クアラランプールからの便が2時間も遅れたため、ホテルに仮眠を取りに行くには中途半端な時間になってしまった。エアー・モーリシャスが用意してくれたファーストクラスのラウンジで仮眠をとるしかなかった。
コーヒーテーブルを挟んで、二つの大きなソファーが向き合って並んでいた。中には四つのソファが向き合っているコーナーもあった。乗客は各自に適当なソファーを決めて仮眠の準備を始めていた。ソファーの上には毛布が一枚ずつ置かれていた。私はソファーが二つ向き合っている一角を占有した。毛布の一枚をかけ、使わないソファーの上に置いてあった毛布を枕にするべく丸めていると、ラウンジの入り口で戸惑っている若い黒人を見かけた。私のような一人客は向かい側のソファーを使っていない。だが、二つとも使われていない場所はなかった。全員が白人であり、東洋人は私一人しか居なかった。アフリカ人は一人もいなかった。それが彼の躊躇している理由だった。「一つ使ってないから、此処へ来いよ」と声をかけた。彼は遠慮したが、私が再度声をかけると嬉しそうにやって来た。大きくはないが、重そうな荷物を肩にかけていた。丸めた毛布をそのまま放り投げてやった。彼は何度も何度も礼を云いながらソファーに腰を掛けた。彼はこれからケニアのナイロビに帰るところだと云った。シンガポールからパソコンの材料をしこたま仕入れ、それをナイロビで高値で売ると云っていた。結構な稼ぎになるようだ。
若いケニア人は仮眠の場所が確保出来た安堵感からか、やたらと口が軽くなった。「貴方は日本の方ですよね、中国人ではありませんね」と確かめてから次を続けた。「中国人は何でも食べてしまいます。我々がゴミとして捨ててしまうような動物の腸、猿の脳みそ、虫。ゴキブリまで食べてしまうそうですね」。彼は中国人を非常に嫌っているように感じた。だが、同じ東洋人として私は黙っていられなかった。それに腹も立った。「あぁ、確かにお前さんの云う通りだ。中国人はなんでも食っちまうよ。だけど、人間までは食わないよ」と云うと、彼は唖然とした顔をした。そして一泊置くと「あれはセレモニー(儀式)です」とむきになって云った。「セレモニーだろうとなんだろうと、食ったことは食ったんだろ。お前さんも食ったか?」と聞いた。「それはずっと昔のことです。ずっと昔、、、」。そこまで云うと彼は、「明日のために、もう寝かせて下さい」と毛布をかぶってしまった。ちょっと云いすぎたかなと反省したが、云っちまったんだから仕方ないさと、私も寝ることにした。
それから一か月ほどして、あの若いケニア人とまたモーリシャスで会った。「おい、食ったか?」と聞くと、ニコニコしながら「残念ですが、食うチャンスがありませんでした」としれっとした顔をして云った。たくましい奴だった。
モーリシャスから出る飛行機は全てナイロビ行の表示が出ており、アンタナナリブなど一言も書いていない。アンタナナリブ行の搭乗を促すアナウンスがあったが、初めての時は何処から乗ればいいのかと迷った。前に並んでいた乗客に聞くと、搭乗口は此処でいいと云った。ナイロビ行きじゃないかと云うと、当然のように「そうだ、ナイロビ行だよ。アンタナナリブはその途中で寄るのさ」と答えた。広い空港じゃないからいいようなものだが、成田のような空港でこのような表示をされたら確実に乗り損なってしまうだろう。
以下に続く写真は、これから何度も行くことになるトマシナへの道中の写真である。

