TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 346

2021年09月26日 | エッセイ
 学校を出て最初に就職したのが婦人服のメーカーだと以前に書いた。その会社の専務、通称「センムのチューさん」に可愛がられた。専務のお供でお得意先に伺うべく、渋谷の道玄坂を登ろうとしていた。その時チューさんは高名な果物店の前で足を止め、最前列に並んでいた葡萄のアレキサンダー(マスカット)を一房もち上げるとじっと眺めていた。そしてその房から一粒をつまんで食べた。続いて二粒目、三粒目も食べたとき、奥から店員が走り出てきた。彼が何か云おうとした時、「君、これ美味しいね」と云って房を台の上に置き、私をうながして悠然と歩き始めた。店員は唖然として何も云えなかった。チューさんを呆然と見ているだけだった。あの一房は売り物にならないだろう。当時でもかなりの値段だった。

 正月に、営業部の有志で専務のお宅に年始に伺った。チューさんは大喜びで我々を招き入れた。応接間の床一面にウィスキーやブランディ―、それと見たこともない洋酒が大量に並べられていた。「よく来てくれた。遠慮せずに腹いっぱい飲んでくれ」と云われた。酒を、ましてや度の強いウィスキーやブランディを腹いっぱい飲むなどの発想はなかった。「君たちに飲んでもらう為に、一年かけて集めたんだ」と上機嫌で云った。私の就職したばかりの頃は、床に並べられていた洋酒はどれも非常に高価で、一本買うだけで一か月分の給料が無くなるほどであった。

 ゴールデン・ウィークは一日も休まずに働いた。我社の売り上げの大部分はデパートに依るものであった。百貨店が休まない限り、我々営業部員とそれをサポートする社員は休めない。その代り、ゴールデン・ウィークが終ると楽しい社員旅行があった。昨年、入社したての時の社員旅行が思い出され、ゴールデン・ウィーク中の朝早くから夜遅くまでの勤務は苦にならなかった。

 今年の社員旅行は熱海の少し手前の来宮だった。熱海に泊る費用と同じ額を来宮の旅館に払うなら、かなり豪華な食事と贅沢な部屋に泊まれた。この案を出したのは一年先輩の営業部員だった。旅行は大成功であった。彼は学生の頃からこのメーカーにアルバイトに来ていたと聞いている。

 宴会の後でチューさんは豊満な体格の女子社員に抱きつき、容易に放さなかった。抱きつかれた彼女もそれほど嫌な顔をしていなかったので、周囲は何も云わなかった。今ならセクハラで訴えられていたであろう。少々のことでは問題にされなかった当時が懐かしい。

折々の写真&雑感 345

2021年09月19日 | エッセイ
 叔母の一人が逗子に住んでいた。その叔母に「是非行ってみなさい」と勧められたのが報国寺、通称竹寺であった。20年以上も前の事であった。竹の庭に入った途端にその多さに圧倒され、夢中になって竹を撮りまくった。以下の二枚の写真だが、どちらがいいのか、自分では未だに判断がつかない。





 シャガの咲くころに円覚寺に行くべく、北鎌倉で降りると、昔の悪ガキだったころのことを思い出した。定期で乗り、崩れかかった柵の間から外に出て線路の反対側に行き、逗子までの切符を10円で買った。小遣が充分にあるときは、生意気に東京駅から二等車、現在で云うグリーン車に乗って逗子まで行った。
 
 円覚寺でプロの写真家と知り合った。私より10才は上のようであったが、古くからの友人のように接して下さった。彼に連れられ、化粧坂を登り、銭洗弁天を抜けて佐助稲荷に行った。そして、「この位置から撮るといい写真になりますよ」と教えて頂いて撮ったのが下の写真である。



 次に掲載したのはそれから3日後に、同じコースを一人で辿り、佐助稲荷に行った。その時の写真である。私は気に入った被写体があると、同じものを何回も納得がいくまで撮る。時間により、季節によって同じ被写体が全く違う顔を見せてくれる。だからと云ってプロ並みの写真が撮れるわけではない。だから飽きずに写真を撮り続けられている。



 次の写真は鶴岡八幡宮の下の道をぶらぶら歩いていた時にお坊さんの行進に偶然出会った時のものである。運がよかった。




お願い

 前回まではブログの掲載日を不定期と致しておりましたが、多くの読者の方々から元のように定期に戻してくれとのご要望を頂きました。また、私も定まったルーティンの方が忘れることがありませんので、掲載日を以前のように毎週日曜日の午前9時に戻したいと存じます。これからも宜しくご購読下さるようお願い申し上げます。







折々の写真&雑感 344

2021年09月16日 | エッセイ
 コロナ騒ぎになる前は、高円寺の阿波踊りをよく撮りに行った。その年は、お嬢さんたちが踊り終えたところを待って襟首を撮らして頂いた。後刻、お嬢さんたちに写真を差し上げようとしたが果たせなかった。所属の連とお名前を伺っておくべきだったと悔やんだ。








