TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 364

2022年01月30日 | エッセイ
 ラオスには多くのベトナム料理店がある。首都であるヴィエンチャンをはじめ、地方にも小さいが非常に旨いベトナム料理を食べさせる店がいくつもある。今でも記憶に残っているのは肉類を榊の葉のようなもので巻いて食べる料理だ。最初、こんな葉っぱを食べるなんて考えられなかったが、ラオス人に「美味しいから食べてみろ」と勧められて少しだけ食べた。青臭さはなく、榊の葉を食べているような感じは全くなかった。葉自体に味があるようにさえ感じた。次に美味しいと感じたのはモチ米であった。炊いたモチ米を右手で寿司のように握って食べるのだ。私は左手で握り、右手でおかずを取って食べたかったが、左手は不浄の手と云われているので仕方なく右手で握った。

 友人に六本木にベトナム料理店があるぞと云われ、一緒に行った事があった。ラオスで食べたベトナム料理とは全く違っていた。それに榊の葉のようなもので巻いて食べる料理はなかった。ラオスで食べたベトナム料理の方が六本木のそれより数段美味しかった。

 ラオスには二度行っているが商売が旨くいかず、暑かった記憶しか残っていない。それに引き換え、最近の日本の寒さはこたえる。以下の写真は何年か前の日本民家園の写真である。雪の降った一月の写真だけを集めてみた。このところのオミクロン株の増加では写真も撮りに行けない。以前の写真でご容赦願いたい。












 囲炉裏で燃やした薪の煙がゆっくりゆっくり天井に向かっていく。見ているだけで心が和んだ。

折々の写真&雑感 363

2022年01月23日 | エッセイ
 何ヶ月か前のことだが、ミャンマーでスー・チー女史の刑が確定したとの新聞の記事を読んだ。当初は4年だった禁固刑が2年に減刑された。理由は知らぬ。だが、1月11日の新聞には無線機の不正輸入や違法使用で4年の禁錮刑が宣告され、現在の禁固刑と合わせて6年となったと報じられた。その他にもコロナの規制違反や汚職などでも訴追されている。軍は、何が何でもスー・チー女史を閉じ込めておきたいのであろう。

 私が初めてミャンマーに行った時、彼女は自宅に幽閉されていた。大きな屋敷の前には歩哨所が何ヵ所も設けられ、自動小銃を構えた兵士が通行人を睨みつけていた。中の人間を逃がさないためではなく、外から入る人間を警戒していたのだ。

 新聞や雑誌、テレビではアゥン・サン・スー・チーと称しているが、彼女の本名はスー・チーである。ビルマ(ミャンマー)には苗字がない。アゥン・サン将軍の娘のスー・チーが正しい。ミャンマーの国民はスー・チー女史を知らなくとも、英国から独立を勝ち取った英雄であるアゥン・サン将軍を知らない人はいない。ラングーン(現ヤンゴン)には将軍を讃えるために「オン・サン通り」(ビルマ人はアゥン・サンではなく、オン・サンと発音している)がある。知名度の低かった彼女は父親の名前を利用してアゥン・サン・スー・チーと国内外に名乗ったのであろう。

 私が感じたところでは、当時のビルマは完全に軍事政権で統治されており、何をするにも軍の許可が必要であった。そのような時に軍に逆らって民主化を唱えたのがスー・チー女史であった。国外での評判は国民から圧倒的な人気で支えられているとのニュースが多かったが、ビルマ国内ではそれほどでもなかった。仲のいい夫婦でも、軍事政権派とスー・チー女史の率いるNLD(国民民主連盟)派に分かれていた。

 今でも続いている民衆と軍との争いは、軍が一旦失った利権を取り戻すためにクーデターを起こしたことに国民が怒ったのではないか。スー・チー女史が更迭されたことを怒ったのではなく、軍が昔のように武力を用いて強く出たことに依る怒りのように私は考える。スー・チー女史は僧侶たちが蛮刀を振るってロヒンギャ族に対して残虐行為を行っていても知らん顔をしていた。それを国民は知っている。

 ミャンマーと違い日本は平和である。だが、方向を間違えるととんでもないことになる。このまま平穏無事を願う。以下は、何も煩うことのない近くの公園のカモどもである。寒い上に、爆発的にオミクロン株が増え始めては怖くて遠くに写真を撮りに行けない。久しぶりに、本当に久しぶりに100-400mmの望遠レンズを使った。動きのあるカモを撮りたかったが、私の希望通りには動いてくれなかった。飛翔の瞬間を連写で撮れば楽にいい写真が撮れたかもしれないが、フィルム時代の写真にこだわり続けているせいか、カワセミを撮るとき以外に連写で写真を撮ることに抵抗を感じる。