トマシナ(旧タマタベ)に行く途中。此処で当座の食料と飲み物を購入した。

街道沿いの店は夫々に賑わいを見せていた。

ドライブイン。此処へは寄らなかった。運転手君は寄りたいそぶりを見せたが、C社長は口許をしかめた。衛生状態が劣悪のようだった。

車道を堂々と歩くセブ牛(コブ牛)。ビルマ、インドネシア、タイ、そしてこのマダガスカルでも牛肉が一番安い。牛、豚、鶏肉の順に高くなっていく。日本と逆である。一匹を殺せば、一番肉がとれるのは牛である。だから安いのだそうだ。
コルベール・ホテルの近くに「プリゾニック」と云うフランス人が経営する高級なスーパーマーケットがある。客はアンタナナリブに住む外国人か裕福なマダガスカル人しかいない。私はそこで半袖シャツ、フランス製のチューブ入りの歯磨きなど必要なものは何でもここで買っていた。私にとっては驚くほどの安値であった。特に驚いたのは牛肉が10キロで300円(脂身の多い所)から600円(脂身の殆どない所、ヒレ肉は此れの一割増しぐらいの価格)ほどであった。100グラムあたり3円から6円と云うことになる。このプリゾニックではきちんとガラス張りの冷蔵庫に入って売られていたが、外の店では紐で結わえて窓から吊るして売っていた。恐らくプリゾニックの何分の一かの値段であろう。
青山の紀伊国屋の近くでイタリアンレストランをやっていた友人にプリゾニックで売っていた粒の胡椒をお土産にしたことが何度もあった。500グラム入りの袋で100円か200円だったと記憶している。その他に720ml入りのラム酒が500円弱だった。世界で一番いいラム酒を作っていたのがマダガスカルだったと聞いているが、1991年の段階でもそうであったかどうかは不明である。

10時の小休止に立ち寄った露天の市場。ドリアンと一緒に蛇の「姿焼き」が売られていた。これをどうやって食べるのかC社長に聞いてみたが、「家内なら知っていると思いますが、メリナは蛇を食べません」と云われた。而し、非常に興味のあることだった。

果物の王様と云われるドリアンを初めて食べたのはタイのバンコクだった。ねっとりとして濃いクリームのような、いやチーズを溶かしたような食感だった。私にドリアンを勧めたタイの友人は、ドリアンを平気で、しかも旨そうに食べる日本人に呆れたような顔をした。私が吐き出すか、匂いで食べるのをよすだろうと想像していたようだった。確かに匂いはきつい。飛行機の中にドリアンを持ち込むのを禁止されているほどだ。マダガスカルのドリアンは、バンコクで食べた物より濃密だった。一度、勇気を出して食べることをお勧めしたい。きっと病み付きになるだろう。

どこにでもいる悪ガキども。実にかわいらしかった。
タマタベがトマシナに、タナナリブがアンタナナリブに、また北の都のディエゴスアレスがアンチラナナに地名が変った。ビルマのように明確な理由があって変えたのだろうか。聞いてみたが、全員が肩をすくめて「とにかく変ったんだ」と云うばかりだった。当時の私はそれ以上気にとめなかった。どなたかその辺りの事情に通じている方はお教え頂きたい。
2013年はこれで終りますが、これ迄のご購読を感謝致します。2014年の1月6日(月)に再びお目にかかれればこの上ない光栄です。
どうか、良い年をお迎え下さい。
コーヒーテーブルを挟んで、二つの大きなソファーが向き合って並んでいた。中には四つのソファが向き合っているコーナーもあった。乗客は各自に適当なソファーを決めて仮眠の準備を始めていた。ソファーの上には毛布が一枚ずつ置かれていた。私はソファーが二つ向き合っている一角を占有した。毛布の一枚をかけ、使わないソファーの上に置いてあった毛布を枕にするべく丸めていると、ラウンジの入り口で戸惑っている若い黒人を見かけた。私のような一人客は向かい側のソファーを使っていない。だが、二つとも使われていない場所はなかった。全員が白人であり、東洋人は私一人しか居なかった。アフリカ人は一人もいなかった。それが彼の躊躇している理由だった。「一つ使ってないから、此処へ来いよ」と声をかけた。彼は遠慮したが、私が再度声をかけると嬉しそうにやって来た。大きくはないが、重そうな荷物を肩にかけていた。丸めた毛布をそのまま放り投げてやった。彼は何度も何度も礼を云いながらソファーに腰を掛けた。彼はこれからケニアのナイロビに帰るところだと云った。シンガポールからパソコンの材料をしこたま仕入れ、それをナイロビで高値で売ると云っていた。結構な稼ぎになるようだ。
若いケニア人は仮眠の場所が確保出来た安堵感からか、やたらと口が軽くなった。「貴方は日本の方ですよね、中国人ではありませんね」と確かめてから次を続けた。「中国人は何でも食べてしまいます。我々がゴミとして捨ててしまうような動物の腸、猿の脳みそ、虫。ゴキブリまで食べてしまうそうですね」。彼は中国人を非常に嫌っているように感じた。だが、同じ東洋人として私は黙っていられなかった。それに腹も立った。「あぁ、確かにお前さんの云う通りだ。中国人はなんでも食っちまうよ。だけど、人間までは食わないよ」と云うと、彼は唖然とした顔をした。そして一泊置くと「あれはセレモニー(儀式)です」とむきになって云った。「セレモニーだろうとなんだろうと、食ったことは食ったんだろ。お前さんも食ったか?」と聞いた。「それはずっと昔のことです。ずっと昔、、、」。そこまで云うと彼は、「明日のために、もう寝かせて下さい」と毛布をかぶってしまった。ちょっと云いすぎたかなと反省したが、云っちまったんだから仕方ないさと、私も寝ることにした。
それから一か月ほどして、あの若いケニア人とまたモーリシャスで会った。「おい、食ったか?」と聞くと、ニコニコしながら「残念ですが、食うチャンスがありませんでした」としれっとした顔をして云った。たくましい奴だった。
モーリシャスから出る飛行機は全てナイロビ行の表示が出ており、アンタナナリブなど一言も書いていない。アンタナナリブ行の搭乗を促すアナウンスがあったが、初めての時は何処から乗ればいいのかと迷った。前に並んでいた乗客に聞くと、搭乗口は此処でいいと云った。ナイロビ行きじゃないかと云うと、当然のように「そうだ、ナイロビ行だよ。アンタナナリブはその途中で寄るのさ」と答えた。広い空港じゃないからいいようなものだが、成田のような空港でこのような表示をされたら確実に乗り損なってしまうだろう。
以下に続く写真は、これから何度も行くことになるトマシナへの道中の写真である。

