TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 63

2016年05月30日 | エッセイ
 5月の連休が過ぎてから、W7のパソコンをW10にした。使用方法に多少の戸惑いはあったが、何とか自力で解決した。だが困ったことはプリンターであった。私は現在3台のプリンターを併用している。A3ノビまでプリント出来るものと、それ以前に使っていたA4までのプリンターを捨てられずにまだ使っている。それと写真以外の物の印刷に便利なレーザープリンターである。W7のときは、「デバイスとプリンター」の項目が常設されており、簡単にプリンターを選べた。W10にグレード・アップしてから、「デバイスとプリンター」の項目が見つからない。と云うことは何もプリント出来ないことを意味する。落ち着いて考えれば自分でも解決出来た筈なのに、写真のことが心配で、恥ずかしいが平常心を失ってしまったらしい。インターネットで調べたが適切なヒントは見つからなかった。困った末にキャノンの相談窓口に助けを求めた。「コントロールパネル」の中の「ハードウエアーとサウンド」中にあることを教えてくれた。此処に考えが及ばなかったことを非常に恥ずかしく思った。そして、日本のメーカーはなんと親切かと改めて感じた。これが外国のメーカーや販売店であるなら、「それはマイクロソフトの問題です。そちらにお尋ね下さい」と云われて電話を切られてしまう。世界中で日本製品が売れるわけだ。

 先週に続いて、また日本民家園の写真で恐縮だが私の写真の原点は木造家屋にある。このブログの「1」(2015年3月23日)でも述べたように、土門拳氏の、素晴らしい木目の浮き出た山門の写真に魅せられて、私は写真にのめりこんだのである。
 私の撮る写真は木造家屋だけではなく、目につくもの全てを撮るようになった。だから大成しないのかもしれない。だが、木造家屋を見ると撮らずにはいられなくなる習性は土門拳氏の影響を今でも引きずっている証拠であろう。残念なことに、昔ながらの木造家屋は身近なところには存在しなくなってきた。それが、ありがたいことに日本民家園には撮っても、撮っても飽きないほどの古民家が揃っている。それもよく手入れされ、まるで人が住んでいるように錯覚することもある。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:50、 f16、 1/10秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

 安倍首相がオバマ大統領と異例に長い会談を終えたと報じられた。異例の長さと云っても一時間に満たない。その会談でオバマ大統領は沖縄県内で元米兵が起こした暴行殺人及び死体遺棄について謝罪せず、地位協定を改定する意思もないことを示した。安部首相も改定を求めなかったと報じられた。

 私の現役時代、貿易の取引で、相手の嫌がることを躊躇せずに云った。相手も私の嫌がることを平気で云った。それで壊れるような取引ならすることはないとお互いに考えていたからであろう。不利益を被るなら、その取引はよしたほうがいい。私のようなちっぽけな会社と日本全体とは大変な隔たりがあることは承知している。だが、云いたいことも云えないような「同盟国」とか「友好国」などあり得ないと私は考える。
 日本は米国の一番大事な同盟国であると云っておきながら、今回のサミットにも大統領専用車やヘリコプターまで米国から運んできた。アメリカにとっては通例のことかもしれないが、私には日本を信用していない証拠であるとしか考えられない。信用しようとしない国を相手に、いくら誠意を示そうとしても無駄であろう。私の会社なら即刻取引撤回である。
 日本の外交は徹底した弱腰にしか見えない。地位協定が見直されない限り、日本国内のアメリカ軍基地と将兵は外交官並みの治外法権の待遇を受ける。同じようにアメリカの軍事基地を持つイタリーとドイツは、大使館と領事館以外に治外法権を認めていない。何故日本だけが彼らの治外法権を認めなければならないのか。伝統的な八方美人の、弱腰外交の成果である。

 日本人のほとんどがそれほど期待していなかったであろうが、オバマ大統領は、非人間的な「原爆の投下」について謝罪しなかった。アメリカ人と中国人は絶対に謝らない国の代表である。特にアメリカ人はちょっとでも謝ると全面的に自分の非を認めることになり、莫大な損害賠償を要求されることを恐れる。要は謝ったほうが悪いことになるという論理である。

