TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 163

2018年04月29日 | エッセイ
 「10年も日本にいて、日本語を話せなかったら馬鹿と思われますよ」と云われたのが、そのイタリア人との付き合いの始まりだった。知り合いに紹介されて新宿の貿易会社を訪ねたときに彼と会ったのだ。日本人従業員相手に日本語で盛んにイタリア製のバッグを売り込んでいた。帰りが同じ方向だったので、彼の車に乗せて貰った。顔を見ずに、彼の話す言葉だけを聞いていると日本人が話しているとしか想像出来なかった。「日本語を話せる」の段階を超えていた。地方出身のアナウンサーより正確な発音とイントネーションだった。

 イタリアと日本の間のファッションの情報を相互に伝えるのが彼の本業であったが、利益の出そうな仕事には何にでも手を出していた。私は彼と直接の取引をしたことはないが、双方で取引相手を紹介し合ったことは何回もあった。だんだん親しくなると、イタリアでの話をしてくれた。彼の実家は大変な名家で大きな城を持っていたそうだ。だが、100年間も税金を払っていなかったので城を政府に没収されたそうだ。「税金の請求額と城の値段を秤にかけて、どうぞと城を差し出した」と云って笑っていた。日本では考えられないことだったが、イタリアではそれほど珍しいことではなかったようだ。国民は豊かでも、政府が破産寸前である事が頷ける。日本とは全く逆である。豊かな資金を持っているのは国と大企業で、国民の中で世界有数の資産家は数えるほどだ。我々庶民は物価高にあえいでいる。

 日本政府は物価を政策的に上げ、デフレからインフレ状態に持って行くかじ取りをしている。かなりの成功を収めたと日銀が得意げに発表したニュースが記憶に新しい。トランプさんが最も関心を持っている牛肉の関税だが、我々庶民としてはすぐにでも撤廃して欲しい。同時にオーストラリアとニュージーランドの牛肉もそう願いたい。少数の酪農業者を守るために大多数の庶民の生活を犠牲にする政策は頷けない。歩いてもすぐに境界線まで到達してしまう日本の牧場と、馬に乗って一週間もかかるほど広大な牧場を持っている国とは所詮勝負にならないではないか。

 農業もそうだ。野菜が高騰した時、なぜ政府は緊急輸入の方策を取らなかったのか。テレビニュースで観た。雪に埋まったネギ畑を前にして畑の持ち主が云った「見て下さい、この雪では農機具が入れません」。だからネギが収穫出来ず高騰が続いている。農機具が入れなければ人力で掘り出せばいいではないか。昔はそのようにしてきた。そんな努力もしない農家を政府は必要以上に保護している。票のために他ならない。私は貿易を営んできたが、政府に応援されたことは一度もない。通産省は我々零細貿易業者に情報を提供することすらしなかった。仕入れ値が上がれば、それを直ちに価格に転嫁するようなことはせず、ありとあらゆる努力をした。お陰で、絞り切った智慧の在庫はもうない。

 先週、雨の降る前に近くの公園にツツジを撮りに行った。以前は花を殆ど撮らなかったが、現在所属している写真クラブの影響を強く受け、花を撮る機会が多くなった。不慣れなマクロレンズでの撮影だが、何とか挑戦した。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f2.8、 1/400秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f2.8、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f2.8、 1/100秒、 露出補正:±0、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

折々の写真&雑感 162

2018年04月22日 | エッセイ
 府中の空軍司令部からグラント・ハイツのカミサリー・ストアー(2016年9月12日付の折々の写真&雑感78をご参照願いたい)の経理課に希望して転勤してきたとき、チーフは私より3歳年上のご婦人だった。年を聞いたわけではなかったが、私の経歴書を見て「私には3歳年下の、貴方と同い年の弟がいるわ」と云われた。その時から彼女には逆らえないと観念した。これが我々と同じ日本人かと思えるほど彼女の話す英語は流ちょうだった。軍隊のマニュアルやレグレーションもすらすらと読み、上への報告書も文句のつけようのない文章で書いていた。弟さんと同い年であることもあって、私にはなにかと気を遣ってくれた。お昼を食べに行くときもよく誘われた。その親切が重荷に感じることもあったが、彼女の弟さんの代理を務めるように努力した。

