前は?」と聞くよりはずっと親しみが現れていると思って勘弁して頂きたい。

 中学の頃、「ボケ、ボケ」と皆に呼ばれていたが、頭が悪いわけではない。仲間内では抜群の成績だった。だが、育ちの良さを感じさせるゆったりした動作がそのような親しみのあるあだ名で呼ばれていたのだ。

 彼は私の呼びかけに一応の抗議はしたものの、顔は懐かしさで溢れているのを隠せなかった。彼に会う迄は本名を覚えていたつもりだったが、会った途端に「ボケ」が先に出てしまった。

 以下の写真は築地市場が豊洲に移転したが、一緒に移転しなかった「場外」の様子である。まだコロナウィルスが蔓延する前の賑やかだった築地場外の姿である。


 屋台に毛の生えたような店に何人もの中国からの観光客がマグロ丼を美味しそうに食べていた。


 山長の卵焼きを買おうと、此処にも多くの中国人が列を作っていた。


 ヨーロッパからの観光客であろうか、スマホで撮った写真を確認していた。


 初めてのマグロの解体ショーに非常な興味と恐怖心を持って見ていた。


 美味しいものを食べるには恥や外聞を気にする必要はない。


 この子は何に興味を惹かれたのだろうか。私にとっても興味の尽きない築地場外市場である。

折々の写真&雑感 368

2022年02月27日 | エッセイ
 「大丈夫」と云う言葉をやたらと聞く。「~をして大丈夫ですか?」と聞くと「はい大丈夫です」と答えている。この程度なら聞いていても理解出来る。「大丈夫」は「OK」と同じように使われているらしい。而し、「写真を撮ってあげようか?」と聞くと「はい大丈夫です」との答えが返ってくる。そう云われると理解に困る。だが、相手が背景を選んでポーズを取り始めると、撮って欲しいのだと判断出来る。
 
 従弟の娘に「これをどうぞ」とチョコレートを差し出したとき「大丈夫です」と云われた。欲しいのか、欲しくないのか判断に困った。その時は「いりません」の意味だったらしい。虫歯に悩んでいたらしく、歯を抑えていた。そうなると、「大丈夫」と「OK」は同義語ではない。最近の日本語の乱れにはついて行けない。

 もっと可笑しな日本語で、然も馬鹿馬鹿しいのは「~して貰っていいですか」だ。「~して頂けないでしょうか」と云う非常に優しい日本語があるのに、なんと下らない言葉が蔓延していることか!

 最近は写真を撮りに行っていない。と云うより、好みの場所に行けない。オミクロン株が蔓延してからは、ワクチンの三回目の接種を終えても感染を確実に防ぐことは無理のようである。前回は二回目の接種を終え、二週間が過ぎるのを待ってすぐに写真を撮りに行ったが、今回は安心出来ない。私が感染して家族にうつしたのでは「ごめんなさい」では済まされない。近くの、歩いて行ける範囲で、然も人が少ない場所にしか行けない。同じ場所に何度も足を運んでも飽きてしまう。カメラを持った散歩と考えればいいのかもしれない。三回目の接種を終えても、接種前と生活態度を全く変えていない。だが、安心感はある。

 意を決して久しぶりに馬橋稲荷神社に行ってきた。自転車で行けばそれほど遠い距離ではないが、それでは運動にならない。最近の運動不足のせいか、少し歩くと腰が痛くなる。腰に手を当てて反り返り、青空を眺める。この格好で痛みを和らげては歩く。この動作を何回か繰り返してやっと目的の神社に着いた。撮影を始めると、腰の痛みは全く感じなくなった。不思議なものだ。この神社には何回も行っているが、午後からの撮影は初めてであった。従って今まで経験しなかった光の廻り具合に遭遇した。
 帰りは遠廻りをして帰った。シャッターを押す指と、腰の痛みを和らげる作用と連動していたかのように撮影中は全く痛みを感じなかったが、帰途の歩行中に痛みが出てきた。















折々の写真&雑感 367

2022年02月20日 | エッセイ
 冬季オリンピックのアルペン競技を見ていると、私の滑りとは真逆であると感じる。彼らは一秒でも早く滑り降りることに全神経を使っている。スキーに夢中になっていた頃の私は少しでもスピードを抑え、転ばぬようにすることを最優先としていた。両方の板を揃え、少し持ち上げて腰のひねりだけで方向を転換するなどとても出来ることではない。今はなんというか知らぬが、当時はそれをクリスチャニアと云っていた。私の方法は片方の板を回転方向の反対側に少し動かし、その後にもう片方の板をそれに合わせるようなインチキなクリスチャニアであった。

 サラリーマンになりたての頃、同僚とあちこちのスキー場に行ったが、中でも志賀高原には何度も行った。高校生の従弟と一緒に志賀高原の丸池に行った事があった。その日は午後からガスってきて、リフトが止まろうとしていた。従弟は私の制止を振り切って最終のリフトに乗ってしまった。暫く待ったが下りてこない。既にリフトは止まっていたが、事情を話して何とか動かして貰った。頂上に着いた時には雪がかなり降っていた。視界は悪く、非常に不安だったが、とにかく従弟を探さなければならない。二人で滑ったコースを下り始めたが、途中で方向を見失ってしまった。むやみに下ってもまずいと考え、大きな岩があったので、そこに座ってじっくり考えることにした。その時、目の前をパトロールが滑って行った。「ちょっと待ってくれ」と大声で叫んだ。彼は止まってくれた。「丸池に帰りたいんです」と云うと、「ついて来てください」と云い、私が考えていたのと全く違う方向に下り始めた。私のスキー技術などお構いなしに彼は猛スピードで先行した。私は必死について行った。今まで一度も出来なかったクリスチャニアで彼を追った。見失ったら遭難するとの恐怖感があった。火事場の馬鹿力とはよく云ったものだ。