 別荘のトイレットペーパーを我々の税金で買った舛添知事。こんなせこい奴のことを書きたくはないが、書かずにはいられないほど腹が立つ。私みたいな小さな会社では、海外への出張の際、一応は会社の経費で行くことになってはいるが、会社に余裕のないときは自腹で行かざるを得なかった。従って、そのようなときは三等(ツーリストクラス)の航空券を買っていた。マレーシアのクアラランプールからモーリシャスまで、夜行で10時間のフライトを何回も耐え抜いたことがあった。
 自分は一銭も出さず、ファーストクラスで遊びに重点を置いたような「海外視察」に何回も行っていたなど、聞いただけで腹が立つ。



折々の写真&雑感 62

2016年05月23日 | エッセイ
 能天気な孫娘が二年間の「語学留学」を終えて香港に帰った。同じ年頃の我が家にいる孫娘は心理学を学びたいと大学に通っているが、能天気な香港娘は大学には行きたくないと仰せになっている。勉強が嫌いなのである。「語学留学」の名目で日本にやって来たが、要は親元を離れて日本でのんびり過ごしたかっただけなのであろう。日本人であるから日本語が話せるのは当たり前であるが、日本語が完全になる前に香港に行ってしまったので、日本で育ったようなわけにはいかない。卒業式の時、クラスメートから「日本語がうまくなったわね」と云われたそうだ。その話を聞いた時、私は腹を抱えて笑い出してしまった。家内は、「母親には云わないほうがいい」と自分の娘を気遣っていた。我が家に一緒に住めばいいものを、「一人がいい」と我が家の近くで一人住まいを始めた。私の長男が姪のために安心出来る、安全な、彼の友人が経営するアパートを探してきた。最初のうちは我が家に夕食を食べに来ていたが、自然と足が遠のいてしまった。「留学生」仲間との楽しい付き合いが始まったのだろう、と遠くから見守ることにした。

 卒業式が終ってもすぐに香港に帰らなかった。「ちゃんと言葉は覚えたのか?」と聞くと、「そんなの無理、無理。日常会話だって難しいわ」と楽しそうに云った。親には聞かせられないセリフだ。中野駅近くの飲食店でアルバイトをしていたらしい。彼女は日本語と香港で使われている広東語は勿論のこと、中国の標準語ともいうべき北京語、それに英語も不自由なく話せる。英国人が経営している幼稚園に通っていたせいだろう。私も一度行ったことがあるが、園長をはじめ、大勢の英国人の保母さんが全て英語で園児に接していた。従って、その店では能天気娘を便利に使っており、手放そうとしなかった。「お前、銀座や浅草の店で働いたり、観光客の通訳をした方がずっと時給がいいだろう」と云うと、「そこまで考えなかったわ」と云った。彼女にとって、時給より楽しければよかったのだ。日本人であっても、長く香港にいると考え方も香港流になってしまうのだろうか。
 香港の習慣として、友人同士で待ち合わせをしても、相手が時間通りに来ないことが当たり前のようである。相手が怒って帰ってしまわなければ間に合ったことになるのだそうだ。その話を娘(能天気娘の母親)から聞いた時は呆れたが、落ち着いて考えればそんな幸せなことはないと思う。私は決して気が長い方ではない。むしろ気が短い。だが、香港人のゆったりした態度を見習おうとはしている。

 能天気娘が実際に香港に帰る2週間ほど前に我が家に夕食を食べに来た。「またちょいちょい来いよ」と云うと、「うん、友達が大勢いるからまたすぐに来るわ」と云った。私は我が家に来いよと云ったつもりだが、香港から日本にすぐに来ると云ったらしい。日本と香港間の飛行時間は、以前は6時間ほどかかったが、今は4時間ちょっとだ。すぐに来ると云ったわけだ。
 上野動物園など、どこの国の動物園かわからなくなるほど中国人の観光客が押しかけてくる。今の香港もそのような状態らしい。能天気娘が二年間日本にいた間、四、五回は香港に戻っている。その度に香港には中国人の数が増えていると感じたらしい。「嫌になっちゃう」と遠慮がちに云った。