 転勤して三月ほど経った頃、「私は貴方の通訳は一切しないことにする。そう決めたの」と云われた。私が英語を話せないことはなかったが、彼女の語学力に比べれば小学生並みだった。府中では、事務所にいる兵や将校、それに軍属は日本人である私に気を遣いゆっくりと話し、出来るだけスラングや軍隊用語は使わないようにしてくれていた。不動産課の事務所内ではこれでよかった。だが、カミサリー・ストアーはいわば現場であった。そんな悠長なことは云っていられなかった。一般の客に加え、各クラブやテュループ・イッシュウと称される各部隊への食料品の供給。非常に忙しかった。現金で買う一般の客と違い、ツケで買う彼等には伝票を作成しなければならなかった。現場から送られてくる下書きをもとに各商品の単価を入れて計算するのも我々の仕事であった。この様なときにゆっくりと話してくれる相手はいなかった。軍隊用語に加えスラングが飛び交った。私には理解を超える会話であった。そんな時にチーフである彼女が「通訳」の手を差し伸べてくれた。こんなことを続けていたら、私がいつまで経っても彼らの言葉を理解出来ない。そのように彼女は判断したのである。

 ある日、彼女が我々が属する部隊の組織図を見ながら「やっと空軍のクミシキが分ったわ」と云った。最初は理解出来なかったが「それって、もしかしたらソシキ(組織)のことじゃないですか?」と云ってみた。しばらく彼女は黙っていたが、呆れたような顔をして、「これって、ソシキと読むの?そう云えば、そうね。私は小学生のころからずっとクミシキと読んでいたの」と云って笑いだした。尊敬と畏怖の対象だったが、姉のような親しみを感じた。

 彼女は経理課よりは給料のいい仕入れの責任者になった。私は彼女の推薦で経理課の責任者になれた。その頃には現場の人たちや店に来る一般客とのコミュニケーションも問題なく取れるようになり、またNCOクラブ(下士官クラブ)のチーフとも電話で云い合いが出来るようにもなった。仕事に自信を持った。何もかも彼女のお蔭であった。その彼女が准尉と結婚が決まり、結婚後は退職してご主人の次の任地である西ドイツ(当時は未だ西と東に分かれていた)に行く事になった。辞める前に、仕入れの責任者の後を彼女の部下も一緒に私が引き継ぐことが上から許可された。給料もかなり上がるが、経理とは比べようもなく大変な仕事であった。そのため、通常の仕事が終わってから、彼女からの引継ぎのためのレクチュアーを受けた。最後の最後までお世話になった。

 昨年に続き、所沢の多聞院に写真仲間と今年も行った。今年の気温の上がり具合から、少し遅すぎではないかと危惧した。而し、お目当てのクマガイソウだけではなく当院自慢のボタンにもお目にかかれた。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


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キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:200、 f5.6、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

折々の写真&雑感 161

2018年04月15日 | エッセイ
 府中のアメリカ空軍司令部での私の最初の仕事は、アメリカ空軍が日本政府から貸与されている不動産の管理が主なものであった。それに付随して、管轄下のワシントン・ハイツ(現在は代々木公園、国立代々木競技場やNHK放送センターなどになっている)や管轄外である大船のアメリカ陸軍の施設の日本政府への返還業務にも携った。関東財務局のお役人相手の仕事であったので、どうしても我々日本人の手助けが必要であったのであろう。大船での仕事には宿泊代は勿論のこと、かなりの出張手当が支給されたことを記憶している。

