TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 211

2019年03月31日 | エッセイ
 テレビニュースで国会議員の「残業手当」について報じられた事があった。同時に国会開催中に居眠りをしている多くの議員も映し出されていた。この報道を見るまで国会議員に破格の残業手当がつくことを知らなかった。民間企業では管理職や役員に残業手当を支給している会社はないと思う。国会議員は管理職どころか、企業では役員に相当するのではないか。残業手当がつくなら、遅刻したり、理由もなく国会を休んだり、居眠りしたりしたら、その分を歳費から引いて貰いたい。それを管理する新たな人員が必要なら、我々国民は喜んでその人件費を負担するであろう。

 失礼とは思うが、国会議員の中で真に国のために尽くそうと考えて議員になった人はどの程度居られるのか?手厚い歳費と諸手当、それに特権と高額な年金を与えられている。我々有権者に腰を低く応対するのは選挙期間中だけで、当選してしまえば「俺は偉いんだぞ」と庶民を見下す態度の人だらけである。

 区会議員の多くは地域に密着する仕事をしていると胸を張る。だが、実状は区から歳費と手当を貰いながら次の選挙の為の運動をしているとしか考えられない。地元の有力者の主催する何かの会合に出席し、小学校の運動会に出ては顔を売る。また、夜間には有権者の自宅に訪問する。「夜遅くまで大変ですね」と彼らの労をねぎらう人もいるが、それは筋が違うだろう。彼らの仕事は「区」のために尽くす事であって、「個人の御用聞き」をすることではない。この区別がつかぬ議員がやたらと多い。

 区会議員のこの様な行動は、選挙が終るとすぐに始め、次の選挙が始まるまで続くと聞く。選挙から次の選挙まで選挙運動に徹している。都会議員や国会議員も大同小異のように感じる。「俺は政治に命をかける」と云う人ほど信用出来ない。日本中の全ての議員がこのような人たちばかりではないことを信じたい。

 ある海上自衛隊員に「国が命じるなら、我々は命を捨てて国民のために尽くす覚悟が出来ています」と真剣な顔で云われた事があった。胸が熱くなった。居眠りしている国会議員とこの若い自衛隊員の差はいったい何だろうか。

 次の日は暖かくなるとの天気予報を聞き、上野動物園に行く事にした。着いてみると、入り口付近は凄い人だった。「当日は入園無料」との看板があった。そして気が付いた、壁に貼った私のカレンダーに赤のマーカーでX点が付いていたことを。此の日だけは避けることを喚起するX点だったのだ。物忘れがここまで来たら諦めるしかないと、人の渦の中の動物園に入った。


キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/180秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 普段はせせこましく動き廻っているヘビクイワシだが、此の日はのんびりと寝そべっていた。しばらく観察を続けていると、突然起き上がって羽を広げた。こんなことは初めてだった。無料入園日のサービスだったのだろうか。


キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/300秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/180秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 改装の終ったアザラシの住処。澄んだ水に、泳ぐ彼等も写真を撮る私も気持ち良かった。


キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/180秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 仲がよさそうにしていた二匹、急に云い争いを始めた。理由は分らないが相当に激しく云い合っていた。


キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/180秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 2分も経たないうちに喧嘩は収まり、元の仲のいい夫婦に戻った。人間の夫婦げんかも2分以内で収まればいいが、何れのご夫婦ももっと長引いているようだ。


キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/90秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 食用にされる心配がないためか、勤務時間の殆どを寝そべって過ごしている。少しは歩き廻って人間様に愛嬌を振りまいては如何かと思う。

折々の写真&雑感 210

2019年03月24日 | エッセイ
 2月10日付の「折々の写真&雑感#204」で耐えられぬほどの肩の痛みとしびれについて述べたが、それが大分に弱まってきた。危険な手術を避け、ゆっくり痛みとしびれを弱めていくと云う担当医の治療計画通りになってきた。治療を始める前は仰向けでは寝られず、左の横向きでしか寝る事が出来なかった。それが、薬を飲み始めて2週間も経たずに、枕を少し高くすれば仰向けでも、右を下にした横位置でも寝る事が出来るようになった。感謝である。

 薬が効いただけではなく、痛さへの対処法を会得したせいもあるかもしれないと、多少はそのように考えていた。だが、先々週に郵便局に行くために自転車に乗った。まるで痛みを忘れてしまったのではないかと思うほどに痛さとしびれが和らいだ。それまでは、最初は痛くないが、一分も経つと、右手を背中に廻すか頭の上に乗せるようにしなければ痛さとしびれで自転車をこぐことも出来なかった。それが右手をそのようにしなくても、きちんとハンドルを握っていられた。