 
 上の写真は「座・高円寺」の舞台写真である。サラリーマンになったばかりの頃、三越劇場で日舞の「各派女流名人会」をプロとして撮っていた時を思い出した。現在のようにデジカメではなく、フィルムの時代であったので撮るのに大変な苦労があった。三脚、ストロボは禁じられていた。所作の型が決まると踊り手は息を抜いてしまう。緊迫した表情を撮るには型の決まる何分の一秒か前に写し終える必要があった。それで三味線の音に合わせてシャッターを切っていた。その辺の呼吸を知っていたので結構な注文を頂き、たった一日でサラリーマンの月給以上のものが稼げた。

折々の写真&雑感 343

2021年09月09日 | エッセイ
 その日は、もうこれ以上撮るのは嫌だと思えるほどに沢山撮った。一休みしようとしたのは上野動物園西園のキリンの檻の辺りだった。ベンチに座ろうとした時、表情の非常に豊かな男の子を見かけた。思わず一枚撮ってしまった。親御さんにお断りしないといけないと、周囲を見廻したがそれらしい人はいなかった。モデルに魅せられ随分と撮った。彼は私に気が付くと、両手を広げて私の方に駆け出してきた。100-400ミリのレンズを付けていたのであまり近寄られると撮れない。私は後ずさりしたが、その子は私に飛びついてきた。その時、トイレの方から母親が現れた。「すみません、勝手に撮ってしまいました」と謝ると、「いぇ、いいんですよ、この子だって動物ですから」と云われた。おおらかな母親に助けられた。

 後日、メールでその時の写真を送り、ブログへの掲載をお願いした。丁寧な礼のメールとともに掲載の快諾も頂いた。


 この、何かをじっと見る顔に魅せられたのだ。何を見ていたのか、その先を見ればよかったが、その余裕はなかった。表情がどんどん変わっていったのだ。


 母親が戻ってきて、一人でどのように過ごしたか報告しているようだった。


 何かを見て、又表情が変わった。非常に深刻なものを見たようにも思えたが、見たものを真剣に分析しているようにも見えた。上の写真のような無邪気な男の子とは全く違う子の様に見えた。このような子と暮らせる母親はさぞ楽しいであろう。

折々の写真&雑感 342

2021年09月03日 | エッセイ
 此処何日かは涼しい日が続いて助かっている。だが、夏の盛りに「36度以上になると命にかかわることが心配されます」と天気予報のお嬢さんが云っているのを聞いた。もしそうであるなら、私はとうの昔に死んでしまっている事になる。そればかりか亜熱帯や熱帯地方には人間はいないことになる。

 「熱中症を避けるために充分な水分補給を行って下さい」とも云っていた。私が嘗て通っていたマダガスカルの森の中や、特に暑く乾燥した海岸地帯ではそれほど簡単に飲み水は得られなかった。森の中では、運がよければ熟れた果物が見つけられる。だが、それも夏の間だけである。

 私がマダガスカルに出張していたのは、雨が降らない冬の間が殆どであった。毎回無事に生還出来たのは、現地の湿度が非常に低かったことに依るのではないかと思える。40度を超し、ときには45度を超しても日本で30度そこそこの日より汗をかかない。体内から排出される水分が極端に少なかったので、心配するほど水分を補給しなくても良かったのかもしれない。だが、森の中で倒れるのではないかと心配するほどに喉が渇いたことがあった。立っているのも辛かった。私の様子を見て、親切な森の住人があちこち探してココナッツの実を手に入れて来てくれた。マダガスカルではほぼ年間を通して実がなっている。蛮刀で飲み口に穴をあけてくれた。礼を云うのも忘れて飲んだ。冷たかった。なんて旨いのだと感じた。息もつかずに半分ほど飲んでから「ミソートラ、ミソートラ・ベサカ(ありがとう、本当にありがとう)」とやっと礼を云えた。すると、彼は「ツィア、ミッシィ・ミソートラ(どうってこと、ありませんや)」と云ってくれた。今でも感謝しきれないと思っている。

 森の中でのどが渇くと、一本のペットボトルの水に5万円、いや10万円を払っても惜しくないと感じるほどに苦しくなる。私はそのようにだらしない仕儀になるが、マダガスカル人は平気である。

 気温が45度程になると、鼻ではなく、口で空気を吸い込むと喉が焼けるように感じる。湿気がないので熱風を吸い込んだようになるのかもしれない。何年か前に、40度を越したと報じられた日があった。試しに口で息を吸い込んでみたが、熱風を吸い込んだようには感じなかった。だが、その日の東京はマダガスカルの45度度よりはずっと暑く、息苦しく感じていた。