折々の写真&雑感 362

2022年01月16日 | エッセイ
 先週に続いて雪の写真である。雪国の方々にとって雪は珍しいものではなく、厄介なものであるとの認識はある。私の子供の頃は、雪が膝上まで積もることは珍しくなかったが、近頃の雪はスニーカーでも歩けるほどにしか積もらない。たまに積っても午後からは溶けてしまう。全く雪が降らない年の方が多い。雪国にお住いの方には申し訳ないが、私にとって雪は憧れでもある。

 以前に所属していた写真クラブの撮影会の幹事の順番が廻って来た。迷いなく私の好きな鎌倉に決めた。その日は運良く、本当に運が良く雪だった。而し、円覚寺で撮影を始める頃にはいつ止んでもおかしくないぐらいに小降りになってしまった。そうなったら溶けるのも早いと考え。大急ぎで撮った。




 円覚寺を撮り終え、皆を急かせて浄智寺に向かった。鎌倉の風情のある寺々の雪景色などめったに撮れない。


 此の浄智寺の山門は新しいものに建て替え、今はない。コンクリートで建てられたものではないので、いつかは新しいものにしなければならないが、非常に残念な気がする。


 庫裡も雪で覆われていた。だが灯りが点けられ、人の温かみを感じた。浄智寺の住職の奥さんは非常な美人であるが、それを鼻にかけるような人ではなく、我々にも気さくに接してくれる。住職も温厚な、徳の高い人と見受けられる。


 寿福寺に着くころには雪溶けが始まっていた。鎌倉と北鎌倉にある殆どの寺は、拝観料さえ払えば自由に入れるが、此の寿福寺だけは入れない。年に何度か拝観が許される日があるらしいが、私は一度も中に入ったことはない。


 鶴岡八幡宮の舞殿から八幡宮へ昇る石段を撮ったものであるが、既にほんの少ししか雪が残っていなかった。寿福寺から急いで歩いてきたのだが、遅かった。撮り始めたのが午前10時ごろ、此の舞殿に到着したのは午後1時を少し過ぎていた。春の淡雪とはよく聞くが、その日は一月の下旬だった。

折々の写真&雑感 361

2022年01月09日 | エッセイ
 一月のかなり雪の降った日に、青梅街道に面している井草八幡宮にお参りに行った。まだ車を使っていた頃のことである。


 私の前を仲の良さそうな親子連れが歩いていた。邪魔をしてはいけないと考え、追い抜かずにゆっくりと歩いた。寒かった。


 お参りを済ませてからの善福寺公園。土曜日であるのに、然も朝の10時を過ぎているのに公園に人を見かけなかった。それほどに寒い日であった。


 池にはあれほど多くいる水鳥の姿は見えず、シラサギと何羽かのカモメだけが寒そうにしているのを見ただけであった。




 下の池でやっと一羽のカモが泳いでいるのを見た。他の水鳥たちは巣の中で雪が溶けるのを待っているのだろうか。

 今年こそ写真仲間と自由に写真を撮りに行けると期待していたが、このところの感染者数の増え具合を見ていると、希望通りにはいかないかもしれない。而し、欧米のような増え方でないことは感謝すべきであろう。読者の方々も充分に用心なさって頂きたい。









折々の写真&雑感 360

2022年01月02日 | エッセイ
明けましておめでとうございます。昨年同様、今年もご購読頂けることを願っております。

 寅年であるため、掲載写真が虎とは安易な考えであることは承知している。だが、上野動物園の虎は私にとって非常に楽しい被写体である。

 上野動物園には複数の虎がいて、その日の体調によって勤務が割り振られると聞いている。コロナ禍の中で上野動物園に入るには、年間パスを持っていても事前の予約が必要である。毎週土曜日の午前9時から予約の受付が始まるが、最近では午前中の予約はあっという間に埋まってしまう。従って、2020年の10月の終りに行ったきり、上野動物園には行っていない。それ迄は比較的若いオス一頭とメス二頭であったが、2020年の11月末に他からもう一頭のメスが来ることになった。私はそのミンピと云う虎に会っていない。自由に行けるようになるのはいつの事か。その日が待たれる。




 上二枚は比較的性格の穏やかなメスのインダである。顔を見ても私には見分けがつかないが、顔の縞模様によって区別をつけるのだと、飼育員氏に教わった。




 ネコ科の動物にしては水を嫌がらず、温泉に浸かっているようにしているのは三頭の中では一番の新入りで、若いオスのブランである。




 私を見つけると駆け寄ってきてはガラス越しに私を襲う。飼育員氏の話では私を嫌っているのではなく、私と遊びたがっているのだとのことである。メスのマニスだが、どうして私が好かれたのか、どうして私を忘れないのかは不明である。また、相手を臭いではなく、顔で認識するのは猿だけではないことを実感している。