TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 302

2020年12月27日 | エッセイ
 その週に、名前は忘れてしまったが、銀座でも特に高名なジャズ喫茶に三歳年上の同級生が所属するウエスタンバンドが出演することになった。それで以前に現代詩を共同で研究した(2019年11月17日付の折々の写真&雑感#244をご参照願いたい)同級生に「行かないか」と誘った。すると彼女は「今日は顔の調子が悪いので、又にするわ」と仰せになった。黙って肯いていればよかったのに、つい云ってしまった「調子のいいときって、あるのかよ」。それから一週間は全く口をきいてくれなかった。高校の三年になったばかりの頃だった。

 風月堂から一本か二本の路地を入ったところに「スイス」と云うレストランがあった。味は良かったが、銀座では驚くほどの安さの店だった。そこには多くのバンドマンや歌手。それに歌手志望の人たちが集まっていた。中には人気が出てかなり稼いでいる人たちもいた。私の友人もかなり稼いでいるウエスタン・シンガーの一人だった。最初は彼に連れていかれたのだが、味と値段が気に入り、銀座に行くたびに利用していた。

 経済学部不経済学科をやっとのことで卒業してから10年以上は経っていたと思うが、風月堂の前を通った時に懐かしさを覚えて裏の道に行ってみた。在った。木造のままのスイスはまだ在った。一階には空いている席がなかったので二階に行ってみると、傷だらけの木の床が斜めになっていた。足元に気を付けながら歩いていると「いらっしゃいませ」と声をかけてくれた、そのご婦人は私の顔をじっと見ながら「懐かしいでしょ。昔のままよ」と笑みを浮かべた。ママさんも昔と変わらず、私の顔を覚えていてくれた。「当時を懐かしんで来て下さるお客様のために、何処もいじらないで昔のままにしているのよ。かしいでいる床も直さないわ」と云いながら席に案内してくれた。
 
 当時から人気のカツカレーを注文した。味は変らなかったが、当時の120円ではなかった。店は相変わらず繁盛しており、若い人たちに交じって私と同年代かずっと先輩であろう客たちも多くいた。「懐かしがって来て下さるお客様がいる」。たったこれだけの理由で店の改造も修理もせずに昔のままにしておく経営者など想像もつかぬほどの人だ。それほど我々は大事にされていたのだとしみじみと感じた。これを機会に、それからもスイスには友人を誘って何度も食事に行った。

 以下の写真はコロナの感染が少し収まり、再開してから初めて行った時の写真である。4月に再開したのであるが、新宿を経由するのが心配で10月になってやっと決心して行った。懐かしさで多少の位置を変えては同じ民家を何枚も何枚も撮った。まるで民家園に初めて行った時のような撮り方であった。ボランティアの方々の人数が少ないようだったが囲炉裏の火をおこしている家が何軒もあった。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。


キヤノンES5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 6秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。
 この民家園では三脚の使用條件が非常に厳格に規定されている。例え土間であっても屋根の下であるなら、或いは軒の下であっても使用出来ないことになっている。それでカメラを床の上に置き、リモートコントローラーでシャッターを切った。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f5.6、 1/13秒、 露出補正:-1、 ISO:1,600、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 5秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。
 この写真も、面倒だがカメラの設定をセルフタイマー・モードにしてリモートコントローラーを使用してシャッターを切った。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f5.6、 1/13秒、 露出補正:-1、 ISO:1,600、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f5.6、 1/15秒、 露出補正:-1、 ISO:1,600、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。
 三澤家でも囲炉裏で火を焚いていたが、コロナ・ウィルウス問題が起きてからは園の職員とボランティア以外は床上には上がれない。帰りに、遠くから囲炉裏の火を眺めた。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。
 如何にも午後からの陽であるように撮れた。ホワイトバランスを太陽光にしておけばもっと強調された太陽の色になったであろうが、私はホワイトバランスを必ずオートにしている。キャノンのオートのホワイトバランスは非常に優れもので、マニュアルにする必要が無いぐらいに忠実に色を再現してくれる。