 ワシントン・ハイツと大船の施設(申し訳ないが正式な名称は忘れてしまった)の場合もともに、関東財務局の財産目録(表紙が黄色だった理由で「黄表紙」と呼んでいた)とアメリカ軍の作製したリアルエステイト・リスト(不動産リスト)を突き合わせるところから返還業務が開始された。ワシントン・ハイツと名を変える前は我が帝国陸軍の代々木練兵場であった。従って「黄表紙」に登録されていた財産は土地以外は多少の建物だけであった。返還時には終戦処理費で建造された米駐留軍兵士の宿舎と家族用住宅だけで、接収時にあった建造物は一部を除いて消滅してしまっていた。

 返還業務はあっという間に済んでしまった。黄表紙にあった土地に変化があろうはずがなく、接収時にあった旧日本軍の施設は、住宅建造のためにあらかた取り壊してしまった。また終戦処理費で建てた兵舎と住宅は関東財務局の資産ではないので返還業務の対象外であった。「終戦処理費」は日本政府が支出したものなので、それで建てた建物は全て日本政府のものと私は考えていたが、どうもそうではなかったらしい。アメリカ軍側は返還業務に熱心ではなく、上司は我々に「適当にやってくれ。終ったらサインする」と逃げてしまった。関東財務局側も、一応の付合わせさえ終れば、旧日本軍の建物の欄に「消滅」と記入すればそれで済むようであった。新人の私は書類の作成をするだけで実際の業務には立ち会わせて貰えなかった。

 それから一年後に大船の施設の返還業務が始った。その時は私にも米陸軍の不動産リストが渡され、関東財務局からは黄表紙のコピーが渡された。此処には旧日本軍の施設がかなり残っていた。大砲は取り除かれていたが、砲台は残っていた。だが、この砲台は当然のこと米軍のリストにも、驚いたことに黄表紙にも載っていなかった。この時、財務局のお役人は「この砲台は米軍のものです」と仰せになった。理由は黄表紙に載っていないからだとのことだ。私の立場はアメリカ軍側で、アメリカ軍の利益になるように振舞わらなければならなかった。だが、日本人として日本の不利益な交渉はしたくなかった。「アメリカの軍艦を撃つための砲台がどうしてアメリカ軍の資産と云えますか?」と云ってしまった。お役人にとって、それが日本のものでもアメリカのものでも全く関係ない。面倒な手続きをして役にも立たない砲台を黄表紙に載せる事などしたくなかったのだ。「休まず、遅れず、働かず」を実感した。

 遅れに遅れていた家内との約束を果たすべく、先週に江戸川競艇場に写真を撮りに行った。初めての家内は疾走するモーターボートに驚かされ、実際のボートレースと競艇場の雰囲気に興奮気味だった。そんな家内を観客席に残し、私はスタート地点と折り返し地点を往復しながら少しでも迫力のある写真を撮ろうと努力した。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/250秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/250秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/300秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/400秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


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折々の写真&雑感 160

2018年04月08日 | エッセイ
 日本酒と料理の相性を見極める専門家が「ペアリング」と云った。何のことか意味不明であった。何のことかと先を聴いていると、どうやら日本酒の種類と料理との相性を云っているのであるらしいと判断した。誰か知ったかぶりの人間がペアリング(pairing)と云ったのでそれが使われるようになったのであろう。不確かな英語を使わずに、どうして「相性」と日本語を使わないのであろうか。どうしても英語を使いたいなら、一般的には「マッチ」(match)が使われている。This dishes match AAA wine.(この料理にはAAAワインが合う)。友人に教えて貰ったのだがフランスでは料理とワインについて「ボン・マリアージ(良い結婚)」(bon mariage)と云うらしい。実に素晴らしい表現をしている。2017年の11月26日付の「折々の写真&雑感」141でも述べたように、おかしな英語がやたらと横行している。外国からの観光客のお役に立とうするなら、このようなおかしな英語を使ったのでは意思の疎通を計るどころではない。