 何とか丸池に着くと、従弟が「心配していたんだ」と私に抱きついてきた。ぶん殴りたくなった。

 2013年1月15日にかなりの雪が降った。雪が降ると、寒がりのくせにカメラを持って写真を撮りに行く。以下は近くの公園の雪景色である。雪国と違い、雪は一日だけ、それも次の日かその次の日には溶けて無くなってしまう。従って雪が止むのを待ってすぐに行くか、降り具合に依っては降っている最中でも撮影に行く。寒がりの私にとっては一大決心である。














折々の写真&雑感 366

2022年02月13日 | エッセイ
 日本の防衛省が以前から教育訓練のためにミャンマー国軍幹部を受け入れていることは知っていた。だが、今回の新聞記事ではクーデター後にも受け入れていると報じられていた。その記事よると、委託の申出を受ければ訓練が出来ると自衛隊法にあり、教育費は無料で幹部には月に14万4千円の給付金が支払われるそうだ。自衛隊はかなりの金額をつぎ込んでミャンマー国民への虐待者を育てているようなものだ。別の日に、クーデターから一年経ったヤンゴンの街並みがテレビに映し出された。主要道路が先進国並みにきれいに整備されていた。私が知っていた当時の道路はどれも穴ぼこだらけで、車に乗せて貰っていても安心して居眠りも出来ない状態だった。ミャンマーへの援助額は日本が最大であるのに、日本政府はミャンマー政府に何も云えずにODAを打ち切っただけである。その弱腰外交は対ミャンマーだけではない。拉致被害者が出ても、手も足も出せないでいる。元小泉首相が北朝鮮に行ったのは素晴らしい事だったが、私には売名のために行ったとしか見えなかった。その後何人か日本に戻されたが、その裏では莫大な金額(数十億円とも数百億円とも噂されている)が支払われている。泥棒に追い銭もいいところだ。拉致が発覚した時に、日本政府は何故軍艦を送って「返せ」と談判しなかったのか?当時なら、日本の軍事力の方が数倍、あるいはそれ以上に勝っていた筈だ。政府に戦争を奨励しているのではない。自国民を救い出すために、そのぐらいの気迫を願っているのだ。

 学生の頃、碌に勉強もしなかったが神田の古本街にはよく行った。私の学校のある渋谷からは山手線で代々木まで行き、そこから中央線に乗換えてお茶の水まで行っていた。友人を誘っても、あまりいい顔をされなかった。古本屋に入っても本を買うことはなかった。雰囲気が好きだったのである。一通り歩き終わると、懐具合の良いときだけ裏通りの喫茶店「ミロンガ」に入ってタンゴを聞いた。そのミロンガが今も健在なのは嬉しい。













 この界隈は未だに昭和が色濃く残っている。訪れる人たちまで、例えお若くても昭和の人のように見える。雰囲気とは不思議なものだ。

 先週の初めに三回目のワクチン接種に行った。一回目と二回目の接種を受けた診療所から一月に電話があり、「予約を取るのは大変のようですから、当方から電話を差し上げました」と云って接種の日を決めて下さった。三回目はモデルナであるがいいかと念を押された。全てをファイザーにした方がいいように思ったが、家内に相談すると「水じゃなければどっちでもいいわ」と云うので診療所の申出通りにモデルナにした。後で知ったことだが、抗体の量がファイザーだけの場合は20倍であるが、三回目をモデルナにする交互接種だと31.7倍となるそうだ。打ち終わってすぐは全く問題はなかったが、夜になって左腕がファイザーの時よりやや痛いように感じた。而し、次の日には痛さがかなり軽減され、やがて痛みはなくなった。

折々の写真&雑感 365

2022年02月06日 | エッセイ
 何年も前の事だったが石像を撮るバスツアーに参加したことがあった。雪に覆われた一月の寒い時期であったので、参加者は少ないと考えて参加したのである。予想通りに、小さめのバスに20人を少し割るほどの人数であった。私は初めての参加であったが、殆どの人が常連らしかった。驚いたことにその半数以上がご婦人だった。行き先は奈良井宿であったので、石仏が密集している場所は承知していたが、雪が深く積もっているときに訪れたのは初めてであった。

 同行の講師は石像に対する造詣が非常に深く、説明を聞いているだけでも楽しかった。私は馬頭観音は全て憤怒の容貌を持っているものだと思っていたが、そうではないらしい。観音菩薩の変化神の一つで憤怒相と柔和相の両面を持っていると説明された。馬頭観音は北海道から九州まで広く祀られており、それだけを目的に全国を撮り歩いているほどのマニアもいるそうだ。渡り鳥を日本国中追いかけて撮影している人たちもそうだが、仕事はどうなっているのかと心配になる。

 今まで、気にもしていなかった馬頭観音を皆で手分けして雪をかき分けながら探した。雪が被さったままのお姿を撮りたいと願ったが、最初に見つけた人が雪を払いのけてしまった。












 やっと探し当てた馬頭観音。私には確信がなかったが、講師や他の人たちが確信をもって「馬頭観音である」と明言していた。柔和相は私にとって初めての対面であった。