またマフィアの話で恐縮であるが、今回はシチリアではなくニューヨークのマフィアについてである。
仕事の要件もそこそこに「保険屋」が席を立って行ってしまった。友人が「済まない。彼はこれから人に会うんだ」と云った。「保険屋」と敢えて名前を伏せるが、彼は個人で保険の代理店を営んでいる。だが、それは表の顔で、裏ではありとあらゆる揉め事の解決を生業としている。従って個人の保険代理業としては異常なほど「表」の営業成績がいいらしい。「裏」での人とのつながりが如何に多いかである。
友人は続けた。「今、ニューヨークの空港で美術品の盗難事件が多発しているんだ。それも日本から輸出された美術品の被害が群を抜いて多い」。美術品を輸出している画商や保険会社が悲鳴を上げているとの事だ。輸出業者まで悲鳴を上げるのは、恐らく正当な価格での輸出ではなく、関税を下げるために常識外の価格で輸出書類を作成していたのであろう。当然のこと、インボイス(TDYマダガスカル編の15をご参照願いたい)に示された価格以上の保険金は支払われない。
「保険屋」がこれから会いに行く相手は来日中のニューヨークのマフィアである。「今後一切、自分が関与している日本からの美術品に手を付けるな」とニューヨークのマフィアに話をつけるためだと友人は説明してくれた。後日、その「保険屋」に会った際、「話はついた」と一言云われた。経緯は途中までしか話してくれなかったが、日本から輸出される貨物にある特殊なマークをつけるのだそうだ。ニューヨークの空港でそのマークの付いた荷物は決して紛失したり壊れたりしないそうだ。此の話し合いの後、被害は一切なくなったそうだ。この話を聞いても、私は信じられなかった。
当時日本最大手の航空会社の国際貨物課に勤務していた友人にこの話をし、「そんなことあるのか。この話は本当か」と聞いた。彼は「まぁな」とあいまいな返事をした。さらに問い詰めると「実際にあることだ」と渋々認めた。「どんなマークだ?誰がそのマークを付けるんだ?」と聞いたが、頑として云わなかった。世界中のマフィアは勿論のこと、税関吏や空港職員もその「マーク」の付いた荷物には絶対に余計な手を付けないのだそうだ。どのようなマークかを知ったら、私のスーツ―ケースにも常時そのマークを付けておきたかった。そうすれば、待たされることなく、私の荷物が真っ先に出てくるような気がする。
以下は引退してから家内を連れてスペインに行った時の写真である。私は出張でかなり多くの国へ何度も行っていたが、特別な場合を除いて仕事で家内を連れて行く事は決してなかった。あまりにも日本人的な考え方だと云われるかもしれないが、当時の私はそれほど仕事にのめり込んでいた。従って、家内は、娘が住んでいる香港を除いては、外国への旅行はほんの四、五回しかなかった。
バルセロナの裏道。
泊ったホテルで行われていたバレンシアの火祭りの前夜祭。
ロバに鞭打って突進するドン・キホーテを彷彿とさせる。ラ・マンチャの風車群。
グラナダの街角。南国を思わせる風情だった。
「白い街」ミハスの入口。
坂の多いミハスでは、配達サービスが当たり前に行われている。
仕事の要件もそこそこに「保険屋」が席を立って行ってしまった。友人が「済まない。彼はこれから人に会うんだ」と云った。「保険屋」と敢えて名前を伏せるが、彼は個人で保険の代理店を営んでいる。だが、それは表の顔で、裏ではありとあらゆる揉め事の解決を生業としている。従って個人の保険代理業としては異常なほど「表」の営業成績がいいらしい。「裏」での人とのつながりが如何に多いかである。
友人は続けた。「今、ニューヨークの空港で美術品の盗難事件が多発しているんだ。それも日本から輸出された美術品の被害が群を抜いて多い」。美術品を輸出している画商や保険会社が悲鳴を上げているとの事だ。輸出業者まで悲鳴を上げるのは、恐らく正当な価格での輸出ではなく、関税を下げるために常識外の価格で輸出書類を作成していたのであろう。当然のこと、インボイス(TDYマダガスカル編の15をご参照願いたい)に示された価格以上の保険金は支払われない。
「保険屋」がこれから会いに行く相手は来日中のニューヨークのマフィアである。「今後一切、自分が関与している日本からの美術品に手を付けるな」とニューヨークのマフィアに話をつけるためだと友人は説明してくれた。後日、その「保険屋」に会った際、「話はついた」と一言云われた。経緯は途中までしか話してくれなかったが、日本から輸出される貨物にある特殊なマークをつけるのだそうだ。ニューヨークの空港でそのマークの付いた荷物は決して紛失したり壊れたりしないそうだ。此の話し合いの後、被害は一切なくなったそうだ。この話を聞いても、私は信じられなかった。
当時日本最大手の航空会社の国際貨物課に勤務していた友人にこの話をし、「そんなことあるのか。この話は本当か」と聞いた。彼は「まぁな」とあいまいな返事をした。さらに問い詰めると「実際にあることだ」と渋々認めた。「どんなマークだ?誰がそのマークを付けるんだ?」と聞いたが、頑として云わなかった。世界中のマフィアは勿論のこと、税関吏や空港職員もその「マーク」の付いた荷物には絶対に余計な手を付けないのだそうだ。どのようなマークかを知ったら、私のスーツ―ケースにも常時そのマークを付けておきたかった。そうすれば、待たされることなく、私の荷物が真っ先に出てくるような気がする。
以下は引退してから家内を連れてスペインに行った時の写真である。私は出張でかなり多くの国へ何度も行っていたが、特別な場合を除いて仕事で家内を連れて行く事は決してなかった。あまりにも日本人的な考え方だと云われるかもしれないが、当時の私はそれほど仕事にのめり込んでいた。従って、家内は、娘が住んでいる香港を除いては、外国への旅行はほんの四、五回しかなかった。
バルセロナの裏道。
泊ったホテルで行われていたバレンシアの火祭りの前夜祭。
ロバに鞭打って突進するドン・キホーテを彷彿とさせる。ラ・マンチャの風車群。
グラナダの街角。南国を思わせる風情だった。
「白い街」ミハスの入口。
坂の多いミハスでは、配達サービスが当たり前に行われている。