 以下はお馴染みの日本民家園の新緑の頃の写真である。何かにつけ、ここに足が向いてしまう。同じ場所で同じ建物を撮っても、時期により、時間により、またその時の考え方によって全く違った写真が撮れる。それが楽しい。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f16、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

 上の二枚は無謀にも土門拳氏の領域に少しでも近づきたいと願って撮ったものだが、迫力の点で劣っていることを悟った。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

 下三枚の囲炉裏の写真は暖をとる為のものではない。ご存知のように煙で天井を燻蒸することにより害虫を殺すばかりではなく、建物全体を長持ちさせる先人の教えを守っているのである。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:800、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-2/3、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:800、 f5.6、 1/80秒、 露出補正:+2/3、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:800、 f5.6、 1/100秒、 露出補正:絞りとシャッタースピードをマニュアルに設定にしたので露出補正は無し。
WB:オート。

折々の写真&雑感 61

2016年05月16日 | エッセイ
 マラリアで都立駒込病院に入院した際(どうか「TDYマダガスカル編25」をご参照願いたい)、人工透析の寸前までいった。膀胱へのカテーテル挿入、何種類もの点滴等々と入院時の騒動が治って何日かしたころ、剃刀を持った若い看護婦さんから「剃毛をします」と急に云われた。何のことか理解出来なかった。盲腸の時に剃毛をされたが、マラリアの治療でどこかを剃るなどとの話は聞いていない。「人工透析を始める準備です」と説明されたが、「あ、そう」と気楽に考えていた。看護婦さんに手伝ってもらい、パジャマを脱ぎ始めたとき電話がかかってきた。私の病室は感染症の隔離病棟であったためテレビ電話がついていた。マラリアは伝染しないが、何故かこの病棟に入れられた。テレビには主治医の顔が映り、「人工透析の再検討をするので、剃毛の必要はないよ」と云っていた。それを聞いて、私より看護婦さんの方がホッとした顔をした。彼女の説明によると、一旦人工透析を始めると、余程のことがない限りずっと続けなければならなくなるそうだ。後で聞いた話だと、血液透析の場合は、週に3回、一回につき4~5時間を要するそうだ。そうなったら海外への出張どころではなくなり、写真を撮り歩くなど夢の夢になってしまうところだった。主治医の今村先生、サブについて下さった味澤先生を始めとする私の治療に携わって下さったスタッフ全員に対する感謝の気持は今でも変らない。

 残念なことに鬼籍に入ってしまった中学時代からの友人(元衆議院議員)が人工透析を受けていたそうだ。私は勿論のこと、他の友人たちの誰一人彼が腎臓を病んでいたことを知らなかった。葬式からかなり過ぎたころに彼が人工透析を受けていたことを知った。政治家は自分の健康状態を他人に知られることを嫌っていたことは話に聞いていた。彼の場合、議員ではなくなってから何年も経っている。それでも自分の健康状態を知られたくなかったのであろう。友人たちは、私も含めて「彼奴にもっと親切にしてやっていればよかった」とか「優しくしてやっていれば」と悔やんだ。中学からの友人には格別な思い入れがある。私には幼稚園から、小学校から、高校から、大学から、社会人になってからと様々な友人が多くいる。だが、中学からの友人ほど気が置けず、親しい存在はない。特に仲の良かった連中との年に二、三度の集りを今でも続けている。私に常任幹事を押しつけた連中から、時期になると「早くやれ」と催促が来る。彼の透析を知っていれば、その日を避けて集りの日を設定出来たのにと、今でも残念に思っている。