トマシナ(旧タマタベ)に行く途中。此処で当座の食料と飲み物を購入した。

街道沿いの店は夫々に賑わいを見せていた。

ドライブイン。此処へは寄らなかった。運転手君は寄りたいそぶりを見せたが、C社長は口許をしかめた。衛生状態が劣悪のようだった。

車道を堂々と歩くセブ牛(コブ牛)。ビルマ、インドネシア、タイ、そしてこのマダガスカルでも牛肉が一番安い。牛、豚、鶏肉の順に高くなっていく。日本と逆である。一匹を殺せば、一番肉がとれるのは牛である。だから安いのだそうだ。
コルベール・ホテルの近くに「プリゾニック」と云うフランス人が経営する高級なスーパーマーケットがある。客はアンタナナリブに住む外国人か裕福なマダガスカル人しかいない。私はそこで半袖シャツ、フランス製のチューブ入りの歯磨きなど必要なものは何でもここで買っていた。私にとっては驚くほどの安値であった。特に驚いたのは牛肉が10キロで300円(脂身の多い所)から600円(脂身の殆どない所、ヒレ肉は此れの一割増しぐらいの価格)ほどであった。100グラムあたり3円から6円と云うことになる。このプリゾニックではきちんとガラス張りの冷蔵庫に入って売られていたが、外の店では紐で結わえて窓から吊るして売っていた。恐らくプリゾニックの何分の一かの値段であろう。
青山の紀伊国屋の近くでイタリアンレストランをやっていた友人にプリゾニックで売っていた粒の胡椒をお土産にしたことが何度もあった。500グラム入りの袋で100円か200円だったと記憶している。その他に720ml入りのラム酒が500円弱だった。世界で一番いいラム酒を作っていたのがマダガスカルだったと聞いているが、1991年の段階でもそうであったかどうかは不明である。

10時の小休止に立ち寄った露天の市場。ドリアンと一緒に蛇の「姿焼き」が売られていた。これをどうやって食べるのかC社長に聞いてみたが、「家内なら知っていると思いますが、メリナは蛇を食べません」と云われた。而し、非常に興味のあることだった。

果物の王様と云われるドリアンを初めて食べたのはタイのバンコクだった。ねっとりとして濃いクリームのような、いやチーズを溶かしたような食感だった。私にドリアンを勧めたタイの友人は、ドリアンを平気で、しかも旨そうに食べる日本人に呆れたような顔をした。私が吐き出すか、匂いで食べるのをよすだろうと想像していたようだった。確かに匂いはきつい。飛行機の中にドリアンを持ち込むのを禁止されているほどだ。マダガスカルのドリアンは、バンコクで食べた物より濃密だった。一度、勇気を出して食べることをお勧めしたい。きっと病み付きになるだろう。

どこにでもいる悪ガキども。実にかわいらしかった。
タマタベがトマシナに、タナナリブがアンタナナリブに、また北の都のディエゴスアレスがアンチラナナに地名が変った。ビルマのように明確な理由があって変えたのだろうか。聞いてみたが、全員が肩をすくめて「とにかく変ったんだ」と云うばかりだった。当時の私はそれ以上気にとめなかった。どなたかその辺りの事情に通じている方はお教え頂きたい。
2013年はこれで終りますが、これ迄のご購読を感謝致します。2014年の1月6日(月)に再びお目にかかれればこの上ない光栄です。
どうか、良い年をお迎え下さい。