 痛さとしびれだが、24時間を通してそのような状態になるわけではない。だから、つい無理な首の動かし方をしてしまうのである。バスの中でこのような動きをしてしまうとどうしようもない。降りるまで20分でも30分でも痛い。それがどうしたわけか、降りて少し歩きだすと徐々に痛みとしびれが消えていく。それは治療を始める前のことであった。治療を始めてからは薬が効いてきたおかげで、バスに乗っても以前のような状態にはならなくなった。

 もしかしたら頸椎の手術を受けなければならないかもしれないと云うと、聞いた相手は「もし失敗したら下半身麻痺」だとか、「頸椎の手術は喉から行う」とか私の心配することばかりを云う。私を慰めるとか労わるとかの神経を持っていないのかと疑いたくなる。そうではない。私がそのようにはならないと信じているから安心してそのように云っているのであろう。私を担当して下さっている医師が性急にならず、「まず薬物で治しましょう」との手術を避ける治療計画を立てて頂いたことに感謝したい。

 新宿御苑に写真仲間と行ってきた。運がいいことに、値上げ前だった。僅かの金額ではあるが、何か得をしたような気分になった。上野動物園と同様に、日本語が通じる北京御苑だった。日本人ばかりではなく、他の国の人々もよその国を思わせる「御苑」に遠慮がちに行動しているようだった。気のせいであればいいが。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/250秒、 露出補正:+1、 WB:オート。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/180秒、 露出補正:+1、 WB:オート。
 毎年この時期になると、邪魔なヒヨドリがやってきてはメジロを追い払ってしまう。折角メジロを撮るのを楽しみにしているのにと腹が立つ。だが、今年は殆どいなかった。最初に一羽を見かけただけで、そいつが飛び去ってしまうと一羽もやって来なかった。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/250秒、 露出補正:+1、 WB:オート。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/90秒、 露出補正:+1、 WB:オート。
 多くのカメラマンとスマホを持ったお嬢さんたちが群がっていた。見ると、ヒヨドリが鈴なり状態で枝にとまっていた。メジロのいる枝に飛んでくると憎たらしいが、ヒヨドリだけを見ていると意外に可愛らしいことに気づいた。そして、どうやらメジロとヒヨドリが住み分けをしているように見受けられた。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f5.6、 1/125秒、 露出補正:±0、 WB:オート。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f5.6、 1/180秒、 露出補正:±0、 WB:オート。
 上の池にいた連中が下の池まで泳いできたらしい。飛んでくればあっという間に着くだろうに、なぜ泳いできたのか理解に苦しむ。花見をしながらゆっくり、のんびり泳いできたのか。優雅なもんだ。

 値上げ前の一日を、新宿御苑の隅から隅まで写真を撮りまくった感があった。申し訳ないような200円の入園料であった。

折々の写真&雑感 209

2019年03月17日 | エッセイ
 昨年、中等部と高等部合同の最後の同期会に行きそびれてしまった。毎年10月の第一木曜日と決まっていたので計画は立てやすかったが、写真仲間との撮影旅行と重なってしまうドジを踏んだ。最近のドジを数えればきりがないが、最後の同期会に出られなかったことを今でも悔やんでいる。

 以前は一年半ごとに高等部だけの同期会が行われていた。一回ごとに秋と春に開催時期が変ると云う、如何にも我々の学校らしい発想であった。その頃は毎回幹事が変っていた。仲の良かったグループで幹事を引き受けるのが常であり、そのグループの特色が出る会が開かれていた。それがもっと頻繁に会いたいとの意見が多く寄せられた。いつのころからか毎年開かれるようになり、中等部と高等部との合同の同期会になり、幹事が固定されてしまった。

 20代の後半から30代になったころの同期会には、高等部時代より色っぽくなった同級生が大勢いた。それで、片っ端から「初恋の相手だった」と云って歩いた。すると、「もっと早く仰って下さればよかったのに!」とか「嬉しいわ、高等部時代に伺いたかったわ!」との返事が多くあった。だが、私がそのように云って歩いているすぐ後で「〇〇さんは何方にもそのように仰っているのよ」と云って後についてくる同級生がいた。彼女とはクラスは違っていたが、かなり仲が良かった。その彼女のお蔭で私の計画は泡と消えた。それを知った悪ガキどもは「そんなに旨くいくかよ!」とせせら笑っていた。

 「私は貴方のラブレターを今でも持っているわよ」と皆の前で云われたときは参った。恥ずかしかったと同時に「私たちの関係はこれで終りよ」と宣言されたようなものだった。その後で日舞を教えている同級生に慰められた。「貴方は奥様と幸せなのだから、欲をかいちゃだめよ、ねっ」。彼女は昔から面倒見がよく、私の姉か母親のつもりでいる。

