その当時の私は「花筏」の何たるかを知らなかった。土門拳氏が大型カメラで撮った古刹の山門の扉の名作の影響を受け、35ミリカメラで古刹の山門ばかりを撮り歩いていた時期であった。その合間には古民家や動物、夕暮れ時の街並みの写真も撮っていたが、「花」とそれに関連する被写体には全く目を向けていなかった。その当時は自宅に暗室を持っており、全てモノクロの時代であった。たまにカラーフィルムを買い、街のDPE店にお願いし、サービスサイズだけではなく大きく伸ばすこともあった。而し、色の質は悪い上に料金は非常に高かった。サラリーマンだった私には大変な負担であった。その点白黒写真の場合は大巻きのフィルムを買い、暗室の赤橙を消して手探りで何本ものパトロネ(フィルムをカメラに装着するための缶)に詰めた。それを持って撮影に行けば、フィルム代を気にせず大量に写真が撮れた。そのあとは自分で現像と焼き付けや引延ばしをしていたので非常に安くついた。色のない写真では花の美しさを表現し辛かったため、花には目が向けられなかったのだと思う。
井の頭公園の池に映る橋の影の撮影を終えて帰ろうとしているときに、「ハナイカダは何処ですか?」と60代半ばに見えるご婦人に聞かれた。「さぁ、知りません」と云うと、信じられないと云う顔をして、重そうな三脚を持ち直して急いで走り去った。私は、それが何処にあるかより、それが何かを知らなかったのである。
ハナイカダ、花筏が何であるかを知ったのはそれから一年後の桜が散る時期になってからである。教えて下さったのは同じ写真クラブの先輩であった。散った桜の花びらが水面に浮かび、それらが連なって流れていく様が筏のように連なっていることから生まれた言葉であろう。その流れている様子を写すには極端に遅いシャッター速度で花びらが流れているように撮るのである。その為にはPLフィルターの他に何枚もの光をセーブするNDフィルターを重ねて極力露光量を抑えての撮影である。従ってしっかりした三脚が必需品である。
花筏の撮影を実際に教えて頂いたのは新宿御苑であった。撮影に適した場所が数か所あり、その場所に適したカメラの向きまで教えて下さった。
私がその写真クラブに入ったのはデジタルカメラ全盛になってから何年も過ぎてからである。それまでは、パソコンが「暗室」になることに満足し、自己流であらゆるジャンルのカラー写真を撮りまくっていた。写真クラブに入ってからは、その先輩に花筏だけではなくマクロレンズの楽しさも教えて頂いた。
以下に掲載する花筏の写真は先輩に教った新宿御苑の花筏の撮影に適した場所と、自宅近くの公園の池で撮った写真である。これらは2016年4月18日付の「折々の写真&雑感」の#57に掲載したものと同じ写真である。今年は桜の開花が異常であるためか「花筏」に適する写真が撮れなかった。
井の頭公園の池に映る橋の影の撮影を終えて帰ろうとしているときに、「ハナイカダは何処ですか?」と60代半ばに見えるご婦人に聞かれた。「さぁ、知りません」と云うと、信じられないと云う顔をして、重そうな三脚を持ち直して急いで走り去った。私は、それが何処にあるかより、それが何かを知らなかったのである。
ハナイカダ、花筏が何であるかを知ったのはそれから一年後の桜が散る時期になってからである。教えて下さったのは同じ写真クラブの先輩であった。散った桜の花びらが水面に浮かび、それらが連なって流れていく様が筏のように連なっていることから生まれた言葉であろう。その流れている様子を写すには極端に遅いシャッター速度で花びらが流れているように撮るのである。その為にはPLフィルターの他に何枚もの光をセーブするNDフィルターを重ねて極力露光量を抑えての撮影である。従ってしっかりした三脚が必需品である。
花筏の撮影を実際に教えて頂いたのは新宿御苑であった。撮影に適した場所が数か所あり、その場所に適したカメラの向きまで教えて下さった。
私がその写真クラブに入ったのはデジタルカメラ全盛になってから何年も過ぎてからである。それまでは、パソコンが「暗室」になることに満足し、自己流であらゆるジャンルのカラー写真を撮りまくっていた。写真クラブに入ってからは、その先輩に花筏だけではなくマクロレンズの楽しさも教えて頂いた。
以下に掲載する花筏の写真は先輩に教った新宿御苑の花筏の撮影に適した場所と、自宅近くの公園の池で撮った写真である。これらは2016年4月18日付の「折々の写真&雑感」の#57に掲載したものと同じ写真である。今年は桜の開花が異常であるためか「花筏」に適する写真が撮れなかった。