 標識もやたらとおかしい。「watch your step!」(足元にお気を付け下さい)と書けばいいものを、「道がぬかるんでいます。滑らないようにして下さい」とか「雪が積もっています。滑らないようにゆっくり歩いて下さい」とか書いてある。それも滑らかな英語ではなく、中学の英語教師が考えに考えた末に書いたような英語である。文法的には間違いではないかもしれないが、あんなまだろっかしい注意書きでは読んでいるうちに滑ってしまう。「ぬかるんでいる」とか「雪が積もっている」などと書かなくとも、見れば分る筈である。それとも観光客の知能はよほど低いと勘ぐっているのか、理解に苦しむ。似たような看板を他の公園でも見たことがある。「ゴミは他に捨てずにこの屑籠に入れて下さい」と書かれていた。それも理解に苦しむような英語でだ。こんなものは「trash can」と書けば用が足りるのではなかろうか。店に掲げている看板もおかしい。単なる古着屋であるのに、骨董屋を表す「Antique Shop」などと書いてある。観光客が日本の骨董品を買おうと店に入ると古着に出くわす。これでは詐欺にあったようなものだ。何故日本語で「古着」と書かないのか?外国人にも古着を売りたいのなら「Thrift Shop for Wear」と書くべきではないか。

 区役所から送られてくる文書やメーカーの使用説明書もやたらと長ったらしく、何を云っているのか的が絞れないことがある。日本人の几帳面さと親切さと云えばその通りかもしれないが、それを長ったらしく英語で書かれたのでは読む方が参る。ヨーロッパ人やアメリカ人はもっと単純明快に物事を解釈する。特に看板や標識、注意書きなどは誰にでも一瞬で理解出来る言葉で書いて欲しいものである。

 中学の英語教師の質をもっともっと高めて頂けないだろうか。私が中学で初めて英語の授業を受けた時、教師から最初に云われたことがあった。「外人とは政治と宗教の話をしてはいけない」。それに「ご婦人に年齢を聞いてはいけない」であった。英語もろくろく習わぬうちに、こんな高等な会話など出来るわけはないと聞き流していたが、どうしたわけか今でも記憶に残っている。だが、私はアメリカ人相手に政治の話、宗教の話もしたし、ご婦人に年齢を聞いたこともあった。一回も喧嘩にならなかったし、嫌な顔をされたこともなかった。英語を私ども新入生に教えて下さるなら、このようなくだらない注意をする前に、正しい英語の文章、正しい単語の使い方を教えて頂きたかった。

 千鳥ヶ淵の桜が散り始めたとのニュースを見てすぐに近くの公園に行った。運よく池の花びらは片付けられていなかった。風が弱く、花弁は動いていなかったので、用意していた犬の餌を撒き、鯉に手助けをお願いした。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f16、 4秒、 露出補正:±0、 WB:オート、 ND16&PLフィルター使用、 三脚使用。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f16、 2秒、 露出補正:±0、 WB:オート、 ND16&PLフィルター使用、  三脚使用。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f16、 1.6秒、 露出補正:±0、 WB:オート、 ND16&PLフィルター使用、 三脚使用。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f16、 1.6秒、 露出補正:±0、 WB:オート、 ND16&PLフィルター使用、 三脚使用。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f16、 1.3秒、 露出補正:±0、 WB:オート、 ND16&PLフィルター使用、 三脚使用。


キャノンEOS7DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:100、 f16、 4秒、 露出補正:±0、 WB:オート、 ND16&PLフィルター使用、 三脚使用。