 以下の写真は12年も前に撮った原宿の写真である。今回は同期会のことに触れたので高等部時代と大学時代によく行った街が懐かしくなり、古い写真を引っ張り出した。この街の写真はまだまだあるので、折をみてまた掲載したい。表通りは当時とすっかり様相は変ってしまい、馴染めぬものになってしまった。だが、嬉しいことに裏通りの雰囲気だけは当時のものが残っている。


キヤノンEOS10Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:400、 f16、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS10Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。 
 上の二枚は「ブラームスの小径」と名付けられた原宿の静かな裏通りである。残念だが現在も静かであるとの保証はない。竹下通りの雑踏に比べると、本当に此処は原宿であるかと疑いたくなる。


キヤノンEOS10Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/45秒、 露出補正:±0、 WB:くもり。
 店の前でウィンドウの映り込みを撮っていると、オーナーが出てきて「どうぞお入りなさいな」と云ってくれた。近くこの店を改装し賃貸の展示場にする予定だと伺った。裏通りの雰囲気のある店が無くなるのは寂しい。


キヤノンEOS10Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 アパートから出てきたお嬢さんの服装と、この通りの雰囲気が実に合っているように感じた。普段はフォトショップの機能を殆ど使わないが、雰囲気をより強く出したかったのでパステル調にしてみた。


キヤノンEOS10Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:200、 f16、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS10Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:200、 f16、 1/20秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 上二枚も原宿の裏通り。このように閑散としていて商売が成り立つかと心配するぐらいに静かである。だが、知っている人はちゃんと知っている。

 原宿は駅から青山通りに抜けるメイン通りと竹下通りに人々は集中している。お陰で一歩中に入れば、場所によっては今でも別の世界を味わえる。

折々の写真&雑感 208

2019年03月10日 | エッセイ
 またビルマ(1989年から1993年)の当時の様子を綴りたい。現在のミャンマーをビルマと書いたが、私にとっては今でもビルマのままである。表向きはスー・チー女史が主導権を握った形ではあるが、実態は軍事政権が未だに続いているように思える。民主化には程遠い。民主化、民主化と騒いでいるスー・チー女史自身がロヒンギャ族の追い出しに目を瞑っているようではそれ以前の問題である。

 その当時の日本では想像もつかぬほどに彼等の生活は地味だった。政府の役人でさえ、また軍人でさえ余程上に登り詰めていなければ、我々日本人が普通に使っている日用品でさえ手に入らなかった。国営のホテルの備品である石鹸は匂いもなく、ザラザラとしており泡も出ない。こんな石鹸で汚れが落とせるのかと心配になり、二度目からは何個も石鹸を持参した。前回と同様、空港でスーツケースを開けさせられた時、係員(軍人が担当している)に幾つか取り上げられてしまったが、使うには充分な量が残った。

 政府の高官のお宅でお昼をご馳走になった時に出されたクリネックスの箱を見て驚いた。何年も前に封を切ったらしく、箱が黄ばんでいた。相当な年月をかけて大事に、大事に使ってきたのだ。古びた箱の中には半分ほどのティッシュが入っていた。「どうぞ、お使い下さい」と云われても使えるものではなかった。ポケットから自前のティッシュを出して使った。此のクリネックスはラングーン(現ヤンゴン)最大のボジョウ・マーケットでも売られていなかった。隣国のタイからでも買ってきたのかもしれない。ビルマの一般国民は、申請さえすればパスポートは簡単に発行される。だが、それを使うにはそれほど簡単なことではなかった。若者が大勢の仲間に見送られ、私と同じタイ航空の便に乗ったことがあった。その時の若者は分厚いオーバー・コートを誇らしげに着ていた。ビルマより寒い国へ行くとの認識からそのような厚着になったのだろうが、全く世界に対する認識がないことを感じた。もし、寒い日本に行くのだとしても途中の国ではどう過ごせばいいのか?第一、3月も半ばを過ぎればそれほど厚いコートは必要ない。

 その若者は偶然に私の近くの席に座った。持て余したコートをスチュワーデスに助けられ、座席の上のトランクにしまった。だが、その下にも厚手の生地で作られたスーツを着ていた。コートもスーツも非常に高級そうであった。恐らく、政府高官でも相当上の地位か、将官クラスの軍人のご子息ではなかったか?

