確か、7月の下旬だったと思うが、ハワイのオアフ島にある「ホノウリウリ強制収容所」がアメリカの史跡に指定されたとのニュースをテレビで観た記憶がある。その時、此の収容所の事を後世に残そうと、その運動の推進役となったジェーン・クラハラさんと云うかなりお年を召したご婦人が収容所のトイレの跡地を指差して云っていたことが今でも頭から離れない。「ドアーのないトイレ」。監視員が監視をし易いようにするためのものであったらしい。彼女は「プライバシィーがなかった」と仰っていたが、私に云わせれば屈辱以外の何物でもない。こんなことを考え出した奴は戦犯には問われないのだろうか?敗戦国であった日本だけに戦争犯罪人を作ったのでは「喧嘩両成敗」の精神に反する。
アメリカ空軍に派遣されていた当時、私には多くのハワイの二世や三世の友人がいたが、収容所の事は聞いた事がなかった。ステイツ二世と云われるアメリカ本土で生まれた二世やその両親が強制収容所に入れられていたことは聞いていた。彼等は想い出したくない辛い体験を少し、ほんの少し話してくれたことがあった。だが、ハワイの二世や三世からは収容所はおろか、彼等の両親や祖父母が鞭でひっぱたかれながらパイナップル畑で働かされていた事実も直接聞いたことがなかった。話はそれるが、アメリカの軍隊では手榴弾をその形から「パイナップル」と云い、ハワイの二世や三世の事も「パイナップル」と云う。然も、それは「パイナップル野郎」との蔑称である。親しみを込めた愛称ではない。
だが、こんなことは聞いたことがある。アメリカ軍を中心とした連合軍がヨーロッパ戦線で不利になると、日系二世を戦争に駆り出した。忠誠を誓わされ、その親族を人質に取られた形でアメリカの陸軍に加わった。そして442部隊に配属された。所謂二世部隊である。彼等は今までの屈辱を晴らすため、同胞のために勇敢に闘った。戦死者は通常の部隊の平均値を遥かに上廻った。戦後、日系人の地位は驚くほどの飛躍を遂げた。
私の知る限り、ハワイの日系人の出身地は圧倒的に和歌山県と沖縄県が多かった。最初に移住した人が故郷から人を呼び寄せたからであろう。私が最初に知り合ったハワイの二世は、ご夫婦ともご両親は和歌山県出身だとのことだった。二人とも私の両親とそれほど変わらぬ年だったが、かなり流暢な英語を話した。だが発音はハワイ独特のものだった。彼等の仲間もほぼ全員が和歌山県出身で、彼等同士で話している内容は、最初のうちはよく理解出来なかった。だが、慣れると、英語、和歌山の方言、ハワイの言葉であるポリネシア語等々を交えて話していることが分かった。後で聞いた話だが、イタリーの戦場に送られた442部隊が、味方同士の通信にこのような言葉、時には沖縄の方言も交えて話していたので、それを傍受していたドイツ軍には全く意味が通じなかったらしい。
また、沖縄県出身の人たちは沖縄県出身の日系人同志で仲間を作っていた。私の小学校の同級生に「高城」君がおり、勤めてからは「金城」さんがいた。タカシロ、キンジョウ或いはカナシロと一般に呼ばれているが、沖縄では「城」を「グスク」と云う。殆ど英語を話せないハワイの兵隊と知り合った。「オグスク二等兵」だった。最初、フィリッピン人かと思っていたら、ある朝、日本語で「お早ようございます。お元気ですか?」と云われた。彼の両親は沖縄県出身で、オグスクは小城の事だと紙に漢字で書いてくれた。オオグスクは大城、タカグスクは高城、カナグスクは金城だと、その時に教わった。
以下は長野県にある「地獄谷野猿公苑」の、いたずら盛りを迎えた子ザルたちの写真である。彼等は一つの群れで、ほぼ同じ時期に生まれている。夫々が遠い血縁関係にあるのかもしれぬが、直接の兄弟姉妹ではない。而し、同じ群れに居ると同じ親から生まれてきたような錯覚を起こす。顔の表情と甲高い声で全てのコミュニケーションが取れているように感じる。
訂正とお詫び
10月24日夜の池上彰さんの番組を観ていて、先週の私のユネスコに関するブログの内容とかなりの差があることに気づき、再度調べてみた。結果、私の間違いであった。以下に訂正し、お詫び申上げたい。
「ユネスコへの拠出金は日本が第二位で20%弱(約84億円)である」。
上記は2006年(平成18年)の数字であった。昨年の2014年は10.83%で37億1千800万円(米国が支払いを停止していたので、日本が実質第一位)であったが、他に任意の拠出金があり、総計で54億3千270万円になった。これに対し、中国の分担率は6位の5.14%で日本の約半分であった