 以下は椿山荘の近くにある胸突坂、芭蕉案とその周辺の写真である。リーガロイヤル・ホテルのほぼ正面から新目白通りを渡り、少し北に行くと神田川がある。その橋を渡った所が胸突坂の始りである。坂を登った直ぐの処に関口芭蕉庵がある。神田川沿いに東に行くと椿山荘の庭園の入口が左手にある。何度も行ったことのある場所であるが、カメラを持って行ったのは、6年ほど前が初めてであった。以後、被写体としてこの辺りを見るようになり、気に入って何度も行くようになった。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 
 このシャガを初めて撮ったのは鎌倉の佐助稲荷の鳥居の前であった。その時にこの花の名前を知った。そして、この花はお稲荷さんやお寺でしか咲かない花だと思い込んでいた。それほどに私は花に疎い。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 
 お茶会を終えたご婦人たち、何とも云えぬ雰囲気があった。お断りして後姿を撮らして頂いた。「前からでは、撮るに堪えられないからでしょう」と仰られたが、とんでもない、夫々に和服のお似合いになる美人のご婦人方でいらした。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

 この道の先に椿山荘の庭園への入口がある。今の時期は緑が美しい。大型連休も過ぎ、落ち着きを取り戻している。一度行かれることを、是非にもお勧めしたい。





折々の写真&雑感 60

2016年05月09日 | エッセイ
 車をよして、電車やバスで移動を始めるようになった。久しぶりに地下鉄に乗った。車内は人と人がぶつからない程度の込み具合であった。電車が走り始めた時、私がよろよろっとして倒れかけた。その時周囲に居た若い男女が私に駆けより支えてくれた。お蔭で床につかずに済んだ。ありがたかった。若い人たちは口々に「お加減は?」とか「お気を付け下さい」と云って元の場所に戻った。席を譲ってくれた人もいた。その時、私は体の具合が悪くて倒れかかったのではなかった。自分の考えていた方向とは逆の方向に電車が動いたのでバランスを崩しただけだったのだ。「日本も捨てたものではない」と思い、嬉しさがこみ上げてきた。香港の地下鉄で席を譲られたときは、嬉しさの半面「俺はそんな年じゃない」と心の奥で思っていた。だが、日本の地下鉄では嬉しさだけが心に残った。

 「近頃の若い者は!」と腹立たしさだけを口にする人が多いが、そんなことはないと私は考えている。地下鉄の一件だけではない。バスの時間表を見ていると、若いサラリーマン風の人がスマホで調べてくれ、「あと00分で来ます」と教えてくれたり、道に迷った時などスマホの地図で嫌がりもせずに案内してくれたこともあった。普段は無関心を装っているが、いざとなれば心強い味方になってくれる。また、「TDYパプアニューギニア編8」の最後の方に記したように、若い多くの自衛官が「国のために戦う覚悟が出来ている」と云っている。私は若者をもっと信用するべきだと思う。そして安心して国を任せてはどうだろう。

 スポーツ選手が賭博をやったり、大麻を吸ったりしたら彼等の選手生命は絶たれる。また芸能人が不倫を働いたり、周囲の顰蹙を買うような言動をすれば、その後の仕事は一切来なくなる。大臣が汚職を働けば、大臣を辞めさせられるだけで、そのまま議員を続けている。不正を働くような人間を議員にとどまらせ、我々の税金で報酬を与え続けるなど納得がいかない。
 このブログで「議員は、字さえ読めれば猿でも出来る」と書いたが、大変失礼なことを書いてしまったと詫びなければならない。議員にではない。猿の諸君に対してである。字の読める猿に議員は務まるが、汚職や詐欺は出来ない。選挙の時だけ我々有権者にぺこぺこしたり、猫なで声で投票を依頼したり、果は土下座までする。当選したら、会議中にスマホで遊んだり、居眠りしている議員がいる。これは詐欺だろう。そんな不誠実なことは猿には出来ない。
 国会中継を観ていると、一番目立つのが―字の読める猿にでも出来る事だが―誰かが書いた原稿を読み辛そうに読む場面と、反対する党や議員を誹謗するばかりの場面である。彼等はこの日本をよくするための政策を真剣に論じ合っているのであろうか。私には次回の選挙を如何に有利に進めるかを真剣に考えているだけにしか見えない。全員がそうではないだろうが、多くの議員にこの傾向があるのは確かである。今は少数派であるが、不正とは縁のない優秀な議員が増えることを、多くの人が願っていることをお分かり願いたい。