 撮影会は本来「雨天決行」である。だが、我々のグループは無理をする必要は無いので「雨天中止」にしてきた。だが、その日の日本民家園の撮影は「小雨決行」とした。晴れた日の日本民家園ばかり撮ってきた仲間にはしっとりと濡れた古民家は勿論のこと、しずくが落ちそうな梅の小枝などにも感激したようだった。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/45秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 入って正面に見えるのは佐地家の門と塀である。その門をくぐると、庭を通して三澤家の塀が目の前に見える。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:1,600、 f5.6、 1/10秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 昨年に改装の終った三澤家の内部。出来る限り古い部材を残し、腐りかけた土台をはじめあらゆるものを全て新しいものにした。そう、新築の古民家である。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 雨の向こうに水車小屋がぼやけて見える。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f8、 1/45秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 三澤家の屋号であろうか?「津知や」と読める。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 水車小屋のそばに咲いていた梅。久しぶりの雨を喜んでいるようであった。


キヤノンEOS5DMkⅣに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 天気が続いているときの藁ぶき屋根を見慣れてしまうと、最初に出会った時ほどの感動はない。それが、多少でも雨に濡れると、歴史の重みを感じさせるような重厚な色を私に見せてくれた。

折々の写真&雑感 207

2019年03月03日 | エッセイ
 2月の半ばに使っていたガラケーの携帯電話器の画面が真っ暗になった。バッテリーを新しいものに交換したがウンでもスンでもない。携帯電話会社に電話したところ、その機種は古いので修理不能だと云われた。そして、いい機会だからとスマート・フォンを勧められた。だが、私にとってそのようなものを持たされても使いようがない。時々電話をかけたり受けたりするだけだ。また、ごくまれにメールが入ってくる。それ以外のことは全てパソコンで用が足りている。

 アップルのiPadを買ったのが3年程前だったが、その時に使用法がわからず往生した経験がある。私が今使っているウィンドウズ系のパソコンとアップルとでは考え方が全く違っているのである。何とか苦労してパソコンに保管してある写真の中からめぼしいものをiPadにコピーした。そしてWi-Fiにも繋ぎ、メールを受け、インターネットも利用出来るようにした。だが、それは主目的ではなかった。iPadのきれいなディスプレイで私の写真を仲間に見て頂くために買ったのである。それは後からの理由付けで、実際は衝動買いであった。

 以前から携帯電話器の設定はパソコンより難しいと感じていた。iPadの操作はアップルのサポートで何とか乗り越えられた。現在は容量不足に参っているが、面倒な設定のことを考えると買い替える気がしない。

 携帯電話会社にスマホを断ると、これが最後のガラケーだと云って最新型の電話器を送ってきた。ガラケーと云っているが、実際は「ガラパゴス系」の略なのではないか。失礼な話だ。この機種を使っている人間は絶滅危惧種のような扱いを周囲から受けている。パソコンなど触ったこともない人たちが器用にスマホを使い、私を明治時代の人間のような目で見る。

 最新のガラケー携帯電話器の取扱説明書を見ても、サポートのお嬢さん方に教えて貰っても充分には理解出来ない。Wi-Fiには旨く繋げた。だが、「ライン」には参った。ラインに繋げれば国内は勿論、世界中の何処にでも無料で電話が出来ると聞いていたが実際はそうではないことを知った。電話をかける方も受ける方もラインに入っており、然もWi-Fiを通してインターネットにつながっていることが必須條件だ。これなら、あまりメリットがないように感じる。でも、友人も私も自宅にいるなら気兼ねなく長電話出来る。たったこれだけのことに無い頭を使い、貴重な時間を使い、その上神経迄すり減らした。

 10歳のオスのケアヒが昨年の10月に仙台市の八木山公園に移動した。その補充として大阪のみさき公園から5歳のオスのトラのブランが12月に来ることに決った。だが、私は一度もお目にかかっていない。もしかしたらとの希望を持って行ってみた。それが、驚いたことに、運よくブランに出会えた。


キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:800、 f11、 1/180秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 PLフィルター使用。
 トラを撮るのが目的で動物園に来ていた二人連れの若いお嬢さんに、「今日はブランが出ています」と教えて頂いた。行ってみると、ブランはトラの出入り口近くの草むらにうつ伏せになったきり動こうとしなかった。だが、顔は若々しく生気がみなぎっている印象を受けた。これから先に彼を撮るのが楽しみだ。


キャノンEOS7DⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 PLフィルター使用。
 久しぶりにあでやかなピーコに出会えた。今日は被り物だけではなく、敷物も敷いていた。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/90秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 二匹で元気に飛び廻っていたコツメカワウソだったが、最近は一匹しか見かけない。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/180秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 象の全身を撮ることは難しい。撮って撮れないことはないが、柵が入ったのでは興ざめだ。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 以前には純白のアルパカが若い飼育員君と散歩しているのをよく見かけたが、最近は全く見かけない。他の動物園に移動させられたのだろうか。


キャノンEOS7DMkⅡに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/180秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 何かしきりに訴えているようだったが、生憎とラマの言語までは習得していない。私はこのラマに好かれているようだが、園内の改装で彼らと直に触れあうことが出来なくなった。それを機に私の顔を忘れてしまったのか、呼んでもそばに来なくなった。