「シベリア抑留」
完全に私の間違いで、2015年10月10日に正式に登録されていた。「政治的に利用すべきでない」と撤回の要請をしたのはロシアであった。この要請に対し、岸田外務大臣は拒否した。
以上訂正し、重ねてお詫び申上げたい。
アメリカ空軍に派遣されていた当時、私には多くのハワイの二世や三世の友人がいたが、収容所の事は聞いた事がなかった。ステイツ二世と云われるアメリカ本土で生まれた二世やその両親が強制収容所に入れられていたことは聞いていた。彼等は想い出したくない辛い体験を少し、ほんの少し話してくれたことがあった。だが、ハワイの二世や三世からは収容所はおろか、彼等の両親や祖父母が鞭でひっぱたかれながらパイナップル畑で働かされていた事実も直接聞いたことがなかった。話はそれるが、アメリカの軍隊では手榴弾をその形から「パイナップル」と云い、ハワイの二世や三世の事も「パイナップル」と云う。然も、それは「パイナップル野郎」との蔑称である。親しみを込めた愛称ではない。
だが、こんなことは聞いたことがある。アメリカ軍を中心とした連合軍がヨーロッパ戦線で不利になると、日系二世を戦争に駆り出した。忠誠を誓わされ、その親族を人質に取られた形でアメリカの陸軍に加わった。そして442部隊に配属された。所謂二世部隊である。彼等は今までの屈辱を晴らすため、同胞のために勇敢に闘った。戦死者は通常の部隊の平均値を遥かに上廻った。戦後、日系人の地位は驚くほどの飛躍を遂げた。
私の知る限り、ハワイの日系人の出身地は圧倒的に和歌山県と沖縄県が多かった。最初に移住した人が故郷から人を呼び寄せたからであろう。私が最初に知り合ったハワイの二世は、ご夫婦ともご両親は和歌山県出身だとのことだった。二人とも私の両親とそれほど変わらぬ年だったが、かなり流暢な英語を話した。だが発音はハワイ独特のものだった。彼等の仲間もほぼ全員が和歌山県出身で、彼等同士で話している内容は、最初のうちはよく理解出来なかった。だが、慣れると、英語、和歌山の方言、ハワイの言葉であるポリネシア語等々を交えて話していることが分かった。後で聞いた話だが、イタリーの戦場に送られた442部隊が、味方同士の通信にこのような言葉、時には沖縄の方言も交えて話していたので、それを傍受していたドイツ軍には全く意味が通じなかったらしい。
また、沖縄県出身の人たちは沖縄県出身の日系人同志で仲間を作っていた。私の小学校の同級生に「高城」君がおり、勤めてからは「金城」さんがいた。タカシロ、キンジョウ或いはカナシロと一般に呼ばれているが、沖縄では「城」を「グスク」と云う。殆ど英語を話せないハワイの兵隊と知り合った。「オグスク二等兵」だった。最初、フィリッピン人かと思っていたら、ある朝、日本語で「お早ようございます。お元気ですか?」と云われた。彼の両親は沖縄県出身で、オグスクは小城の事だと紙に漢字で書いてくれた。オオグスクは大城、タカグスクは高城、カナグスクは金城だと、その時に教わった。
以下は長野県にある「地獄谷野猿公苑」の、いたずら盛りを迎えた子ザルたちの写真である。彼等は一つの群れで、ほぼ同じ時期に生まれている。夫々が遠い血縁関係にあるのかもしれぬが、直接の兄弟姉妹ではない。而し、同じ群れに居ると同じ親から生まれてきたような錯覚を起こす。顔の表情と甲高い声で全てのコミュニケーションが取れているように感じる。
訂正とお詫び
10月24日夜の池上彰さんの番組を観ていて、先週の私のユネスコに関するブログの内容とかなりの差があることに気づき、再度調べてみた。結果、私の間違いであった。以下に訂正し、お詫び申上げたい。
「ユネスコへの拠出金は日本が第二位で20%弱(約84億円)である」。
上記は2006年(平成18年)の数字であった。昨年の2014年は10.83%で37億1千800万円(米国が支払いを停止していたので、日本が実質第一位)であったが、他に任意の拠出金があり、総計で54億3千270万円になった。これに対し、中国の分担率は6位の5.14%で日本の約半分であった
「シベリア抑留」
完全に私の間違いで、2015年10月10日に正式に登録されていた。「政治的に利用すべきでない」と撤回の要請をしたのはロシアであった。この要請に対し、岸田外務大臣は拒否した。
以上訂正し、重ねてお詫び申上げたい。