 以前にも羽田空港で撮影した飛行機を掲載したが、懲りずにご覧頂きたい。「撮り鉄」と称せられる鉄道の写真ばかりを撮っていらっしゃる方々の数ほどではないが、飛行機に魅せられて飛行場に通い詰めている人も多い。私はそれほどではないが、被写体としての飛行機に非常な魅力を感じていることは否めない。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/100秒、 露出補正:±0、 WB:オート。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/80秒、 露出補正:±0、 WB:オート。


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7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/400秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/160秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

折々の写真&雑感 59

2016年05月02日 | エッセイ
 街を歩いていると「宴席50人様OK」とか「お一人様OK」、或いは「日帰りOK」。その他にも「xxxOK」、「zzzOK」等々とやたら「OK」の文字が目につく。そればかりではない。ラジオやテレビの宣伝文句にも「OK」が出てくる。私はこの「OK」と日本人が安易に使う風潮が嫌いである。アメリカの軍隊でこの言葉を使い始めたことは読者諸兄諸姉もご存じのとおりである。友人同士で「それは、正しいよ」とか、承諾を表す意味で「あぁ、いいよ」と使ったり、「わかったよ、それで?」と先を促すときに使うことが多い。目上の人にはあまり使わないが、時折「OK sir」と云っているのを聞いたりする。また私もそのように云われたこともある。
 以前に親しいアメリカ人に「OKって、どんな意味だ?」と聞いた事があった。彼は「それほどの意味はないよ。いわば合いの手のように使う奴もいる」。そして笑いながら「俺みたいな素養のある奴は使わない。低俗な奴しか使わない」と彼は説明してくれた。別れぎわに、私が「近いうちに、A(我々の共通の友人)の開いた店に行ってやろう」と云うと、「そうだな、喜ぶよ。OK、行ってやろう。それじゃーな、OK」。素養のある筈の彼が二回も続けて「OK」と云った。余談だが、このブログの「55」に書いた「バンバイ」も教養のある人は使わない言葉らしい。だが、それもどうか怪しい。

 もう何年も前の事であるが、「ハイ」と云う言葉がはやったことがあった。それが挨拶の「Hi!」なのか、「high class」の高級品を意味するのかは知らない。関西の大手家電メーカーが、その製品に片ッ端から「ハイxxx」、「ハイzzz」、「ハイyyy」と名付けてしまい、それをテレビで宣伝しまくった。阿呆としか云いようがないと感じたが、その家電メーカーの売上が業界トップだと聞けば、「阿呆」だとは云えない。だが、私はその製品を一台も買わなかった。

 外国語を使うことを批判するわけではないが、使うなら正しい使い方をして頂きたい。外国語の元の意味はこうだが、日本語ではこうだと全く違う使われ方をしている場合が非常に多い。それが正しい意味であると勘違いし、外国でその単語を使っては誤解を招くこともある。小さな誤解を招くだけならいい。それに依って相手に不快な気分を味あわせたり、自分が危険な目にあわないとも限らない。

 この時期に気が緩むのは我々人間だけではない。我々の友人たちものんびりとした姿を見せてくれる。


7Dに70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:1600、 f8、 1/60秒、 露出補正:-2/3、 WB:オート、 PL装着。

カミツキガメ

7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:800、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 PLフィルター使用。

イリエワニ

7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 PLフィルター使用。

カバのジロー君

7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

コツメカワウソ

7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

カリフォルニアアシカ

7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

カリフォルニアアシカ

7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/200秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

若い「ユイ」と云う嫁さんが決まったのにまだ一緒に住まわせて貰えないジロー君。のんびりと待つしか手はなさそうだ。

7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。