 2020年のブログは#302が最後です。#303は1月3日に掲載致します。本年同様に来年も宜しくご購読下さるようお願い申し上げます。

折々の写真&雑感 301

2020年12月20日 | エッセイ
 数学の美人教師が赴任してきて一月ほどしたころ、出席を取った後で「出席39名、欠席一名」と型どおりに我々生徒に報告した。ここまではいい。その後に続けて「〇〇さん、代返をご苦労さまでした」と云った。教室中が笑いに包まれた。私の代返がバレていたのだ。敵は手強かった。だが、これをきっかけに我々生徒と美人の新米教師との溝が埋まり、信頼さえ芽生えてきた。そして女子生徒の嫉妬心も消えた。

 父親の影響を受け、自分も画家になると云っている奴が私のところにやって来た。「新任の美人先生にデートを申し込んだけどあっさり断られた。どうしたらいい?」と聞かれた。そのようなことは私には経験がない。相談を受けても答えられるわけがなかった。第一、私には教師を口説くなどの発想はなかった。ただ憧れのまなざしで静かに見ているだけだった。だが、彼の話を聞いた後でその教師を見ると、身近な存在に感じ、その上艶めかしさ迄感じるようになった。不謹慎であることは認めるが、同級生にはない大人の色気を漂わせていた。数学の時間が待ち遠しくなった。

 画家志望の友人に何のアドバイスも出来ぬまま後期の授業が始った。美人教師は友人を全く無視し続けているようだった。授業中の友人は非常に居づらそうにしていた。後で聞くと、前期と後期との間の休暇中、毎日せっせとラブレターを送っていたらしい。「一度も返事を呉れなかった」と悲しそうに私に訴えた。当たり前だ。

 ある日、美人教師から呼び出された。「貴方と仲のいい〇〇さんの事ですけど、、、」と躊躇いながら画家志望の友人からの封書の束を手渡された。「これを〇〇さんにお返し頂けないでしょうか。〇〇さんのお気持ちは非常に嬉しいと思いますが、私はこれをお返しするしかありません。そのようにお伝え下さい」。渡された封書の束は厳重に封印され、私が中を読めないようにしてあった。私はそれを友人に渡した。何も云わなくとも彼には分っていた筈だ。

 今回は妙正寺の写真である。大きな碑のあるお墓に紙に包んだ大きな花束を持ってお参りに来た若いお嬢さんが「この辺り一帯は戦死者のお墓です」と私に説明して下さった。この寺の下に妙正寺公園の池があり、そこから流れるのが妙正寺川である。この川は杉並、中野、新宿区と流れ、高田馬場の先で神田川と合流する。大雨が降るとたやすく氾濫し、沿岸の住民を苦しめていた。だが、治水工事が終ってからは全く心配のいらぬ川になった。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。
 鳥居が残っている寺は何カ所もあり、神仏混淆の名残であることは承知している。稲荷神社のある寺もやはり神仏混淆の範疇に入るであろうか。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/160秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。
 母親と熱心に詣でている坊やを見ていると写真を撮らずにはいられなかった。パソコンに取り込んでから改めてみてみると、坊やの真剣さをより強く感じた。母親に云われて手を合わせたのではなく、ごく自然に詣でた。この母子は毎朝お参りに来ているのであろうか。

折々の写真&雑感 300

2020年12月13日 | エッセイ
 中国の武漢のマーケットに店を出していたオバさんが「生きていりゃ何とでもなるさ」と通行止めになった道路の向こうを見て云った言葉が印象に残った。日本のテレビ放送の中で、畑を耕していたオジさんが「国の金で遊びに行くなどとんでもないことだ。その金は生活に困っている人に廻すべきだ」と憤慨した面持ちで云った。

 武漢のオバさんはどう見ても60才の半ばに見えた。その年でも誰にも頼らずに一からやり直す根性は見上げたものだ。パール・バックの「大地」に息づく農民の根性を見た思いだった。また、畑を耕していたオジさんは70歳ぐらいに見えたが、実に正論をはく人だと感じ入った。

 コロナ・ウィルスがどんどん増えるさなかに「GoToトラベル」とか「GoToイート」などの発想がどこから生まれるのだろうか?常識を疑う。

 危険を冒してまで旅行をしたいのであるなら、全てを自分の金で、感染の危機は自己責任で行けばいい。だが、自分が知らない間に他人に感染させてしまったら、その責任はどうとるのか?