折々の写真&雑感 159

2018年04月01日 | エッセイ
 貴乃花親方が弟子の暴力沙汰を機に態度を一変し、「内閣府に出していた告発を取り下げ、自分は一兵卒から出直す」との報道に接した。これに対し週刊誌は「貴の乱終息」とか「貴乃花敗北」の記事を出した。貴乃花がこれまでに取った一連の態度に対する反感の表れであろう。而し、私はそうは思わない。江戸っ子特有の潔さと謙虚の表れであると感じる。貴乃花親方が相撲協会に対して取った態度は見方に依れば意固地すぎること感じた方は多いであろう。だが、そうせざるほかはなかった程に相撲協会に対する不信感を持っていたのであろうと察する。私は貴乃花親方の潔さと不祥事を起こした弟子を守りたい気持ちに味方したい。

 再度の私の父の「大型社員」の話で恐縮だが、もう少し触れたい。日本人が誰ものんびり暮らしていたオイルショック以前のことであるが、私が初めて車を買ったときは、レギュラー・ガソリンが一リッターにつき40円しなかった。ガソリンスタンドと交渉すれば38円、或いはもう少し下がった。ハイオクは意外と値が固く50円を下廻ることはなかった。私は生意気に、少しでも車の性能を上げたくて点火位置を上げてハイオク仕様にして乗っていた。だが、それほど力に差はないと知り、点火位置を多少下げてレギュラー・ガソリンに替えた。これで充分だった。

 私は必要ないと云ったが、父は知り合いの大工を呼んで屋根付きのガレージを作らせた。簡単なものでよかったが、大工は少しでも儲けを多くしたいと考えたのか大型の車が2台は楽に入るようなものを作ってしまった。お蔭で庭木はなくなり、いい香りを運んでくれていた大木のキンモクセイや秋を楽しみにしていた柿の木迄なくなってしまった。私は抗議したが、父は意に介さず云われるままに代金を支払った。かなりの額であった。

 長男が小学校に入り、下の双子の娘たちが幼稚園に通う頃には木造家屋が老朽化し、手狭にもなってきた。家を建て直すことにした。寒がり屋の父は当時流行し始めた「セントラル・ヒーティング」にしたいと云い出した。父は既に東京ガスを定年退職していたが、OBにも適用される大幅な社員割引を受けられるガスの床暖房をしようと云ったのだ。ガス代も特別料金であった。現在は大きく制度が改正され、いくら社員であっても工事代金やガス代の大幅な値引きはなくなっていると聞いている。エアコンがかなり高価であった時代に、安いガスの床暖房は魅力的であった。而し、父が元気なうちはいいが、OBの権利を行使出来ない私の時代になったら、かなり高額なガス代を支払わなければならない。それで、父の反対を押し切り、シェルの石油暖房によるセントラル・ヒーティング方式にした。当時の石油は18リッターの石油缶一つが240円ぐらいであった。普通に使っていれば一缶で二日はもった。一番寒い日でも、一缶か一缶半使えば一階と二階が温まった。かなり効率的だった。200リッター入りのタンクにシェル石油が頃合いを見計らって補充に来てくれていた。全く手間いらずだった。それがオイルショック以後は一缶が300円を越し、800円になり、ついには1,200円にまでなった。こうなったら石油の消費を少なくするしかなかった。当然のことに温かくない。「だからガスにしろと云ったろう」と父に云われ、返す言葉がなかった。暖房はガスや電気に変えたが、全館暖房とはいかなかった。石油はついに一缶で1,900円を超えた。

 先月の終り、カタクリ祭りの始る前に清瀬のカタクリを写真仲間と撮りに行った。かなり広い場所にカタクリは咲いていたが柵で囲われており、一歩も中に入れなかった。ほぼ平地で非常に撮りにくかった。マクロレンズしか持って行かなかったので、柵の近くにある比較的色の濃いカタクリを選んだが、いい写真は撮れなかった。70-200mmのレンズを使用すべきだったと反省した。カタクリの群生地から他の群生地に移る途中で、名も知らぬ可憐な野草と春蘭に出会った。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/125秒、 露出補正:±0、 WB:オート。



キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/400秒、 露出補正:±0、 WB:オート。


キャノンEOS7DにEF100mmマクロ、2.8Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。