 ヨーロッパでは「人が動かない」ことで貧困の状態が広がっていると聞く。だからと云って政策を変えようとしない。国が国民を金銭面でも精いっぱい支えようとしている。此処をなんとしても切り抜け、又繁栄する社会を作ろうとしている覚悟が見える。実に立派だと感じる。

 目先だけをごまかそうとしている貧弱極まる日本の内閣と大違いだ。戦後、内閣が変るたびにどんどんお粗末になっていくのはどういうわけだ。この先の日本はどうなるのかと心配である。

 先々週に続き日本民家園の写真である。コロナ・ウィルスの影響で閉鎖される前に行った今年の1月と2月の写真である。どちらも寒い日であったが、途中で昼食を用意して外の休憩所で食べた。園内のそば処の「白川郷」が工事中では致し方なかった。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 ISO:200、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:200、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f5.6、 1/30秒、 露出補正:-1、 ISO:800、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:200、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 ISO:200、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 ISO:200、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f5.6、 1/25秒、 露出補正:-1、 ISO:800、 WB:オート。

 日本民家園はコロナ・ウィルスの影響で4月11日から臨時休業していたが、6月2日から再開された。直ぐに行きたかったが、我が家からは新宿を経由しなければ行けないので考えてしまった。だが、10月になると我慢しきれずに行った。年間パスを提示すると60日間の延長をしてくれた。
 
 この再開後の写真は折をみて掲載する予定であるが、久し振りにふるさとに帰って来たような懐かしさを感じた。田舎のない私にとって、此処の古民家群が私の家であり、村であり、故郷であると感じている。

折々の写真&雑感 299

2020年12月06日 | エッセイ
 旅の雑誌だけではなく週刊誌の旅情報にもミャンマーの人気がかなり高いとの記事がある。どうしてそれ程の人気なのか私には容易に理解出来ない。

 私が仕事で初めてミャンマーに行ったのは1989年の7月の事だった。国名がビルマからミャンマーに変ったばかりの時だった。本来はその前年の1988年の5月に行く予定だったが、取引先から断りのテレックスを受取った。ビザを取得し、全ての準備を整えてた後だったが「現在はお出で頂くのに適しておりません。出張の時期を一年延ばして頂けないか」と記してあるだけだった。二、三日してラングーン大学の学生がビルマの民主化を求めて大規模なデモを行っているとのニュースに接した。それが軍との争いになり死者まで出したと知ったのはかなり経ってからだった。報道管制が敷かれており、外国のメディアは入国を許されていなかった。

 当時のビルマは全てを軍事政権が支配していた。言論は極度に制限され、外国とかかわるとの理由で貿易にまで口を出していた。取引先のテレックスは共同で使われているもので、ラングーン(現ヤンゴン)には2台しか設置されていなかった。いわば公衆テレックスであるので秘密など守れるものではなかった。その上、自国の軍が秘している事柄を外国に知らせることなど出来なかった。

 翌年に国名がビルマからミャンマーに変ったばかりの国に行った。空港では入国手続きに驚くほどの時間がかかり、空港の職員(実際は軍人)にボールペン、ライター、それにカメラ迄せびられた。国営のホテルでは、バスタブにお湯を貯めても錆びたお湯しか出ず、浴槽に入っても自分の足先が錆で見えなかった。備えられていた石鹸は泡が出ず、ザラザラしていた。次回からは日本から石鹸をはじめとする日用品を持って行った。だが、食事までは持ってはいけなかった。この国には7回行っているが、一度も商談が成立しなかった。絶対に行きたくない国の一番目がビルマ(ミャンマー)で二番目がラオスである。

 昨年に撮った日本民家園の写真である。コロナの影響で自由に写真を撮りに行けない。ご容赦願いたい。前回(10月25日付、#293)の日本民家園は17-40㎜の超広角レンズで撮ったものであるが、今回は私が標準レンズと位置付けている24-105㎜のレンズで撮ったものである。同じ構図でもレンズにより感じが全く違う。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。
 奥に見えるのは新築なった古民家。残せるところは全てを残して完全に修復した。材木だけは以前のものを使っても、壁だけは無理のようであった。仕方のないことだ。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。
 水車小屋に面している通路。この道を歩くだけでも心が癒される。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 ISO:200、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。


キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f8、 1/25秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。